短時間の高血糖が合併症を起こして、すぐに死に結びつくことはありません。しかし、重症低血糖は対処を誤ると、命にかかわることもあるので、注意が必要です。【解説】難波光義(兵庫医科大学病院病院長・兵庫医科大学理事)
解説者のプロフィール
難波光義(なんば・みつよし)
1976年、大阪大学医学部卒業。78年、同大学第2内科入局。83年、医学博士の学位受領、英国ロンドン大学留学。その後、大阪中央病院内科医長、大阪大学医学部第2内科講師などを経て、2003年、兵庫医科大学第2内科教授。13年、同大学内科学糖尿病・内分泌・代謝科主任教授。現在、同大学病院長と同大学理事を兼任。
「重症低血糖」とは?
糖尿病の薬物治療によって血糖値が下がりすぎる
糖尿病が疑われる患者さんは、全国で950万人ほどと推定されています。そのうち薬物治療を受けている人は、3分の1の約300万人ほどいらっしゃると思われます。
糖尿病の治療は、なんのために行うのでしょうか。それは、高血糖によって目や腎臓、神経などへの合併症を起こさないためです。しかしその一方で、薬物治療によって血糖値が下がり過ぎると、今度は「低血糖」という別の問題が起こってきます。
低血糖とは、血糖とインスリン(膵臓から分泌される血糖値を下げるホルモン)の作用のバランスがくずれて、血糖値が低くなり過ぎた状態をいいます。血糖値は通常、ある一定範囲で制御されていますが、70㎎/㎗を下回ると低血糖と診断されます。
低血糖になるとどのような症状が出る?
低血糖になると、脳に糖が運ばれなくなります。脳にとって、ブドウ糖は唯一のエネルギー源です。それが足りなくなると、脳は停電と同じ状態に陥り、正常に機能しなくなります。そこで、必死で電源を確保しようと、アドレナリン(エピネフリン)、コルチゾール、グルカゴンといった血糖値を上げるホルモンを分泌します。
これらのホルモンは、体を興奮状態にして、体内に蓄えたブドウ糖の貯金をくずし、血液中に糖を供給します。そのとき、自律神経(血管や内臓の働きを調整する神経)のうちの緊張時に働く交感神経のほうが優位になります。そして、冷や汗や手足の震え、動悸、頻脈、不安感などの症状(自律神経症状)が現れます。これは低血糖の前駆症状(前ぶれ)で、血糖値の低下を警告するサインです。こうした前ぶれは、血糖値が50〜70㎎/㎗のときに起こります。この段階なら、ブドウ糖や甘いジュースを飲んだり、アメを口に含んだりすれば、症状は回復します。
治療が遅れると命にもかかわる「重症低血糖」
しかし、この時点で対処しなければ、さらに血糖値が30〜50㎎/㎗まで下がり、中枢神経に異常を来す症状(中枢神経症状)が現れてきます。例えば、めまい、目のかすみ、眠気、倦怠感、頭痛、思考力低下、錯乱、異常行動などです。
こうした「重症低血糖」の状態までくると、早急に医療機関へ搬送してもらい、血糖値を70㎎/㎗以上に上げる治療を受けなければなりません。治療が遅れると、脳に後遺症が残ったり、意識障害や昏睡を起こしたりすることもあります。短時間の高血糖が合併症を起こして、すぐに死に結びつくことはありません。しかし、重症低血糖は対処を誤ると、命にかかわることもあるので、注意が必要です。
糖尿病患者における重症低血糖の実態調査でわかったこと
糖尿病患者における重症低血糖について、これまでその実態を調査した報告はありませんでした。そこで私たちは、日本糖尿病学会の認定教育施設193施設に協力してもらい、重症低血糖の頻度、誘因、患者の背景などを調べました。
なお、重症低血糖の定義は、「自分一人では対処できない低血糖症状があり、発見・受診時の血糖値が60㎎/㎗以下」としました。
その調査からわかったのは、次のようなことでした。
●重症低血糖の患者数
救急部を併設している施設(149施設)の年間総救急搬送件数は、平均で4962件。そのうち重症低血糖による搬送数は17件(0.34%)でした。これは、救急搬送された300件に1件の割合になります。全193施設における糖尿病受診者数は、約35万人。そのうち、重症低血糖による受診者数は年間2237例でした。
