〈ゴージャス松野〉生体腎移植「延期」とその半生を語る へんな話、延期で申し訳ないなと――。

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病気の当事者、家族、友人・知人、医療関係者、福祉関係者などへ「聞き書き」を行う不定期連載「病気の生活史」シリーズ。今回は、プロレスラーでタレントのゴージャス松野さんへのインタビューです。重い腎臓病を患う長年のパートナー、歌手の田代純子さんへの生体腎移植手術が決まっていましたが、それをいったん取りやめたことが話題となりました。その経緯を丁寧に聞きました。

生体腎移植が延期されたことが話題に

――プロレスラーで歌手のゴージャス松野さんから、パートナーの田代純子さんへの生体腎移植が、来春に延期されたことが話題となりました。

そうなんです。移植手術の1週間前。レシピエント(臓器の受け取り側)の彼女は先に入院を済ませていて。ドナー(臓器の提供側)の私は、2日後に入院を控え、自宅で支度をしていて。バッグに荷物を詰めて、入院に必要な買い物もして。もう準備万端。そんな時に、主治医の先生からお電話をいただいて。

最初、電話を受け取った時、先生は「血液検査の結果で…」って切り出されたんです。だから、ああ、私か彼女のどちらかに何か問題があって、移植手術ができなくなったんだ、と思ってドキッとしたんですけど。でも、よく話を聞いたら、要するに、今すぐ移植手術をしなくてもよい(血液検査の)数字だった、ということで。それから一晩、二人で話し合いました。で、よくよく考えたら、そういう(延期の)ご提案は良いことなんだ、というふうに受け止めて。可能性を見つけての延期なので。

でも、けっこう、皆さんに「私は、パートナーの田代純子さんに生体腎移植をします」と宣言していて。それが記事になって、たくさん取材もしてもらったのに。ご心配もかけて。だから、変な話なんですけど、延期になって申し訳ないなと。

――そんなことないですよ。とても明るい、良いお話だと思います。

本当に、どんでん返しで。

田代純子さんの腎臓病について

――パートナーで、演歌歌手の田代純子さんの腎臓病について。差し支えのない範囲で構いませんので、教えてください。

彼女の病気がわかったのは、2021年の1月31日です。その前の年末、秋くらいからですかね。体がだるかったりですね、ちょっと微熱が出たりとか。いろんな不調はあったんですけども。保健所に電話して、発熱外来のある近所の病院に行って。行ったらまあ、駐車場ですよ。PCR検査やって。で、陰性だったんで、まあ風邪じゃないですか、みたいになって。

でも、数日たっても、状況が変わらず。熱も続いている。節々が痛かったりとか。体がだるかったりとか。それで、やっぱりちょっとおかしいなと思って。実は彼女、その時ちょっと、耳の病気の治療で福島の総合病院に通ってまして。

――耳の病気?

突発性難聴です。その年の夏に突発性難聴になって。今考えると、現在の彼女の病気に関係してたみたいで。お医者さんによると、まあ前兆の一つだった、っていうことなんですけど。で、2021年の1月の末に、耳の外来と併せて、総合診療科っていう、どこへ行ったらいいかわからないという人向けの科に、行ったんです。

そこで、血液取ったりなんかして。おしっこ取ったりしてですね。いろいろ検査をしまして。1週間くらいで結果が出る、ということで、自宅で待機してたんです。でも、それ(1週間)を待たずして、彼女の容態が急変して。1月31日、体調が急激に悪くなって、救急車呼んで。

