筋肉博士・石井直方さんが2度のがんから生還して考えたこと 大腰筋の「太さ」の重要性

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がんによって筋肉が落ち自身の衰えに愕然として、このままではいけないと入院生活や手術前後にも、病室や無菌室で体を動かせる機会があればスクワットを続けた、東京大学名誉教授の石井直方さん。がんサバイバーになって気づいたことや考えたこと、また、大腰筋の太さと、手術後の回復の速さとの関係について、書籍『いのちのスクワット』著者の石井直方さんに解説していただきました。

解説者のプロフィール

石井直方(いしい・なおかた)

1955年、東京都出身。東京大学理学部生物学科卒業、同大学院博士課程修了。理学博士。東京大学教授、同スポーツ先端科学研究拠点長を歴任し現在、東京大学名誉教授。専門は身体運動科学、筋生理学、トレーニング科学。筋肉研究の第一人者。学生時代からボディビルダー、パワーリフティングの選手としても活躍し、日本ボディビル選手権大会優勝・世界選手権大会第3位など輝かしい実績を誇る。少ない運動量で大きな効果を得る「スロトレ」の開発者。エクササイズと筋肉の関係から老化や健康についての明確な解説には定評があり、現在の筋トレブームの火付け役的な存在。
▼石井直方(Wikipedia)
▼専門分野と研究論文(CiNii)

本稿は『いのちのスクワット』(マキノ出版)の中から一部を編集・再構成して掲載しています。

体力には自信があったのでがん宣告は青天の霹靂

健康には、自信がありました。長年にわたり体も鍛えてきましたし、健康診断でも特に異常を指摘されたことはありません。食事にも気を遣ってきました。
ですから、自分ががんになるとは思ってもみませんでした。がんの宣告を受けたときは、さすがに驚きました。

ただ、がん宣告のショックで気が動転したり、ガックリ落ち込んだりすることはありませんでした。むしろ「しょうがないな」という気持ちで、事態を冷静に受け入れていました。がんという病気は、いつ誰が罹ってもおかしくない病気です。いくら健康に配慮していても、体を鍛えていても、罹ってしまうときはあるので、それはそれで仕方ないと。

実は、悪性リンパ腫のステージ4だったと私が知るのは、3回目の入院治療を終えたときだったと思います。それまでは、悪性リンパ腫の中でも、症例が少なく、進行の速い、かつ予後の悪いタイプとだけ聞いていました。

最初の宣告のとき、ステージ4と教えられたら、どう自分は感じたろうかと、自問してみました。しかし、おそらく、「しょうがないな」という感想に変わりはなかったろうと思います。
ただ、血液がんと固形がんでは、そもそもステージの意味合いが違いますので、ステージ4とはいってもあまり深刻ではないかもしれません。

生命の危機を感じた瞬間

その後、生命の危機を感じた瞬間が何度かありました。

悪性リンパ腫の診断を受け、最初の入院治療に入る前のことです。腹水がおなかにたまり、肺にも胸水がたまっていました。横になると、背中が痛くてたまりません。
夜中、トイレに立つと、肺の中の水の位置が変わるので、呼吸がしにくくなります。息をしようと思っても、呼吸が全くできないときがありました。

このときは、自分はとても危ないところにいるのだと実感しました。

悪性リンパ腫は血液がんのひとつで、白血球の中のリンパ球ががん化したものです。最終診断名は、「びまん性大細胞型B細胞リンパ腫」でしたが、最初は「原発性体腔液リンパ腫類似リンパ腫」というめずらしいタイプかもしれないとされていました。

あまりリンパ節に腫れが出ないタイプで、気づかないうちに、がん細胞が全身に散らばっていました。
1回目の入院時、分子標的薬(がん細胞の表層にある特定のたんぱく質に結合するように設計された抗体)と4種類の抗がん剤を併用する治療を1カ月かけて行いました。

この治療が劇的に効いたように思います。自分の体から、がんが抜けていく感覚、体が解放されていく感覚が確かにあったのです。担当チームの狙い通り、標的をきちんと捉えることができたのでしょう。

その後も、残っているがん細胞をなるべく減らすために、分子標的薬と抗がん剤の複合投与を合計6クール行いました。その間、2回目の入院をし、自家移植のための骨髄造血幹細胞を採取しました。
そして最後の3回目の入院で、再発を防ぐための最終治療として「骨髄造血幹細胞自家移植」を行いました。

保存しておいた造血幹細胞を移植する前には、それまでの抗がん剤とはタイプの違う抗がん剤を3日間連続で超多量投与しました。移植の前に、残っている造血幹細胞を根絶やしにするためです。

しかし、この段階で一時的に免疫機能がほぼゼロにまで落ちるので、感染症や基礎疾患がなく体力が十分にあることが条件になります。しかも、約1カ月間、無菌室に閉じ込められることになります。

