認知症になると、さまざまなトラブルが起きます。被害者にも加害者にもなります。悲劇が起きないよう、まずは実情を知っておきましょう。人気テレビ番組のコメンテーターとして活躍する弁護士の住田裕子さんに、近年急増中の「シニア世代の法律トラブル」について解説をしていただきました。
解説者のプロフィール
住田裕子(すみた・ひろこ)
弁護士(第一東京弁護士会)。東京大学法学部卒業。東京地検検事に任官後、各地の地検検事、法務省民事局付(民法等改正)、訟務局付、法務大臣秘書官、司法研修所教官等を経て、弁護士登録。関東弁護士会連合会法教育委員会委員長、獨協大学特任教授、銀行取締役、株式会社監査役等を歴任。現在、内閣府・総務省・防衛省等の審議会会長等。NPO法人長寿安心会代表理事。
本稿は『シニア六法』(KADOKAWA)の中から一部を編集・再構成して掲載しています。
加害者にも被害者にもなる認知症ならではの原因・特徴
認知症になると、さまざまなトラブルが起きます。被害者にも加害者にもなります。悲劇が起きないようまずは実情を知っておきましょう。
加害者になる認知症ならではの原因
自動車に硬貨などで傷をつけた事件(器物損壊罪)、深夜高速バス車内で就寝中の女性乗客のスカートをめくりあげて下着を盗み見た痴漢事件(強制わいせつ罪、条例違反など)、コンビニエンスストアでの食品万引き事件(窃盗罪)、繰り返す無銭飲食(詐欺罪)……。高齢者に多い事件の例です。
中には重大な結果につながってしまうものも少なくありません。冬になると多発する、たばこや火の始末が悪くて付近のものに延焼させる失火事件などは、本人や近隣住民の生命を奪う結果となることもよくあります。
これらの原因は、判断力が低下しているために、本能的に目の前のものに魅力を感じて、行動を抑制できないためとみられています。また、幼児的な快楽(面白さ)を求めるケースもあります。失火・自動車事故などは過失によるものが多く、例えば、注意力が散漫になっていることや、体力全般の衰えから必要な手順を踏めない、などによるうっかり事故が多いとみられます。
被害を招きやすくする認知症の症状
次のような認知症症状が犯罪被害を助長します。
▼引きこもり状態
オレオレ詐欺の被害者の7~8割は高齢者です。認知症の初期症状の「引きこもり状態」にある寂しい高齢者に「自称息子」などが助けを求めてくると、頼りにされていることを意気に感じて、多額の金銭を騙し取られてしまいます。
▼取り繕い反応
認知症の特徴である誘導にのりやすい「取り繕い反応」。わかったふりをしてしまうので、巧妙に言いくるめられて理解できないまま、言われるがままに老後の資金を根こそぎ奪われてしまうこともあります。
▼記憶障害
物忘れ・記憶障害があると、犯人はそこを上手について騙します。警察で被害の事情聴取をしようとしても、正確な話が聞けない、現金などを渡した相手の姿も忘れて特定できない、などの理由から犯人の検挙がむずかしくなります。また、その人の情報を犯罪集団に知られて、詐欺の被害にも次々とあいやすくなります。
▼被害妄想
「高齢者施設での現金窃盗事件発生!」という事態がよくあります。被害申告があると、警察が急行しますが、果たしてそれは事件なのか被害妄想なのか、警察が悩むところです。実際には被害妄想か、現金のしまい場所を忘れているかのケースが多いといわれています。しかし、それをよいことに高齢者宅を訪問する親戚や知人が、手にしたばかりの年金を盗んでいくこともありますので、気は抜けません。
監督者の責任家族の責任はどこまで?
誰もが認知症になる可能性があります。判断力が落ちると、予想もしない事故・事件を引き起こすことがあります。本人は、刑事・民事ともに責任を負わないという場合、果たして、本人を見守っている家族にはその責任が及ぶのでしょうか?
この条文
▼民法 第713条(責任能力を欠く者の責任)
精神上の障害により自己の行為の責任を弁識する能力を欠く状態にある間に他人に損害を加えた者は、その賠償の責任を負わない。ただし、故意、または過失によって一時的にその状態を招いたときは、この限りでない。
刑事法上の責任能力
刑事責任については、加害者本人の判断能力が欠如してしまっていると判明した場合は、「心神喪失」として不起訴となるか、起訴されても無罪となります。欠如はしていなくとも、その能力が著しく低下している場合は起訴猶予、嫌疑不十分などを理由として不起訴となることが多いでしょう。
なお、犯罪は個人の責任ですので、家族が犯行を助けるなどの共犯者でない限り、家族は刑事責任を問われません。
民事法の不法行為における責任能力
重い認知症などの「精神上の障害により自己の行為の責任を弁識する能力を欠く状態」であれば、損害賠償責任は負わないとされています。その代わりに「法定の監督義務者」「事実上監督していた人」が被害者への損害賠償責任を負う場合があります。未成年者なら親権者、被成年後見人なら成年後見人です。後見人がいない場合でも家族などが監督義務者となることがありますが、ケースバイケースです。
次の項から、実際の例を見ていきましょう。
認知症高齢者によるトラブル交通事故を起こしてしまった
【事例】
高齢者による自動車事故が増加しています。本人はまだまだ大丈夫だと思っていても、家族は心配です。もし、事故を起こしてしまったら、本人だけでなく家族も責任を負うのでしょうか?