で、彼女が救急車で運び込まれた総合病院で、いろいろと検査をした結果、ANCA関連血管炎に伴う急速進行性糸球体腎炎、ということがわかったんです。腎機能が非常に低下してまして。顕微鏡的多発血管炎といいまして。ANCAっていう抗体があるんですけども、普通の人がつくらない抗体を、自分の体の中でつくっちゃうんです。で、その抗体が、全身の毛細血管を攻撃しちゃって。自分で自分の体を攻撃してですね。それでまあ、毛細血管がいっている肺とか、糸球体とか。彼女の場合は、その糸球体が壊滅的にやられちゃって。急激に腎機能が低下するっていう。だから、顕微鏡的多発血管炎というANCA関連の血管炎と、それが原因となった急速進行性糸球体腎炎という病気になりまして。もう、ほんとに。普通の人が60~70ポイントくらいの腎機能値が、10ポイントくらいまで下がっていると。これは大変だっていうことで治療が始まったんですけど。

――それまでは、健康診断は行かれたことはあったんでしょうか?

健康診断は定期的に行ってたようですけども。もともと、どっちかっていうと、パワフルな女性なんです。彼女は。健康診断で指摘されたこともないんです。耳の突発性難聴が、ほとんど初めてくらいの病気だったんです。

難病指定のANCA関連血管炎・急速進行性糸球体腎炎

――かなり珍しい病気と伺っています。

難病指定です。両方(ANCA関連血管炎・急速進行性糸球体腎炎)とも。原因不明ですね。そこで、初めて病名がついたわけです。1月31日に。で、そこから治療が始まって。お医者さんとしては、血管炎と腎炎、両にらみで治療しなければならないと。やったのは、ステロイドパルス療法っていうもので。非常に体に負担のかかる治療で。それを最初、3クールやったんです。でも改善せず。まあ、普段は4クールまではいかないみたいなんですけど、4クールやりますっていうことで、やって。でも、副作用がすごい強い薬ですね。

――どんな副作用なんですか?

まず、外見が、ムーンフェイスっていいまして。顔がまん丸くなるんです。やっぱり体重も増えて。むくんだりして。ほんとに、針を刺したら「パンッ」てなるんじゃないかというくらい。あとはその、感染しやすくなったり、血栓ができやすくなったり。血糖値が上がったり。不眠で夜、眠れなったりとか。精神的に浮き沈みが激しくなったりとか。副作用が非常に強い薬で。

で、それを4クールやったんですけど、それでも経過がよくならなくて。で、今度、総合病院のお医者さんのほうで、今度は大学病院を紹介しますってなって。大学病院に転院。3月6日だったと思うんですけど。そこでは、それまでの治療の経過を踏まえて、さらに進んだ検査と、治療をしましょう、ということになりました。

大学病院では、腎臓の状態を調べるために、腎生検っていって、背中から針を指して、組織を取って。検査をした結果。まあ間違いなく急速進行性糸球体腎炎ということが確定したんです。ただまあ、ステロイドパルス療法もすでに4クールやっていて。これ以上できないっていうことで。

で、今度は、さらに進んだ治療をしましょう、ということで。ANCAの抗体を取り出す治療。これ、血液の中の血漿の中に、その抗体があるんですけど。それを取り除く治療。それでなんとか、抗体は体から抜けたんですけど。やっぱりまた増えて来ちゃってですね。

それで、次の治療をします、ということで。リツキサンという薬なんですけど。もともとは、悪性リンパ腫に使っている薬だそうです。それが、腎臓病にも保険適用になったので。その薬を使いますからって言われました。その薬は、体の中の細胞、B細胞っていって、今度は抗体をつくるほうの細胞、それを枯渇させる薬。これ、点滴のお薬なんですけど、それを1日やりまして。で、まあでも、抗体をつくる細胞がなくなるっていうことは、ほかの菌が入っても、戦うことができないわけです。感染症にかかる可能性があると。でもそれが一番、お医者さんのほうで勧められる治療法であるということだったので。それをやっていただきまして。それでやっと、3月の中旬くらいですかね。経過が良くなって。ANCAのほうも落ち着いた状態に。

同時に治療していただいていた腎機能も、徐々に回復してきて。まあ回復っていっても、普通の人のようになるわけではないですが。腎臓は、一度機能が低下しちゃうと、元には戻りませんからね。なんとか透析をしないギリギリの状態まで戻りました、っていう感じです。eGFRっていう数値が、8~10くらいだったのが、15~16くらいまで改善しまして。クレアチニンっていう数値も、悪い時は5くらいだったんです。それが、2・5~2・8くらいまでに落ち着きまして。でも、長期間の入院だったんで、彼女の足腰もかなり弱って。リハビリをしながら、なんとか、2021年の4月末に、退院できまして。

――そのあとは、在宅で?