このときは抗がん剤の多量投与の副作用で、心臓に締め付けられるような痛みが生じ、心房細動まで起こりました。ほかにも髪と体毛がすべて抜けるなどの副作用がありましたが、新しい造血幹細胞が根付いたのを確認し、1カ月間の治療を終えて退院できました。

主治医とスタッフのみなさんの最適な治療のおかげであることはもちろんですが、私自身、長年のトレーニングによる基礎的な体力があったからこそ、きびしい治療を乗り切ることができたのでしょう。
さらに、無菌室の中でも「スロースクワット」をやっていました。

そもそも抗がん剤は、細胞のたんぱく質合成を抑える作用があるので、筋萎縮を助長してしまうのです。しかし、スロースクワットのおかげで、退院時には比較的楽に歩くことができました。

本稿は『いのちのスクワット』(マキノ出版)の中から一部を編集・再構成して掲載しています。

肝臓に新たながんが見つかった

悪性リンパ腫の治療の予後はきわめて順調で、4年間、再発のきざしも全くありませんでした。

しかし残念なことに、2020年の夏の終り、再びがんが見つかりました。悪性リンパ腫のときもそうでしたが、私は最初異変に気づかず、無理してしまうパターンを繰り返してしまいました。そこは、やはり反省しなければいけないでしょう。

その夏は、体調がややすぐれない日々が続いていました。暑い日が多かったので、熱中症ではないかと勝手に解釈し、それ以上自分の体調を気遣うことはありませんでした。
というのも、8月末に世界の高校生に向けて英語でオンライン講義をするという仕事があり、その準備もあって、気づかぬうちに無理を重ねていました。

無事講義も終わり、9月のはじめ、庭木に水をやっているときに、明るい日差しのもとで、腕の皮膚がやけに黄色いことに気づきました。

そういえば、最近尿が妙に黄色い、というよりオレンジ色に近くなっていることに思い至りました。みぞおちの辺りが痛くて、なかなか寝られないこともありました。原因もわからず全身が痒くなることもありました。

これは、ひょっとして……と、近くの医院で調べてもらうと、黄疸でした。悪性リンパ腫の再発も考えられましたから、その日のうちに東大病院を受診すると、そのまま入院。結局、2カ月間、帰ってこられませんでした。

悪性リンパ腫の再発や転移ではなく、肝臓の肝門部というところの胆管に、新たにできたがんでした。診断名は、「肝門部胆管がん」。

肝門部というのは、肝臓の中の胆汁を通す管(胆管)が集まった出口にあたります。この部分の胆管にがんができて胆管が閉塞してしまうと、胆汁を十二指腸に排出できなくなり、肝臓内に貯留した胆汁の分解成分であるビリルビンが血中に蓄積することで黄疸が生じます。

肝臓は「沈黙の臓器」といわれますが、多くの場合、こうした症状が出てはじめてがんであることがわかるようです。言い換えると、がんが発見されたときには、すでに病状がかなり進んでしまっているということになります。

がんは肝臓内部の胆管へと広がりつつありました。肝臓全体に広がったら助かりません。どこまで広がっているかを調べ、その部分を完全に切除可能なら根治を目指せます。できなければ、抗がん剤と放射線で対処するしかありません。

さまざまな検査の結果、肝臓の左側の3分の1に相当する部分には、まだがんが広がっていないことがわかりました。ならば、切除で根治が可能ではないかという結論になりました。

二度と受けたくないつらい治療

肝臓を部分的に切除する場合、術後、残された肝臓がちゃんと修復・再生して大きくなるまでもつかどうかが問題です。私の場合、3分の1しか残っていませんから、十分に再生が進まないうちに肝不全に陥るおそれもありました。

再生の余力を高めるため、切除手術の前に、肝臓を太らせる治療が行われました。肝臓に栄養を送る2本の肝門脈のうちの1本を塞ぎ、手術で残す肝臓の側だけを、前もって肥大(代償性肥大)させておくのです。この手術を肝門脈塞栓術といいます。

実はこれがつらい治療で、二度と受けたくないと今でも確言できるほどのものでした。背中の動脈からカテーテルを肝門脈まで入れてつめものをするのです。カテーテルの操作は、レントゲンでその位置を確認しながら行います。そのとき「息を吸って止めてください」といわれるので、本人が覚醒していないとできません。
これを繰り返しやり、肝門脈が完全に閉塞するまで、結局5時間ぐらいかかりました。局所麻酔はしましたが、動脈の中を異物が通る感覚があるので、痛いというか、とても嫌な感じでした。

私はこれまで、研究のために、マウスやラットの特定の筋肉を太らせるという手術を数え切れないほど行ってきました。協働筋を切除することで、目的の筋肉を代償性肥大させます。今度は、同じようなことを自分がやられることになったのです。ばちが当たったのかな?と思ってしまいました(苦笑)。

