近年、大きく注目されている「ナッジ」とは、ヒトが望ましい行動を取れるように後押しするアプローチのことです。あくまで自発的に、その人にとって望ましい行動に誘導することが特徴です。ナッジについて、著者で多摩大学特別招聘教授の真壁昭夫さんに解説していただきました。
解説者のプロフィール
真壁昭夫(まかべ・あきお)
多摩大学特別招聘教授。一橋大学商学部卒業後、第一勧業銀行(現みずほ銀行)入行。ロンドン大学経営学部大学院卒業後、メリル・リンチ社ニューヨーク本社出向。みずほ総研主席研究員、信州大学経済学部教授、法政大学大学院政策創造研究科教授などを経て、2022年から現職。「行動経済学会」創設メンバー。『ディープインパクト不況』(講談社+α新書)、『2050年世界経済の未来史: 経済、産業、技術、構造の変化を読む!』(徳間書店)、『MMT(現代貨幣理論)の教科書』(ビジネス教育出版社)、『仮想通貨で銀行が消える日』(祥伝社新書)など著書多数。
本稿は『イラスト&図解 知識ゼロでも楽しく読める! 行動経済学のしくみ』(西東社)の中から一部を編集・再構成して掲載しています。
イラスト/桔川シン、栗生ゑゐこ、フクイサチヨ、北嶋京輔
よりよい選択に誘導?「ナッジ」とは
行動経済学を使って、ヒトが望ましい行動を取れるように、後押しするアプローチのこと!
ヒトには、「自分で決めたい」という欲求があるので、他人から禁止されたり、命令されたりすると反発したくなります。
例えば、持病が悪化している人が、他人から「早く病院に行くべき」と忠告されても反発して先延ばしにする…といったことがありますね。
そこで、近年、大きく注目されているのが「ナッジ」です。
ナッジとは、行動経済学の知見から、ヒトが望ましい行動を取れるように後押しするアプローチのことで、「肘でそっと押す」という意味の英語です。
報酬や、規制・罰則などで誘導するのではなく、あくまで自発的に、その人にとって望ましい行動に誘導することが特徴です。
ナッジを発案したのは、ノーベル経済学賞を受賞したセイラー教授らで、世界各国で導入されています。
ナッジで有名なのが、オランダのスキポール空港のトイレです。
ここの男性用小便器には小さなハエの絵が描かれています。用を足すとき、男性は無意識にこのハエを目標にします。
この結果、飛散による汚れは80%も減少し、清掃コストを20%も削減できたのです。
このほか、スウェーデンのストックホルムでは、地下鉄駅の階段をピアノの鍵盤のようにデザインして、階段を踏むたびに音が出るようにしました。
住民の健康のため、エスカレーターではなく階段の利用を促進するのがねらいでした。この結果、階段利用率は、66%も上昇したのです。
本稿は『イラスト&図解 知識ゼロでも楽しく読める! 行動経済学のしくみ』(西東社)の中から一部を編集・再構成して掲載しています。
スキポール空港のトイレ
「ヒトは的があると、そこにねらいを定める」という分析に基づき、男性用小便器の内側に、小さなハエの絵が描かれた。
男性は、無意識にこのハエをめがけて用を足すため、小便の飛散が8割も減った。ナッジの成功例として知られる。
日本でも、コンビニやスーパーのレジ前に、足跡や矢印のステッカーが貼られていますよね。これも、行列整理を目的としたナッジなのです。
レジ前のステッカー
ナッジの代表的な事例として、コンビニやスーパーのレジ前の床に貼られた矢印や足跡のステッカーがある。
これにより、店員が誘導しなくても、客どうしが自発的に整列できるように促している。
ナッジの重要なポイントは、「その人の意思で選択させて、よりよい行動に誘導すること」です。例えば、ビュッフェ形式のレストランで、野菜や果物を目につきやすく、取りやすい場所に置くことで、健康増進へと導くのはナッジですが、レストランからジャンクフードやデザートを排除するのはナッジとはいえません。「選択の余地」を残しておく必要があるのです。