腎機能障害なので、管理栄養士の指導がありまして。それで、月に1回の通院で、様子を見ながら在宅で治療しましょうっていうことで。

――料理は、松野さんが?

そうです。彼女はちょっと台所に立てる状況じゃなかったんで。退院してからも、薬の副作用で感染しやすくて。実際、退院して2週間くらいで熱を出して。で、救急外来行ったら、腸炎だと言われて。また入院して。10日くらい。で、またしばらくしたら熱出して。今度は尿路感染だということで。またそれでも1週間くらい入院して。去年の夏くらいからですかね。安定してきたという感じになったのは。

腎臓移植に向けて

――腎臓移植をしましょう、という話になったのは?

退院してからは、経過を見ながら。数値も、ある程度は横ばいで来てまして。2021年の12月にですね。主治医の先生から、まあゆくゆくは腎臓の代替療法が必要なので、その準備も考えておいてください、という内容のお話がありまして。

先生も最初、あとどのくらいっていうことは言わなかったので、こちらから聞いたんです。そしたら、持ってもやっぱり1年くらいと(言われて)。彼女は退院するとき、実はそんな話を聞いていたみたいでしたが。私のほうがショックというか。横ばいでもけっこう、5年とか10年とか持つのかな、なんて思ってたんです。あと1年くらい、ということに、ちょっとびっくりしました。それなりにショックだった。彼女は、採血の時に「腕はなるべく大事にしてください」なんて看護師に言われてたみたいで。シャントを作って透析を想定しての話ですけど。

――松野さんのほうが、ショックが大きかったと。

そうですね。もうちょっと、5年とか10年とか、いけるのかなと思ってたので。ただし、彼女が入院して、最低の状態になった時から、もしなんかあるようだったら、自分の腎臓を移植してもかまいません、ということは先生には言ってたんです。だから、2021年の12月に、先生からお話があったときは、もう一も二もなく、じゃあ移植をしますから、という話をして。

ドナー側のリスクについて

――ドナー側のリスクはどのように説明されるのですか?

一般に、腎臓の機能のことだけでいうと、今の状態の7割から7割5分くらいになりますと説明を受けました。1個取っても、半分(5割)にならずに、7割くらいを保てると。でも、本来2個あるものが1個になるので、万が一、自分が腎臓病になったりとか、外傷を受けたりとかして、腎臓を取ることなれば、今度は自分が透析になりますよと。私は、プロレスラーっていう特殊な仕事をしていますので。腎臓への打撲や外傷は、なくはない。事務系のお仕事よりも、リスクが高いんですが。

――2021年の12月に生体腎移植の話が出て、2022年の4月くらいから具体的な検討段階に入り、8月の手術に向けて準備を進めていたと。

そうですね。移植外来を受診したら、8月31日という日程が出た。それに向けて、準備に入った。移植は、相手あってのもの。拒絶反応があるとダメなので、血液の相性を調べたりして。そして術後は、レシピエントは免疫抑制剤を使って治療するので、それに支障がないことも条件。お互い、がんがあったりとかではまずいから、スクリーニング検査もやって。

私のほう、ドナーのほうも、移植した後に、腎臓が一つになっても耐えられる体かどうかという検査も。これも徹底的にやる。それで、全部クリアになって。最終的にやりましょうってことになったのは、7月頭くらいだったかな。

