「80」代の親が「50」代の自立できない、ひきこもりの子どもを経済的に支えるという「8050(はちまるごーまる)問題」。行き詰まりを抱える「親」と「子ども」との関わりについて、書籍『8050 親の「傾聴」が子どもを救う』の著者で、精神科医の最上悠さんに解説していただきました。
解説者のプロフィール
最上 悠(もがみ・ゆう)
精神科医、医学博士。うつや不安、依存などに多くの治療経験をもつ。英国家族療法の我が国初の公認指導者資格取得など、薬だけではない最先端のエビデンス精神療法家としても活躍。近年はPTSDから高血圧にまで効く“感情日記”提唱者としても知られる。早い時期から食と栄養、読書、運動等の代替医療効果を提唱し、自ら臨床実践してきた。複雑な心の治療では、“ハンマーを持つと、すべてが釘に見える”一流の専門家より、多彩な“道具”を持つ「二流のオールラウンダーこそ名医」がモットー。
▼専門分野と研究論文(CiNii)
本稿は書籍『8050 親の「傾聴」が子どもを救う』(マキノ出版)の中から一部を編集・再構成して掲載しています。
あと少しだけ、まず親が変わる努力を
「80」代の親が「50」代の子どもの生活を支える「8050(はちまるごーまる)問題」という言葉が生まれたように、今日の日本には、子どもが自立できない、なかにはひきこもったままの状態が長年続き、それを経済的に支える親が高齢化している例が増えています。
2018年末に内閣府が行った調査では、ひきこもり状態にある40〜64歳までの中高年は全国で60万人以上いると推計され、その下の年代と併せれば、その数は100万人を超えるとも言われています。さらに深刻なのは、その半数以上で本人が社会とのつながりを持とうという気持ちすらないという“本人拒否の壁”です。
私は精神科医として、さまざまな精神疾患の患者の診療を行う中で、患者と家族の人間関係を扱う「対人関係療法」や、家族関係を扱う「家族療法」などを実施し、ひきこもり本人やその家族とも接してきました。
ひきこもり自体は医学的に正式な病名ではなく、状態を指す言葉であり、社会的ひきこもりとも呼ばれます。しかし、さまざまな精神疾患が関係していることも少なくないうえ、そもそもひきこもり自体は決して健康的なことではなく、私自身は精神疾患の生まれる背景と共通する部分も多いと思っています。
精神疾患に罹患した場合、治療初期から患者自身の生活の自立を念頭においた治療が組み立てられる英国などとは異なり、日本では成人しても、行き詰まった子どもに対してはとりあえず親が面倒を見るべき、入院などが必要になった場合には家族が法的責任を負うべき、という考えが文化的にも制度上も未だに根深く残っています。
とりあえず親元で大きな問題を起こさなければよしとする風潮が根強かったため、結果的に核家族化の中、親任せで周囲からの適切な支援もなくひきこもりに至ってしまったケースが多いのも事実で、年を取れば取るほど克服するチャンスは失われ、本人が自立できず時間の経過とともに問題が深刻化する傾向にあります。
「行き違いの原因」こそが問題の核心
では、子どもはどんなことが原因で自立に向かうことから目を背ける(心理的ひきこもり)ようになり、ときには社会的ひきこもりにまで至るのでしょうか。
ひきこもりのきっかけや原因は人それぞれで多様なのですが、背景には共通する点もあるように思います。
それについて述べるのは、精神科医である私としては非常に勇気が要るのですが、日頃診療に当たってきた患者さんたちのケースを見ると、ひきこもりや問題行動など、子どもの心の行き詰まりの背景には、深刻なケースやこじらせているケースほど、親との確執や葛藤を抱えていることが少なくないという印象を抱かざるを得ません。
病名はさまざまであっても、長くひきこもり生活などに苦しむ患者さんたちに、初診時に私が、
「心の行き詰まりは、本音の感情を押し殺し続けた結果生じてくる現象とも考えられています。あなたも小さい頃からこれまでずっと、自分の心を殺して我慢してきたのではないでしょうか?」
と聞くと、ほぼ大半のかたがいきなり目を真っ赤にし、なかには涙が止まらないかたもいるほどです。
では、誰に対して感情を押し殺してきたのでしょうか? その大半は、もちろん親に対してです。
でも多くの親は、「こんなに好き勝手なことを言い、やっているのに、この子のどこが我慢しているのか?」と言います。
実は、親が未だに気づいていない、信じられないとさえ思っている、この行き違いの原因こそが、問題の核心なのです。
本稿は書籍『8050 親の「傾聴」が子どもを救う』(マキノ出版)の中から一部を編集・再構成して掲載しています。