イラスト/細川夏子

2度死んでもおかしくなかった

悪性リンパ腫での1回目の入院後に足腰の衰えを実感して、その後の2回目、3回目の入院時や、肝門部胆管がんの手術の前後にも、スロースクワットを柱とした筋トレを続けてきました。

近年では、がんに限らず大きな手術の前後には、しっかりと筋トレなどの運動を行って体力をつけるとよいという考え方が広まってきています。

私自身も、肝門部胆管がんの手術日の約3週間前から、定期的な筋トレを始めました。スクワットはもちろんですが、自転車エルゴメーター(エアロバイク)や、呼吸筋のトレーニングも行いました。

予定されていた手術では、みぞおちの下からおよそ40cmにわたって大きく腹部を切り開きます。筋力が足りないと、このような手術後には、横隔膜の上げ下げがうまくできなくなってしまう人もいるのです。そうした障害を避けるため、前もって専門の器具(簡単な器具ですが)を使って呼吸筋を鍛えます。

吸気の体積を測りながら、目標値まで息を吸っていきます。これを、1セット10回、1日3〜5セット。私は、普通の患者さんよりも吸う力が強く、器具の上限値の2.5ℓを1日10回、朝昼晩やっていました。
呼吸筋のトレーニングだけに限りませんが、こうしてさまざまな「プレコンディショニング」を行い、筋力・体力を少しでもアップさせておくことが、手術の成功や予後を左右するとされています。

スロースクワットも、もちろんメニューに入っていました。
このときは、紹介しているスロースクワットより、少し刺激の強い方法で行いました。
それは、4秒かけて腰を落としたら、そこで4秒キープ(ここが紹介のスクワットよりきつい部分)、次に4秒かけてゆっくり立ち上がるというものです。これを8回×3セット行いました。

スロースクワットを行うのは週に2~3回、合間に体幹や上肢のトレーニングを挟むようにしました。また、以前共同研究も行ったことのある、立派なリハビリ室に赴き、エアロバイクこぎなども行いました。

10月21日に肝臓と胆管の切除手術。12時間以上かかる大手術でした。
一人の人間の周囲に執刀医、麻酔医をはじめとして何人もスタッフがつきそい、12~13時間という長い時間をかけて手術を成功まで導いてくれたのです。主治医の先生やスタッフのみなさんにはいくら感謝してもしきれません。

術後2日目までは集中治療室。その後病室に戻ると直ちに、全身にチューブを9本つけたまま、ベッドから立ち上がって、また腰を下ろすという「イスから立つだけスロースクワット」を始めました。最近の臨床研究では、術後もできるだけベッドに寝ている時間が少ないほうがよいとされているそうです。
術前、術後の筋トレのかいもあって、11月7日に退院。術後これほど短期のうちに退院できる例はまれだそうです。横隔膜の上げ下げにも全く問題は起こりませんでした。

このように書いてしまうと、術後から直ちに元気満々という印象を受けてしまうかもしれません。しかし実際はというと、傷口は痛く、おなかは重く、とてもしんどかったのです。おそらく知識がなかったら、安静にしているだけで、筋トレなどしなかったでしょう。知識は大事です。この本を書いた理由もそこにあります。

大腰筋の太さの重要性

検査で肝臓のCT画像を撮影すると、腰部のインナーマッスルである大腰筋がいっしょに写ります。
東大病院では、この大腰筋の太さと、手術後の回復の速さとの関係を調べていました。私の大腰筋も、データの一例に加わりました。

多くの患者さんのデータの分析から、大腰筋が太いほど、つまり体幹の筋肉がしっかりしているほど、術後の回復が速いことがわかってきたということです。

実際、私自身の大腰筋はかなり太かったらしく、そのおかげで早期の退院が可能となったのかもしれません。

こうして私は、無事に、元気な体で自分の家に帰ってくることができました。筋肉を鍛えていなかったら、私のようなケースでは2度死んでいてもおかしくなかったかもしれません。

◇◇◇◇◇

なお、本稿は書籍『いのちのスクワット』(マキノ出版)の中から一部を編集・再構成して掲載しています。筋トレは、いくつになっても始めることが可能で、いくつになっても効果をもたらします。90代のかたも決して例外ではありません。著者の石井直方先生が、がんの治療中に行っていたスクワットも、スロースクワットだったと言います。「入院中のスクワットは、まさしく私のいのちを支え続けたといっても言い過ぎにはならないと思います」(石井直方さん)。本書は「スロースクワット」の効果と方法について、石井直方さんご自身の体験もふまえながら、一般の方向けにやさしく解説した良書です。詳しくは下記のリンクからご覧ください。

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2021-11-06 10:25

※(8)「【スロトレとは】効果と起源 その仕組み 自重トレーニングの長所|筋肉博士・石井直方さんが解説」の記事もご覧ください。

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