――で、移植手術のための入院の直前。延期を検討、という連絡が入ったんですね。

そうなんです。移植手術の1週間くらい前に、移植検討会ってのがあって。移植をする泌尿器科の先生と、腎臓内科の先生と、コーディネーターの方々が、移植に関しての最終的な判断をするということで。

そこで、腎臓内科の先生から、クレアチニンの数値が、入院前2・5~2・6だったのが、2・2~2・1くらいまで改善傾向にあると。あと、これまでの1年間の血液検査の推移を見ると、もちろん上下はありますけど、平均するとクレアチニンが2・5くらい。eGFRも、平均で15くらいだと。15未満だと、ステージ5で透析なり、移植の適用になるんですけど。まあ、ほんと微妙なところだったみたいです。

それで、もちろん(予定通り)移植もありなんですけど、今、二人とも、とりあえず元気な状態。その状態で全身麻酔の大きな手術をして、合併症や拒絶反応のリスク、それもゼロではないので、そのリスクを背負ってまでするのもどうか、という判断だったそうで。まだ腎臓が機能している段階で、移植手術をやって、後悔することになるとよくないのではないか、と大学病院からご提案をいただいて。

――そもそも、パートナーとはいえ、自分の臓器を提供することに、ためらいはありませんでしたか?

まったくありませんでした。20年以上、一緒にいますし。私がどん底にいた時、そばで支えてくれましたし。彼女の仕事(演歌歌手)を考えても、透析よりも移植がベストだと思いました。やっぱり、透析となると、食事の制限、水分の制限、時間の制限があります。やっぱりこれから先も、元気なステージの姿を見たいと思っているし。それが透析になっちゃうと、なかなか難しいのではないかと。だから、2択じゃなくて、1択しかなかったという感じです。少しでも長く一緒にいたいと。人生楽しみたいと思いました。

プロレスラー、歌手、タレント、僧侶の肩書

――プロレスラー、歌手、タレント、僧侶。松野さんの肩書、すごいですね。

それはもう、離婚の騒動があって。一回、人生の大リストラにあってしまって。当時、本当にもう、メディアのほうも、コンプライアンスなんて全然ない時代。ワイドショーなんて、もう、タイトル作って、それに合わせた画だけ撮りに来るっていう世界だったんで。夜でもなんでも平気でピンポン(呼び鈴を)押して来るし。カメラ回して家に入ってくるし。本当に来るんです。ドアを開けたら開けたで、面白おかしい画になるし、出なかったら出なかったで、反応ありませんって報道される。そういう世界だったんです。

皆さんが思っている以上に、そのとき心労があって。「ろうそく生活」って言われたんです。揶揄されて。でも、お金なくて。これ本当に。ろうそくで生活してたってのを報道されました。本当にお金はマイナスで。これ言っちゃうとアレなんですけど、クレジットカードとか、そのほかのカードを何枚かキャッシングして使っていたりとか。あとは生命保険を解約して生活してたりとか。報道以上に、つらい、悲惨な生活でしたよ。お金は本当になかった。

――支援してくれる人は?

ワイドショーで私が揶揄されているところを見た、ある方がいまして。離婚裁判に入る前。調停中だったんですけど。その方が、私が本当に自殺するか、犯罪を犯すかくらい病んでいる、と思ってくださったみたいで。私の家のポストに、「力になりたいのでお電話ください」って一枚の名刺を入れてくれたんです。その方が。

で、私も半信半疑だったんですが、電話しましたら、ちゃんと話を聞いてくれて。それで、今調停中みたいだけど、こんなにマスコミが騒いでいたら、決着しないし、これから裁判になると思うんだけど、弁護士さんもいないんでしょ、お金もないんでしょって言うんです。そうですって打ち明けて。そうしたら、じゃあ、私がお金を出してあげるからって。弁護士さんも紹介してくれて。これから、あなたが闘っていく力になりますからって。

――その支援者は、どんな方なんですか?