ターニングポイントは親による「傾聴と共感」
ここで誤解していただきたくないのですが、私は親にすべての原因があると言うつもりはありません。そう決めつけるのは大きな誤りだとさえ思っています。
どこにかわいい我が子をひきこもりや病気にしようと思って育てる親がいるでしょうか。どんな親も我が子には立派な人間になってほしいと願って一生懸命に育てたはずだと私は信じたいと思っています。
それでうまくいったケースも世の中には数え切れないほど存在しているのも事実でしょう。ただ、なかにはそのやり方では、心に行き詰まりを抱えてしまう繊細な子どもがいることも事実なのです。そのような心の行き詰まりを抱えた子どもや家族と接して感じるのが、多くの場合、子どもは親が思うよりはるかに繊細な感受性を持っているということです。
もちろん、子ども時代から大人に虐待されて育ったようなかたは、怖くて素直な感情などとても出せずに心を押し殺してきたために、自身の心の有り様までわからなくなってしまい、生きることに迷いが生じるというのは理解できるところです。
問題なのは、親にしてみれば決して世間的にはずれた子育てなどしていない、それどころか手塩にかけて愛情を注ぎ育てていたはずなのに、同じような問題が我が子に起きるということなのです。
それは、子どもがあまりに繊細で素直で“いい子”過ぎたために、幼い頃から親の気分を害さないようにと忖度ばかりしたり、親の期待に応えようと優等生を演じ続けたことで、言いたいことを言えずに心の奥深くにため込んでしまった結果、それが限界をこえてしまい、ついにはいい子でいることに行き詰まり、心のバランスを崩してしまったために生じる現象なのです。そんなケースは少なくないと私は感じています。
こういう子どもたちは、表面上は学校でのいじめや職場でのトラブルなどを契機に、ひきこもりが始まったり、うつ病など心の病を患ったりしているように思えなくもありません。
しかし、そのあまりにも儚い心の脆弱性の背後には、重要な他者である家族関係も大きく影響することが精神医学的にも示唆されています。もっと言えば、家族との関係性においてつらい感情処理の習慣が適切に育まれなかったために、挫折に弱い癖がついてしまっているのだとも説明されます。
立ち直ったすべてのケースで、ターニングポイントになっているのは、親による子どもへの「傾聴と共感」です。
子どもが成人していても家族療法が効果的
「傾聴」とは、我が子の話を真剣に聴くこと。「共感」とは、話を受け止め、我が子の心の奥底にあるつらさや悲しさといった感情を理解し同じ気持ちになろうと努めることです。親がただひたすら子どもの話に耳を傾けるだけで子どもは大きく変わります。
傾聴・共感の方法は「家族療法」と呼ばれる治療法の一環として行われたものです。ケースによっては心の悩みに苦しむ成人の子ども本人ではなく、親だけに指導されることで、たとえ精神疾患であっても、そして診察に一度も来ないお子さんまでもが回復することもまれではありません。
しかし、ケアに疲弊した家族の支援は総論では誰も反対しないのですが、実態はとてもその支援体制が現状に追いついているとは言えず、ましてや介入対象の中心に家族を据えるタイプの家族療法は、現代の精神医学においては不十分なのが現実です。
特に我が国では歴史的背景からその傾向が顕著です。実践する家族療法の機会や家族会も日本にはまだそれほど多くはなく、有志のかたがたが自主的に開催しているところがほとんどで、体制的には決して充実しているとは言えません。
心の問題を管轄とする複数の行政機関の責任者に確認してみましたが、アルコール依存症以外は、家族会について情報さえも把握していないところが大半でした。我が国において、このような家族支援は、英国などのように法的にも十分には整備されておらず、自治体の体制や地域の社会資源の違いにより、窓口の形や対応もばらばらというのが実情です。
とはいえ、たとえ子どもが成人していても、心の行き詰まりや問題行動に家族療法が効果的であることは、私のこれまでの経験から強調したいのです。
叱咤激励は真逆のことをしているだけ
傾聴・共感の事例の中には、「そんなことがきっかけで、本当に子どもが立ち直れるのか?」と拍子抜けするようなやりとりがあるかもしれません。
でも、それまで自分の話に“本当の意味で”耳を傾けることなどなかった親が(少なくとも子ども本人はそう認識している)、真摯に話を聴いてくれて、しかもそれに共感してくれるというのは、親との確執やコミュニケーション不全に行き詰まり、心の病を患ってしまったような子どもにすれば、信じられない体験であり、何歳になろうとも目の前の世界がパッと開けたような至福すら感じるのです。