【ワンポイント】
加齢により運転への適性が低下しているとしても、少なくとも自ら運転しているという事実から、ある程度の判断能力がある(責任無能力ではない)と判断され、自分の行為の責任は自分で負うことになります。
高齢者は交通事故の被害者だけではなく加害者にもなり得ます。赤信号の見落とし、アクセルとブレーキの踏み間違い、間違いと感じてあわててしまい、かえって急加速した結果、大事故の発生……。このような現状を受け、道路交通法の改正が進んでいます。70歳以上の高齢者は、運転免許証の更新時に高齢者講習を受けることが義務化されました。75歳以上は、認知機能検査を受けたうえで、その結果に応じた内容の講習を受けることも義務化されました。さらに、一定の違反歴がある75歳以上には、実車試験も義務付けられます(令和4年度~予定)。不合格なら免許は更新されません。再受験は可能ですが、合格は厳しくなるでしょう。
刑事責任はどうなる?
自動車事故によって他人にけがをさせた場合は、「過失運転致死傷罪」に当たります。普段運転している以上、責任能力はあると判断されます。しかし、判断能力やとっさに対応する行動能力が落ちており、事故の危険性が増していることは事実です。なお、事故を起こして気が動転するなどしたために、被害者の救護や警察への通報を怠り、その場から逃げるケースもあります。しかしこれは、「ひき逃げ」の重罪で、逮捕される可能性があります。防犯カメラや車の塗料破片などの捜査によって、検挙率は極めて高く、逃げおおせることはできません。
民事責任はどうなる?
治療費・慰謝料以外に、休業損害、後遺障害がある場合の労働能力喪失割合に応じた逸失利益、死亡の場合の葬儀費用、物的損害の修理費など……交通事故は、さまざまな被害が発生します。運転している以上、民事上も責任能力はあるとされるでしょう。
人身事故の場合、自賠責保険から損害賠償の一部が補償され、その限度額を超える損害が任意保険によって補償されます。これらの保険に入っていないと加害者が自己資金から賠償金を支払わなければなりません。高額になりますから、損害保険の更新手続きを怠らないようにしましょう。刑事裁判では、示談(和解)のために保険金以外に自己負担金を上乗せして支払うケースもあります。
万一支払えない場合には自己破産という手段がありますが、悪質な事故の場合、破産は認められても債務の免責は認められないことがあります。
▼過失相殺
被害者が赤信号で道路を横断したり、急に物陰から道路に飛び出したり、夜間に道路の真ん中を徘徊していたなどの場合には、被害者にも一定の落ち度があるとみなされ、過失相殺されることがあります。損害の一部を被害者が負担することになり、加害者の支払う賠償金が減ります。
一方、被害者が高齢者である場合、「高齢者の動きには注意すべきであるのに怠った」として、加害者側の落ち度が加算されるケースが多くあります。
家族の責任は問われるのか?
通常、車の運転が一定程度できるということは、責任能力が欠如しているわけではないので、その点で家族には監督義務はなく、その責任は、問われません。しかし、認知症が進行していて普段から危険を感じるほどであれば、ケースによっては、監督義務が発生します。例えば、普段の行動もおぼつかないのに、勝手に自動車の鍵を持ち出して車に乗り込み、いきなり急発進して事故を起こしたなどの場合は、本人に責任能力が認められず、監督義務者がその監督義務を怠ったとして本人に代わって責任を問われることは十分にあり得ます。
その他の条文
▼自動車の運転により人を死傷させる行為等の処罰に関する法律
第5条(過失運転致死傷罪)
自動車の運転上必要な注意を怠り、よって人を死亡させたり傷害を負わせたりした者は、7年以下の懲役、もしくは禁錮、または100万円以下の罰金に処する。ただし、その傷害が軽いときは、情状により、その刑を免除することができる。
▼道路交通法 第117条(ひき逃げ)
第1項 車両等(軽車両を除く)の運転者が、当該車両等の交通による人の死傷があった場合において、第72条(交通事故の場合の措置)第1項前段の規定に違反したときは、5年以下の懲役、または50万円以下の罰金に処する。
第2項 前項の場合において、同項の人の死傷が当該運転者の運転に起因するものであるときは、10年以下の懲役、または100万円以下の罰金に処する。
なお、本稿は『シニア六法』(KADOKAWA)の中から一部を編集・再構成して掲載しています。詳しくは下記のリンクからご覧ください。
※(1)「【責任とは?】シニア世代ならではの法律トラブル」の記事もご覧ください。