一般の方でした。お会いして。言葉通りに弁護士さんを紹介してくれて。手付金だけで、130万円。それも払っていただいて。それまで本当に孤独だったんですけど。悩みとかあるたびに電話すると、2時間でも3時間でも聞いてくれるんです。

で、まあ裁判で争ったのは、慰謝料どうこうではなく、離婚するかしないかっていうことだったんで。結果的には、離婚を認めるっていう判決だったんですけど。ただ、自分が一番そこで闘いたかったのは、暴力とか、お金を使い込んだとか、当時さんざんマスコミで言われた部分。そこは白黒つけたいって思って。それまでは、本当にお金なくて。アルバイトしようと思って、履歴書を書いて、面接に行ってもけんもほろろっていうか。コンビニとかも受けたんですけど。全然相手にされない状況だったんで。

ワイドショーも、過剰な画を撮りたがって。私がお金に困ってるのをわかっているんです。ギャラいくら出しますから、お願いします、とか言ってきて。ゴールデンの番組でもですね。司会者、名前出したらまずいんで言わないですけども、その番組の司会者と、直接電話でお話しているところを生放送で撮らせてくれ、と。そうしたら50万円、とか言うわけです。ただ、自分としては、暴力とか、横領とか、その疑いがかけられていたので。白黒はっきりさせるまでは、取材されても、お金を受け取っちゃいけないっていう思いで。苦しくて、喉から手が出るくらいお金が欲しかったですけど。お断りして。

ただ、一審の判決が出て。暴力や横領はなかった、ということがはっきりしたんで。それからはもう、前向きに割り切って、いただける仕事はなんでもいただこうと。取材来ても、悪口言われても、お金をいただいて、ギャラをもらえば仕事として割り切ればいいって思って。180度気持ちを入れ替えたんで。判決が出てから。そのときに、田代純子も、同じ同郷(福島県)で。歌を一緒にやろうって、救いの手を差しのべてくれたんです。

まさに地獄のような状況

――それまでは、まさに地獄のような状況だったんですね。

そうやって悩んで、落ち込んで、つらい思いをした時から、気持ちを切り替えようとして。無理してやっていたところもあったと思う。その心労で、うつ病になったのかなって。うつ病っていっても、私の場合、神経症の部類だったといいますか。自殺念慮があったりとか。そういうときは、入院して治療してたんですけど。でも、なかなか薬も効かなかったんです。抗うつ薬にも反応しなくてですね。長くかかったんです。自分の場合は。

2003年くらいに入院して。1ヵ月くらい。退院しても、なんとなくスッキリしなくって。なんかあるとお酒に逃げて。睡眠薬飲んでってことを繰り返して。これを続けてたら、2008年に、急性肝不全で心肺停止になったんです。それでもやっぱり退院すると、またお酒飲んで、薬飲んで、つらいことあるとごまかすっていう。そういう生活やってて。

転機になったのは、2011年の東日本大震災。その時は、もうアルコール依存症っていいますか。でも、変な話、震災でお酒が飲めない状況になった。自分のマンションも、生活ができないくらい壊れたんで。当時は、田代と別々に暮らしていたんで。彼女のところに避難させてもらって。

刻々、震災の状況が変わるわけです。水がない。電気がない。だから、強制的にお酒が飲める状況から離れられたってわけです。それで何日も過ごして。福島市だったんで、浜通りのほうから避難している人に慰問活動をしようってなって。機材持って、体育館とかを回り始めて。そこでやっぱり、大変な方と対峙して。なんの罪もない人が命からがら逃げ出してきて。中には、家族が津波でさらわれてって人も。そんな方を見ていると、それまで、自分が離婚だなんだってつまんないことに悩んで。お酒飲んで、睡眠薬飲んでごまかして。非常に恥ずかしい。そういうふうに思って。まあ、それでお酒やめて。

2011年の3月の終わりくらい。DDT(所属するプロレス団体)のプロレス興行があって。後楽園ホールで。まあ、心肺停止から2年半、休んでたんですけど。震災があって、サプライズで元気な姿を見せてくださいってことを、皆さんに言われまして。後楽園に行って。2年半も離れていたのに、ウェルカムって感じで。お客さんも選手も。休み前と同じ。あったかい接し方をしてくれて。そこで気持ちを入れ替えて。そこから、体を鍛え始めたんです。

――体を鍛えたのはジムで? 自宅で?

