5月記事に引き続き、BSテレ東4Kの「土曜は寅さん!4Kでらっくす」で放送されている「男はつらいよ」シリーズのお話しだ。今月のテーマは、その4K画質がいかにつくられたか、だ。放送は非常事態宣言の影響もあり、一時、ピュア4K放送が2K放送に変更されたが、今は、正常な4K放送に戻った。
執筆者のプロフィール
麻倉怜士(あさくら・れいじ)
デジタルメディア評論家、ジャーナリスト。津田塾大学講師(音楽理論)、日本画質学会副会長。岡山県岡山市出身。1973年、横浜市立大学卒業。日本経済新聞社を経てプレジデント社に入社。『プレジデント』副編集長、『ノートブックパソコン研究』編集長を務める。1991年よりオーディオ・ビジュアルおよびデジタル・メディア評論家として独立。高音質ジャズレーベル「ウルトラアートレコード」を主宰。
▼麻倉怜士(Wikipedia)
▼@ReijiAsakura(Twitter)
▼ウルトラアートレコード(レーベル)
状態が良くなかったオリジナルネガフィルム
前回も述べたが、画質が素晴らしい。黒の深さに安定感があり。肌色がいい。まさに日本人の肌がここにある。エッジが柔らかいのはフィルムならではの特徴だ。しっかりと立っているのだが、質感がしなやかで繊細だ。日本的な細やかな画調にて、すべての登場人物の人柄の温かさが、画調の暖かさに象徴されているようだ。
49作のデジタル修復とカラーグレーディング(画質調整)は、2017年3月から2019年2月までの2年を掛けて行われた。まず、調布にある東京現像所でフィルムデータをデジタルに変換する。フィルムを目視チェックし、付着したゴミや油、カビを取り除くために洗浄。ARRISCAN、SCANITYHDRという2つのスキャン装置で、4K解像度(最大4688× 3648画素)で1コマずつスキャンする。1秒に24コマだから、1分で1440コマ、映画の尺の100分だと14万4000コマにもなる。
スキャン後は修復作業に入り、傷や汚れをデジタル上で直す。次ぎに退色した色調を調整し、シリーズを通した統一的な画調を創りあげるため、グレーディング作業を行う。修復は東京現像所と五反田のイマジカで手分けして行われた。(一部はお台場の松竹映像センターでも行った)。
今回の大修復を指揮した五十嵐真氏(松竹映像センター取締役技術本部長)にインタビューした。まずオリジナルネガフィルムの状態はどうだったのだろう。
「1969年から1995年まで、49作が製作されています。およそ一年に2作のペースです。公開日に間に合わせるために時間のない中でプリント作業が行われたり、また人気作品なので、再公開も多く行われ、そのたびにオリジナルネガからプリントしたりしていたので、たくさんの細かい傷がネガフィルムに付いていました」(五十嵐真氏)
つまりあまり良い状態ではなかったということだ。
貴重なオリジナルタイミングデータ
修復できわめて重要なのはディレクターズ・インテンションだ。極端な話、グレーディング段階でどんな画調もつくれる。よりはっきりとしたコントラストにもなるし、色もこってりと乗せ、色相もどんな色にも変えられる。だからこそ、制作者がどんな思いで、映像をつくったかというオリジナルの意図は徹底的に尊重されなければならない。
幸いだったのは、カラー調整に関するオリジナルタイミングデータが残っていたことだ。「男はつらいよ」シリーズは全作が調布の東京現像所で、フィルム現像からカラー調整まで一貫して行われていた。「実は東現さんは、秘密の画質レシピをお持ちなんです」と五十嵐氏が、明かした。
「東現さんが初号現像の時にカラー・タイミングを行うので、全作品の詳細なデータが残っているのです。今回のカラー・グレーディングでは、そのデータがたいへん役に立ちました」(五十嵐真氏)