親との不和や確執を契機に子どもが心に行き詰まりを感じていたとしても、そこから救い出してくれる最強の武器もまた親なのです。親による傾聴・共感はそれだけ、どんなに優秀でも所詮は他人であるセラピストには及びもつかないほどの、大きな癒やしのパワーを秘めているのです。
家族の有り様はいろいろです。私自身は、成人した我が子に対して、傾聴・共感が親の義務などとは全く思っていません。親だけが子どもを助けられると簡単に言うつもりもありません。現実には多くの人々の助けがなければ、本当の意味でのリカバリーは得られないと思っています。
しかし、それでも私はあえて言いたいのです。
心の行き詰まりを抱えた子どもを唯一救えるのは親だけという家族が多数存在するのだと。親だけがすべてを救える問題ではないとしても、その立ち直りの一歩目には親の傾聴と共感がなければ、次のステップに進もうという気持ちにどうしてもなれない、成人した子どもがいっぱいいるのだと。
親の傾聴と共感で救える可能性があることを知らず、立ち直れない我が子に、愛のムチという認識違いから「甘ったれるな」「いい加減にしろ」と叱咤激励するなど、真逆のことをして事態を悪化させているだけの親に対しては、そうではないやり方でうまくいくケースが多々あるのだという事実をぜひ知ってほしいのです。
(子ども)
「何度言っても、親はわかってくれない」
(親)
「何度も聞いているし、何度も言われた通りにしてやっているのに、未だにこの子が本音では何を考えているかが、どうしてもわからない」
こんなギャップがある親子では、親は理解したいと思っているし、子どもはわかってもらいたいと思っている、いわゆるすれ違いの両想いなのです。こんなケースこそ、単純にボタンの掛け違いを直せばいいだけで、こんなことが延々と続くのはあまりにもったいないのです。
この記事を読んだだけで、ただただ不快感を覚える親は、その不快感が生じる背後にある自分自身の本音の感情に向き合い、見つめ直すことこそが、子どもの自立を阻み、親子を思考停止に陥れていた大本の問題を解決に向かわせるはじめの第一歩になる可能性すらあるのだと、ぜひ理解していただきたいと思っています。
70歳、80歳の親御さんには、まさに今がラストチャンス
みなさんの多くは、中年になって、ひきこもりも含めた折れた心の状態や問題行動、感情の制御不全から抜け出すのは難しいと思われているかもしれません。
ですが、子どもが40代、50代になっても、親が傾聴・共感してくれると、自然に前を向こうという気持ちになり、多少の挫折では心が折れなくなるというケースは間違いなく数多く存在します。
あなたがたとえ高齢の親であっても、今から我が子を見つめる目と接し方を変えることができれば、立ち直らせるのに遅すぎるということは決してありません。
何より、この記事を読んでくださったのは、我が子を立ち直らせようという意欲をまだ持っているからではないでしょうか。
それも、あなたが父親であるなら、それだけでも立派だと私は思います。特に、我が国の年配の父親の中には、「子育ては母親の仕事」などとゆがんだ価値観をまことしやかに信じ込まされ、我が子が心の病になるほど追い込まれているにもかかわらず、子育てに背を向けてきたかたさえ少なくないからです。
親が高齢であっても、子どもに立ち直ってもらいたいと願うだけで、すでに子どもは立ち直る方向に一歩歩みを進めたと言ってよいでしょう。
70歳、80歳の親御さんには、我が子がこれからの人生を幸せに生きるための力を身につけさせるための、まさに今がラストチャンスです。
傾聴・共感とは何かを知り、体は大きくなっても、感情処理の方法が未熟なために、心の奥底に苦悩を澱のようにため続けた結果、そこだけは幼いままの我が子の話をしっかり聴いて、心に寄り添ってあげてください。
たとえ、すべてが解決しなかったとしても、我が子の口からこれまで聞いたこともなかった本音や、考え及びもしなかった心の奥底からの言葉が出てきて聞けたならば、それだけでも親子にとって大きな意味を持つのではないでしょうか。本当にそれが叶ったならば、本人だけでなく、家族関係、そして親御さん自身の内面にも、さまざまな変化が生じることでしょう。
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なお、本稿は書籍『8050 親の「傾聴」が子どもを救う』(マキノ出版)の中から一部を編集・再構成して掲載しています。224ページにおよぶ本書は、さまざまな事例をもとに、親子のコミュニケーションの改善が問題解決につながるという観点で、やさしく丁寧にそのノウハウを解説した良書です。詳しくは下記のリンクからご覧ください。