プロレス復帰に向けて、自宅で始めました。ほとんど動けない体だったので。本当に、まともに階段も昇れない。そのくらい足腰も弱った状態で。だから、まずはできることから、と考えて。家の中で、足踏みから始めました。最初は5分。次の日8分。で、10分と延ばしていって。そのくらい動けなかった。体が弱ってて。そのうち、外に出られるようになって。川の近くを30分歩こうと思って。まずは歩くことから。で、震災で閉まっていたジムがやっと再開して。にわかですけど、筋トレやって。そうやって、やっとプロレスの復帰戦を迎えられたって感じです。

うつを克服しプロレス復帰を果たした松野さん。

だから、目標があった。プロレス復帰という。うつ病が回復したのは、それがあったのが大きかったんです。まず、体が健康になると、気持ちも健康になる。行動に移すための「何か」がないと、うつの改善ってやっぱり難しいですよね。たまたま自分の場合は震災っていうのがあったんですけど。おかげさまで、震災の後、1年くらいで抗うつ薬が不要になって。睡眠薬もなくなり。それからまた揺り戻しがあるのかなって思ってたけど。逆にだんだん、体も元気に、改造できて。仕事も忙しくなってきて。血液検査も、もうめちゃくちゃだったのが、今はどこも悪いところがない。そして、今年は肉体美を競うコンテストでグランプリも取って。

腎臓病のための料理を毎日

――腎臓病のための料理を毎日作っているそうですね。

子ども時代、ボーイスカウトやってたんで。自分でなんでもやってみるっていう。その教えが役立ってるっていうか。料理を作るのは苦にならない。ただ、彼女は制限がある食事なんで。たんぱくが1日50グラム、塩分が6グラム、カリウムがまあ2000ミリグラムくらい。腎臓に負担をかけないためには、これを守らないと。計算したり、電卓たたいたり、秤を使って計量したり。それがちょっと大変ですけどね。料理を作ること自体は楽しいです。Instagramにずっとアップしてます。

松野さんが田代さんのために毎日手作りしている腎臓病食。

制限食なので計量するのが大変だという。

――田代さんとは今、一緒の家にお住まいなんですか?

そうです。彼女も料理、上手なんですけど。やっぱりね、自分のことになると、どうしてもなかなか続けるのは大変なんです。そこは私も、自由業っていうか、時間的にも余裕があるんで。
今の仕事としては、自分が持っているプロダクションで、福島でプロレスの大会をやったりだとか。歌のイベントとか。ここ数年はコロナでできてないですけど。あとは、プロレスラーもやって。お声がかかれば、テレビとかラジオにも出ています。そんなので収入を得ています。早く年金、欲しいです。途中、ちょっと払ってない時期もあったんですけど。年金機構からは、毎年試算表は来てるんで。大丈夫かなと。

――今後の予定は?

しばらくは、この生活を続けたいです。田代の腎臓の数値を見ながら。せっかく先生から移植手術の延期をご提案いただいたので。欲が出てきて。体にメスを入れないで済むんだったら、このままいきたいなと。お互いに。食事制限はあるにしても。状態を保ちながら、仕事も復帰して。充実させていきたいですね。

ゴージャス松野◆プロフィール
1961年福島県生まれ。1986年、東宝芸能入社。マネージャーを務めていた沢田亜矢子と結婚するも、離婚騒動のバッシング報道で誹謗中傷。再起を期して路上人生相談を第一歩に、講演、ホスト、プロレスラー(DDTプロレス所属)、タレント活動などを行う。

(『壮快』2022年12月号より一部抜粋)

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