唯一のアニオリパート
さて、物語構成面でもう少し深く解説したいと思います。先ほどほとんど原作通りに話が進むと書きましたが、1つだけアニメオリジナルシーン(アニオリパート)が挟まれています。そしてそれは冒頭に描かれます。
ネタバレを恐れずに書き記すと、鬼殺隊の最高管理者を務める、「お館様」こと産屋敷耀哉(うぶやしき・かがや)が墓参りをするシーンが描かれます。そしてそこでは、鬼との戦いで散っていった隊士達の名前を読み上げられています。
「身近な仲間の死」が成長のきっかけに
これは、映像作品の冒頭でよく描かれる描写なのですが、「テーマの提示」と呼ばれる部分です。つまり、鬼との戦いで「死」というものが隣り合わせなのだ、という情報を提示することで、この劇場作品で描かれるものが何かというものを暗示しています。原作をお読みの方ならわかると思いますが、言うまでもなく、それは「煉獄杏寿郎の死」です。
これまで、炭治郎達は数々の鬼との戦いを繰り広げてきましたが、まだ「身近な仲間の死」というものに直面してきませんでした。この体験が後の炭治郎達の成長のきっかけとなるわけですが、ここが映画冒頭で暗示されています。
三幕構成と無限列車編
構成面でも少し解説をしたいと思います。一般的にハリウッド映画などの劇場作品では、「三幕構成」と呼ばれる構成で作られています。
三幕構成は、一つの物語を「第一幕」から「第三幕」の3つの幕に分け、この3つの幕がおおむね「1:2:1」という配分になっています。120分の2時間映画だったら、第一幕が約30分、第二幕が約60分、第三幕が約30分という時間配分になります。この時間配分はあくまで目安で、特に第三幕は短く描かれる傾向があります。
第一幕では、主人公達の物語上の欲求やコンプレックスとなるもの、どういう日常を送っていたかの「設定」が描かれます。そして、そこでその「日常」を壊す出来事が起こり、主人公に強い動機の形成が起こり、そこで起きた問題を解決する決断をします。
第二幕全体では、第一幕で起きた問題解決のために様々な試行錯誤が描かれます。前半部分は上手くいくことが多いのですが、途中から行き詰まったり新たな真相などに気付いたりして、「第一幕の決断が間違っていたのではないか」と主人公に葛藤が生じます。第二幕の後半ではこの葛藤が大きく描かれ、その末に物語の真の解決となる方法を見出します。
そして第三幕では、物語の「解決」となるパートが描かれます。
初見勢への配慮、省いても良かったのでは
特に、劇場作品ではこのような構造をとる作品が非常に多いのですが、この「無限列車編」では、映画単体でこの構造になっていません。そもそも漫画原作の続きモノであり、長い作中の1パートに過ぎず、単独で成立している作品とは言い難いです。言ってしまえば、本作では第一幕の「設定」部分の描写は不要なのです。
もちろん、「無限列車編」から初めて「鬼滅の刃」を観る人でもわかるような工夫は最大限されています。ただ、誤解を恐れずに言えば、この第一幕の「設定」として描く部分を、作中前半の主人公達の夢の描写に詰め込んでいるきらいがあり、これによって物語全体のテンポを乱している感がありました。いっそのこと、初見勢への配慮は省くか、「無限列車」に乗り込む前にオーソドックスに描いたほうが良かったのかもしれません。
実は二部構成の「無限列車編」
ただ、三幕構成の物差しを使って物語を見ていくと、この作品は大きく二部構成となっていることが見えてきます。そして、前半部分と後半部分では主人公が変わっています。
前半部分は、「下弦の壱」魘夢(えんむ)との戦いが描かれます。ここでの主人公は炭治郎達であり、どうすれば魘夢を倒せるかという試行錯誤と解決が描かれます。

魘夢 鬼舞辻無惨配下である“十二鬼月”のひとり。他人の不幸や苦しみを見ることを好む、歪んだ嗜好を持つ。下弦の鬼の粛清時、鬼舞辻無惨に気に入られたため、唯一生き残った。那田蜘蛛山で炭治郎たちが苦戦を強いられた下弦の伍・累よりも序列の高い下弦の壱であり、鬼舞辻無惨からも血を分け与えられている。
kimetsu.comそして、「無限列車編」の最大の問題点と言える部分がここにあります。第一幕と言える部分が夢パートの終わる部分までとなっているのです。時間的にもいささか冗長なきらいがあります。主人公達が敵対者である魘夢に対峙し、物語が動き出すまでいささか時間がかかりすぎているのです。
後半部分は非の打ち所がない
炭治郎達が試行錯誤し魘夢を倒したことで、「無限列車」は停止し、主人公達は汽車から降ります。ここからが後半部分です。主人公が煉獄杏寿郎に変わります。杏寿郎は負傷した炭治郎に治療法を教え、第一幕と言えるわずかな日常パートが描かれます。そこに「上弦の参」猗窩座(あかざ)が現れ、暫時の平穏と言える日常が壊されます。
そして先述の猗窩座との戦闘が描かれ、悪戦苦闘という試行錯誤をしながらも、夜明けまで持ちこたえたことで最終的には杏寿郎は猗窩座を追い払い、自分以外の全員を生還させることに成功し、「勝利」を収めます。この後半部分は非の打ち所がなく、非常に良くできています。

猗窩座 凄まじい力を持つ十二鬼月・上弦の参。練り上げられた武と共に、強者に対しての敬意を持つ。
kimetsu.com主人公は炭治郎か煉獄さんか
「無限列車編」を見終わって、「煉獄さんが主人公だった」というような感想がよく出回っています。上記のように物語を見ると、紛れもなく猗窩座との戦闘パートにおいては間違いなく杏寿郎が主人公と言えます。一方で、「鬼滅の刃」全体の主人公は言うまでもなく炭治郎であり、「無限列車編」でも炭治郎の大きな成長劇となっています。前半部分の活躍は炭治郎あってのものです。
一人に絞れば煉獄杏寿郎
一般的に主人公は誰かと考える時に、「作中で最も変化量の多い人物」が候補に挙がります。この点で見ても、炭治郎と杏寿郎の2人の名前が挙がるでしょう。
ただ、「無限列車編」全体で一人に絞るとなった場合、やはり煉獄杏寿郎が主人公と言えるでしょう。前半部分でも「夢」を通じて杏寿郎の物語上の欲求や欠落しているものが原作以上に丁寧に描かれており、作中全体の戦いを通じて、杏寿郎の欠落しているもの、言うなれば葛藤の軸となるコンプレックスが「解決」しているからです。追い打ちをかけるように、最後に流れるLiSAの歌う主題歌「炎」も、タイトルも歌詞も杏寿郎を歌ったような内容になっています。

煉獄杏寿郎 鬼殺隊の中でも最高位である”柱”のひとり。炎柱。「炎の呼吸」を使い、鬼をせん滅する。明朗快活ではっきりとした物言いをする。柱合会議後、短期間のうちに40人以上もの人が行方不明になっているという“無限列車”の調査に赴くことに。
kimetsu.comまとめ
以上、「無限列車編」の見どころを解説してみました。一度観た人でも、こうした点に注意して改めて「無限列車編」を観ると新たな発見があるかもしれません。「無限列車編」に限らず、映画を観る際の参考になれば幸いです。
劇場版「鬼滅の刃」無限列車編
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