カラー・タイミングとは、監督と撮影者の意図に従って、ネガからプリントへコピーする際に色調整する作業。現代的に言えば、カラー・グレーディングである。撮影現場の補完作業としてフィルム現像の時に、あるべき色やコントラストに可能な限り変更する。換言するとタイミングデータに、制作者の画調への意図が詰まっているのである。「それは”東現の閻魔帳”みたいなもので、今回のグレーディングでは、たいへん参考になりました」と五十嵐氏は言う。制作者の意図にそってカラー・タイミングされたデータが残っていたのは、幸いであった。
松竹のコンセプトは「女優の肌色」
グレーディング作業は、時間との闘いだった。2017年3月から2019年2月までの2年間で、49作もこなさなければならない。単純計算でひと月に2作だ。とても一つの会社だけではリスクがある。そこで「男はつらいよ」シリーズの知見がある東京現像所、松竹と小津映画などのデジタル修復を手掛けてきたイマジカ、そして松竹映像センターとでコラボレーションする必要があった。具体的にはグレーディングを二段階で行う。前段階は東現で、後段階はイマジカでグレーディング。この分散作戦で、なんとか期日までに間に合わせることが出来たという。
グレーディングでは2つの大方針を掲げた。「肌色がいい。まさに日本人の肌がここにある。質感が艶艶している」と、前号のインプレッションでも述べたが、この映画は肌色が良い。日本人の持つ、微妙な中間色のグラテーションがリアルに再現されている。
「麻倉さん、松竹映画が伝統的にとてもこだわっていることは、何かわかりますか? 女優さんをいかにきれいに撮るかです。換言すると、女優さんをいかにきれいにスクリーン上で、観ていただくかです。カットによっては複製したインターネガの箇所や、フィルムの退色が進んでいる箇所で、女優さんの顔色ににごりが出ていました。特に前期の作品に目立ちました。そこで、今回は、特に顔色再現に注意するグレーディングを心掛けました」
と五十嵐氏は、言う。
迷惑な思いと、肉親が帰ってくるという喜びが融合した心情的な空の色
もうひとつ、フィルム特性の活かし方だ。「男はつらいよ」シリーズでは一貫して、国産のフジフィルムが使われた。新製品が出るごとに、最新フィルムを使うことも多かった。新製品は保存品質が安定していなかったのか、シリーズで時期により、クオリティにばらつきがあった。2作目「続・男はつらいよ」と6作目「男はつらいよ 純情篇」 で使ったフジ製品では少し粒子が粗く、9作目「男はつらいよ 柴又慕情」から18作目「男はつらいよ 寅次郎純情詩集」のフィルムは、色がいまひとつ出にくかった。そこで、シリーズとして一貫とした色再現を目指して、グレーディングを行った。
五十嵐氏によると、フジフィルムの特別な使い方が、「男はつらいよ」のストーリーをある意味、象徴しているという。
「一般的な特徴として『コダックはイエローより』、『フジフイルムはシアンやマゼンタより』の発色をすると言われています。冒頭、荒川の土手を帰ってくる時の空はフジフィルムなのだから、からっと晴れた、ピーカンのすがすがしい空色、シアンよりになると思いがちですが、山田監督の狙いはくすんでいるような、すこし灰色に近い青なんです。これは私の想像ですが、厄介者の寅さんが帰ってくるという迷惑な思いと、でも肉親が帰ってくるという喜びがないまぜになった、心情的な空の色なのかもしれません。だから、そうした複雑な思いが反映された空の色にされたのだと思います。グレーディングでもこうした思いを尊重しました」(五十嵐真氏)
なるほど、ディレクターズ・インテンションとは、こういうことなのだと分かった、とてもいい話だ。ぜひ、そんな観点で、BSテレ東4Kの「土曜は寅さん!4Kでらっくす」を鑑賞しよう。
文◆麻倉怜士(デジタルメディア評論家)
【放送予定】
2020年7月18日(土)18:30~20:54
BSテレ東
土曜は寅さん!4Kでらっくす
「男はつらいよ 葛飾立志篇」
【解説】寅さんを実の父親だと思い込み訪ねてきた少女。“お父さん”の一言に寅次郎を始め一同騒然!旅先で和尚に諭された寅さん。学問に目覚め柴又へ。下宿していた考古学者を目指す大学助手の女性に惹かれ、寅さん俄然向学心に燃える!「男はつらいよ」シリーズ第16作。