ビュッフェの陳列方法
ビュッフェ形式のレストランでは、手前に並んだ料理や、目の高さにある料理が取られやすい。
これを利用して、客にそれと気づかせることなく、健康的な食事へと誘導できる。
ナッジのポイントは、あくまで選択の余地を残しておくこと。「自分で選択した」という意識で行動させることが重要。
▼ナッジではない事例
▼健康によくない料理を禁止する。
▼「健康に悪い」と注意書きを出す。
▼野菜や果物を食べたら、料金を安くする。
ナッジは、公共政策でも成果を上げています。イギリスでは、2010年にナッジの政策活用を推進する組織「ナッジ・ユニット」が設立され、50%程度だった年金の加入率を約80%まで上昇させました。
本稿は『イラスト&図解 知識ゼロでも楽しく読める! 行動経済学のしくみ』(西東社)の中から一部を編集・再構成して掲載しています。
ナッジ・ユニットが開発した「EAST」
イギリスの内閣府傘下に設置された組織「ナッジ・ユニット」は、行動経済学の成果をもとに、実際の現場で使える考え方の枠組みを開発した。
※EASTはEasy・Attractive・Social・Timelyの頭文字を取ったもの。
Easy(かんたん)
▼デフォルト(初期設定)を活用して、自動的に選択させる。
▼手続きなどの面倒な要素をなくし、行動につなげる。
▼メッセージをシンプルにして、指示を明確にする。
Attractive(印象的)
▼文字や写真、画像、デザインなどを工夫して、注意を引く。
▼金銭以外の楽しさや達成感などのインセンティブを設計する。
▼「損失を避けたい」という心理を活用する。
Social(社会的)
▼多くの人がやっているという社会規範を示す。
▼仲間を巻きこむなど、ネットワークの力を利用する。
▼周囲に行動を宣言し、自ら行動するように誘導する。
Timely(タイムリー)
▼受け入れやすい時期(タイミング)を見計らって介入する。
▼現状維持バイアスを考慮し、長期的な利益やコストを示す。
▼対処方針を事前に計画させて、確実な行動につなげる。
ナッジは、選択がむずかしいときや選択の結果がわからないときなどに、役立ちます。
ナッジが有効な場面
1 選択がむずかしい
▼どれを選ぶべきかわからない場合
メニューの数が多すぎるなど
2 めったに起こらない
▼過去にほとんど経験したことがない場合
大学選びや結婚など
3 結果がすぐにわからない
▼選択とその結果にタイムラグがある場合
ダイエットや禁煙など
4 フィードバックがない
▼選択の結果をすぐに得ることができない場合
社会人の勉強など
5 選択の結果が不明
▼選択してどういう結果になるのか想像しにくい場合
保険商品など
◇◇◇◇◇
なお、本稿は書籍『イラスト&図解 知識ゼロでも楽しく読める! 行動経済学のしくみ』(西東社)の中から一部を編集・再構成して掲載しています。近年、注目されている「行動経済学」は、心理学の理論を応用した、比較的新しい経済学のことです。伝統的な経済学の理論では、人間は常に合理的という条件を前提にしています。しかし、人間は、ときにはおかしなことをする。ダメといわれると余計にやりたくなってしまう。常に合理的とは限らない“私たち”がつくっている社会や経済も、理屈通りではありません。それを考察するのが行動経済学です。行動経済学で使われる言葉には、一般的に理解しにくいものがありますが、具体的なイメージをつくることで理解しやすくなります。それを実現したのが本書です。わかりやすいイラストを見ることによって、行動経済学のおもな理論をより深く理解できるだけでなく、日常の生活にも十分に役立ちます。豊富なイラストとともにオールカラーでやさしく解説しています。