ここから以下は、2型糖尿病(インスリンの作用不足で血糖値が高くなる病気)における重症低血糖を中心に報告します。
重症低血糖の主な誘因(医師の判断)
●低血糖を起こした薬剤
重症低血糖を起こした薬剤は、61%がインスリン製剤、33%はスルホニル尿素薬(SU薬)で、両者を合わせて94%を占めます。SU薬はインスリンの分泌を促す、効きめが強い薬で、インスリンを打てない高齢者によく使われています。
●低血糖を起こした年齢
低血糖を起こすのは65歳以上が多く、平均年齢は77歳でした。薬剤別に見ると、インスリン製剤群は平均で74歳、SU薬群は81歳です。
●低血糖を起こしたきっかけ
救急外来で立ち会った医師によると、食事を抜いたり、食事時間が遅れたりといった食事と薬の不適合が最も多く、次に薬の量を間違えたり、飲み過ぎたりしたケース。さらにカゼや夏バテなどで体調不良の日(シックデイ)や、大量飲酒、運動のやり過ぎなどが挙げられました。
●直近のヘモグロビンA1c
低血糖を起こした人の直近のヘモグロビンA1c(過去1~2ヵ月の血糖状態がわかる指標)は、全体の平均が6.8%と低めでした。インスリン製剤群は7.2%、SU薬群では6.4%でした。
●前駆症状の有無
低血糖の前ぶれがあった人は35.5%、なかった人は35.6%、残りの28.9%は不明という回答結果でした。これは前ぶれに気づかないまま重症低血糖を起こした人が、3人に1人以上もいるということです。
重症低血糖を起こさないための正しい対処
この調査の結果から、考えられることをお話ししましょう。
まず、重症低血糖の搬送数ですが、我が国の総救急搬送件数からして年間推計で約2万件になります。これは日本のどこかで、1時間に2人以上、重症低血糖で搬送されている計算になります。そう考えると決して少なくありません。
薬のとり方は医師の指示を守ることが大事
低血糖を起こす原因薬剤は、ほとんどがインスリン製剤とSU薬です。特にこれらの薬のとり方は、医師の指示を守ることが大事です。高齢者の場合、低血糖を起こしていることが疑わしい場合は、薬の量を減らすことも検討してもらうといいでしょう。よく、薬を飲んだかどうか忘れるという人がいます。そういう場合は、重ねて飲まないことです。薬を誤って多く飲むと、効き過ぎて低血糖を起こします。
行き過ぎた糖質制限は危険!
また、医師に相談しないで行き過ぎた糖質制限を行うことも危険です。薬を飲んでいる人は、糖質制限をすると低血糖を起こしやすくなります。外でお酒を飲むときには、糖質の少ないつまみばかりを注文しないで、低血糖を起こさないように、糖質を含む食品も頼んでください。
高齢者には前触れがないケースが多い
重症低血糖を起こした人の約4人に3人は60歳以上です。つまり、多くは高齢者です。
今回の調査で、高齢者の血糖コントロール目標(ヘモグロビンA1c)が厳し過ぎることもわかりました。そこで、糖尿病学会と日本老年医学会は、高齢患者のヘモグロビンA1cの目標値を新たに提唱しました。低血糖を起こしやすい薬剤(インスリン製剤やSU薬)を使用している患者は、目標値を1%緩めて8%(75歳未満は7.5%)にし、中等度以上の認知症のある人は、さらに緩やかにしました。
高齢者は、前ぶれもなく重症低血糖を起こしているケースが多いこともわかりました。10年以上糖尿病を患っている人では、症状が出にくく、無症状のままいきなり昏睡に陥ることがあるのです。それに、重症低血糖を起こすと、その度に脳にダメージが蓄積されます。その結果、低血糖を認知する機能が低下して、再発をくり返すという悪循環に陥ります。
緊急時には手助けしてもらえる態勢を整えておく
インスリンやSU薬を使っている患者さんは、常にブドウ糖を持ち歩き、少しでもおかしいと思ったら、すぐに飲んでください。
また、近所や勤務先の人にもあらかじめ病名を告げておき、緊急時には手助けしてもらえる態勢を整えておくといいでしょう。