縮小傾向の家庭向けプリンター市場で話題沸騰中なのが、リコーが2019年4月に発売した「Handy Printer(ハンディープリンター)」。プリンター自体を紙の上でスライドさせることで、ノートや段ボールなどにもプリントが可能なモバイルプリンターだ。
話題の商品徹底解剖!リコー「ハンディープリンター」のキーパーソンに訊け!
リコーが2019年4月に発売した「ハンディ-プリンター」は、新感覚のモノクロインクジェットプリンター。ユーザー自身が本体を手に持って紙の上をスライドさせる仕組みで、これまでは印刷が難しかった場所にも印刷が可能だ。この商品のアイデアはどのように生まれたのか、また、アイデアを実現できた技術とはどのようなものだったのか。技術開発と商品企画の担当者に訊いた。
●キーパーソンはこの人!
普通のプリンターでは勝ち目は少ない
家庭向けプリンター(複合機も含む)の市場は縮小傾向にある。主な用途である年賀状の発行枚数が年々減少していることも原因の一つだろう。実際、筆者も数年前に複合機を廃棄して以来、自宅に置いていない。
そんな状況下で、あるインクジェットプリンターが話題を呼んでいる。リコーが2019年4月に発売した「RICOH Handy Printer」(以下、ハンディープリンター)だ。
「ハンディープリンターは、手のひらサイズのモノクロインクジェットプリンターです。最大の特徴は、ユーザーが自分で本体を手に持ち、紙の上をスライドさせることで印刷ができること。これまでは印刷が難しかったノートや段ボールなどにも、プリントが可能です」
こう話すのは、ハンディープリンターの開発を担当した原田泰成さん。2013年に新商品の開発を任された原田さんは、リコーの商品ラインアップになく、かつ同社の持つ技術を生かせる商品、という着眼点から構想を練った。
その結果たどり着いたのが、モバイルプリンターというアイデアだった。
ただ、すぐに現在の形に行き着いたわけではない。モバイルプリンターは、リコーのラインアップにはないものの、他社からはいくつか発売されている。それらと同じものを作っても勝ち目は少ない。
「そこで、本体サイズをグッと小さくし、モバイルを極める方向性を考えました。ただ、そのためには、プリンター本体に用紙を通す機構がネックになります。だったら、用紙を通さない仕組みにしたらサイズを小さくできるはず、という発想の転換が生まれました」(原田さん)
[ハンディ-プリンター]
紙を通す機構をなくせば、モバイルを極めることができると思いました。
高度な制御技術で人の手の動きに対応
ようやく商品コンセプトの原形が出来上がったが、まったく別の課題も出てきた。通常の商品開発では、企画部門からの要望を受けて開発部門が動くことが多いが、今回は逆のケース。商品化に向けては、マーケティングの視点も必要になる。
そこで、原田さんが社内で相談を持ちかけたのが、営業経験もあり商品企画の部署にいた近藤友和さんだ。
「最初にこの商品の構想を聞かされたときは、とてもおもしろいと思いました。ただ、商品の使われ方が明確にならなかったので、営業担当者がお客さんを訪問する際に同行させてもらい、ニーズの聞き取りを行いました。これを繰り返すことで、徐々に商品の使われ方が見えてきて、それは商品の設計にも生かされています」(近藤さん)
こうして商品化に向けて動き出したものの、開発は困難の連続だった。当初から技術面の課題は数多くあり、これらを克服しないと商品にはならない。原田さんは、課題ごとに解決までの期間や道すじを設定し、一つずつクリアしていった。
多くの課題の中でも最大の難関だったのは、印刷品質をどう維持するかだ。
ハンディープリンターでは、本体を何度か左右に往復させて、通過する位置を少しずつずらしながら印刷する。つまり、プリントヘッドを人間の手で動かすことになるわけだ。
通常のプリンターでは、用紙を送るのもプリントヘッドを動かすのも機械なので、制御はしやすい。だが、ハンディープリンターの場合、速度や軌跡など、人によって異なる動かし方に対応しないと、きれいな印刷ができない。
「ハンディープリンターでは、印刷前にスタートボタンを押すことで、まずスタート位置を認識します。そのあとは本体に内蔵した各種センサー類で、印刷中の本体の位置と動きを把握し、それを基にインクの吐出タイミングなどを制御しています。この仕組みによって、一度印刷した場所では二度めは印刷を行わないなど、インクの重なりや、すき間が生じないように工夫しています」(原田さん)
この説明だけだと単純な仕組みのようにも思えるし、使う際にこれをユーザーが意識することもない。だが実際には、複数のセンサーから送られたデータを基に本体の位置と動きを割り出し、それをリアルタイムでインク吐出の動作に反映させるという、非常に高度な作業が裏で行われているわけだ。
しかも、この作業には相当な精度も求められる。というのも、同じようにユーザーが自分で本体を動かす製品にハンディースキャナーがあるが、これは読み取りに失敗したとしても、やり直せば済む。だが、プリンターは印刷のやり直しがきかないからだ。
開発メンバーは試作や調整を繰り返し、なんとか商品化できるレベルにまでこぎ着けた。そして、モバイルプリンターというアイデアが生まれてから約6年、ようやくハンディープリンターが発売されたのだった。
段ボールや子供服など使い途はいろいろ
さて、ハンディープリンターが発売されると、思わぬことが起こった。製造や小売り、物流などの現場向けに業務用として開発された商品だったにもかかわらず、ネットを中心に大きな話題を呼んで、多くの個人ユーザーが購入したのだ。
「5万円台という価格で、できることも限られている商品ですので、これは想定外の事態でした。購入していただいたのは、新しいコンセプトの商品に敏感なガジェット好きの人たちが多いと推測しています。今後は、私たちが想定していなかったような使い方も生まれることを期待しています」(近藤さん)
筆者も今回、試用してみた。段ボールや子供の服などにプリントしてみたが、印刷できるなどとは思ってもみなかった場所に印刷ができるというのは感動モノ。だが一方で、細かな使い勝手の部分に改良の余地があると感じたのも事実だ。
「私たちもこれで完成品だとは思っていませんし、まだ改良を続けていくつもりです。今後は、ユーザーさんから寄せられるニーズなども取り込んで、この商品をよりよいものに育てていきたいですね」(原田さん)
私たちが想定していなかったような使い方が生まれるのを期待しています。
Memo
ハンディープリンターは、iOSとAndroid、Windows向けのソフトウェア開発キット(SDK)が無償公開されている。自作アプリでユニークな使い方を考え出す人が出てくるかもしれない。
◆インタビュー、執筆/加藤肇(フリーライター)