赤ちゃんが生まれて幸せなはずなのに、毎日憂うつで涙が出る、食欲がない、赤ちゃんがかわいくない……。「産後うつ」と呼ばれるこうした症状は、初産の人だけでなく、2人目3人目を出産した母親や、父親にも起こることがあるといいます。特にコロナ禍においては、「里帰り出産ができない」「親に来てもらえない」「先輩ママに相談できない」など、出産前後の不安や孤独感が高まっているようです。産後うつへの対策を、獨協医科大学埼玉医療センターこころの診療科教授の井原裕先生に伺いました。【解説】井原裕(獨協医科大学埼玉医療センターこころの診療科教授)

解説者のプロフィール

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井原 裕(いはら・ひろし)

獨協医科大学埼玉医療センターこころの診療科教授。1962年生まれ。東北大学医学部卒。自治医科大学大学院、ケンブリッジ大学大学院修了。順天堂大学准教授を経て、2008年から現職。虎の門山下メンタルクリニック、ベスリクリニックでも外来を担当。専門は、うつ病、発達障害、プラダー・ウィリー症候群等。精神科臨床一般のみならず、産業精神保健、刑事精神鑑定等にも対応。できるだけ薬を使わない診療を行う。『生活習慣病としてのうつ病』(弘文堂)、『精神療法の人間学』(岩崎学術出版)など多数の著書がある。
▼獨協医科大学埼玉医療センター(公式サイト)
▼虎の門山下メンタルクリニック(外来)
▼ベスリクリニック(外来)
▼専門分野と研究論文(CiNii)

出産後の母親は疲れ切っている

体に大きなダメージを受けたまま24時間勤務

「お産は病気ではない」「みんなやってきたこと」などと言う人がいますが、とんでもないことです。9ヵ月もの時間をかけて、自分の臓器内で命を育み、時が満ちると3㎏もの赤ちゃんが体内から出てきます。出産時には体中に大きな負担がかかり、腰椎や骨盤を痛める人も少なくありません。また、胎盤が剥離したあとからは出血(悪露)が1ヵ月ほど続きます。

体に大きなダメージを受けた状態ですが、赤ちゃんが誕生すると同時に、授乳やおむつ替えなどの仕事が始まります。赤ちゃんは昼夜の区別がないので、お母さんは満身創痍で24時間勤務につくわけです。

妊産婦の自殺はガンや心疾患よりも多い

2018年9月5日、国立成育医療研究センターなどのチームが衝撃的な調査結果*を発表しました。2015~2016年に、102人の女性が妊娠中から産後にかけて自殺しており、妊産婦死亡の原因の中で最も多かったのです。

調査は2015~16年の妊娠中から産後1年未満の女性について、人口動態調査票のデータを分析して行いました。死亡した357人のうち、102人が自殺(そのうち92人が産後の自殺者)。病気などを含めた妊産婦死亡数の約3割を占め、最多でした。その他の死因は、ガンや心疾患、脳神経疾患などでした。産後の自殺者92人のうち約半数が35歳以上で、65%が初産でした。
*出典:人口動態統計から見る妊娠中・産後の死亡の現状(国立成育医療研究センター)

この数字を見ると、心身ともに追い詰められ、苦しんでいる母親がいかに多いかがわかります。「産後の自殺者92人のうち約半数が35歳以上」という事実も特筆すべきで、若い人よりも人生経験が豊富なはずのおとなの女性のほうがかえって自殺しやすいとは、産後うつが単なる人生の悩みとは異なることを示しています。

後ほど述べますが、これは、「年齢を重ねるほど、睡眠不足や睡眠相(何時に寝て何時に起きるかのパターン)の不安定さに耐えられなくなる」という事実に由来します。産後うつの本質は、「母であるゆえの悩み」ではなく、「母であるゆえの不眠」にあり、前者は後者の結果にすぎません。

加えて、今年に入ってからは新型コロナウイルスの感染拡大により、妊産婦への負担はより大きくなっているでしょう。実際、日本周産期メンタルヘルス学会の調査*でも、「本来のサポートを受けられない」「感染が不安で外出受診ができない」「不安で憂うつになった」「家庭内の不和」といった相談が増えているといいます。
*出典:COVID19 の感染拡大にともなう妊産婦のメンタルヘルスに関する実態調査PDF(日本周産期メンタルヘルス学会)

産後うつの症状

「マタニティブルー」との違いは?

「マタニティブルー」という言葉を聞いたことがあるでしょう。産後うつと混同しやすいのですが、実は全く違うものです。マタニティブルーは、出産直後から10日以内ぐらいに表れる心身の変化です。出産によるホルモンバランスの乱れが主因で、不眠や食欲不振、疲労、頭痛、涙もろくなるといった症状が出ますが、一過性のもので、自然に治まります。

それに対し、産後うつはホルモンバランスの乱れというよりも、大きな環境変化が原因とされます。
これは、母親だけでなく、父親も産後うつになる例が世界中で報告されている*ことからもわかります。
*出典:小児保健研究オンラインジャーナル第71巻第3号,2012(343~349)「父親の産後うつ」PDF)

こんな症状が2週間続いたら専門機関に相談・受診を

産後うつは、前述したように自分自身を傷つけてしまうことがあります。それだけでなく、赤ちゃんの生育や命にも関わる場合もあるので、注意が必要です。以下のような症状が2週間以上続いたら(心配なら2週間未満でも)、保健センターなどの専門機関への相談か、医療機関の受診をしましょう。本人は、相談や受診の気力が湧かないかもしれません。家族が様子を見て、連れていってください

▼本人の状態

・ずっと気分が沈み込む
・毎日のように疲労感が続き、気力が湧かない
・自分を価値のない人間(母親失格)だと思う
・家事や育児に集中できない
・赤ちゃんのことが過剰に心配でたまらない
・赤ちゃんのことに無関心になる
・日常生活の活動に興味がもてない
・「自分が悪い」と感じる

▼家族から見た様子

・笑顔がない
・ときどき泣いている
・それまでのように家事ができない
・赤ちゃんのめんどうを見られない
・悲観的、否定的なことばかりを口にする

相談窓口・受診する医療機関

出産した産科に相談

通常、産後1ヵ月に、出産した産科で赤ちゃんとお母さんの健診を受けます。産科によっては、産後2週間で設定しているところもあるようです。産後健診は、お母さんの体の復調を確認するほかに、産後うつの防止も大きな目的となっています。少しでも不安や不調を感じていたら、体調以外のことでも遠慮なく、医師や助産師、臨床心理士などに相談してください。

地域の保健センター

子育て環境の孤立化によるさまざまな問題を受け、国も支援を始めています。その1つが、「産後ケア事業」です。出産後1年未満の女性と乳児に対して、心身のケアや育児のサポートなどを行い、産後も安心して子育てができる環境を整えるというもの。病院や診療所、助産所などに短期入所したり、通ったり、専門家に自宅訪問してもらったりというサービスを受けられます。

この事業を行うのは市区町村(自治体)なので、地域の保健センターか役所に、まずは電話で問い合わせてみましょう。「産後ケアの相談窓口を教えてほしい」と言えば、適切な対応をしてくれます。役所のホームページに、詳細を記載している自治体もあります。2019年に「母子保健法の一部を改正する法律」が公布、産後ケア事業が法制化されたので、市町村は子育て支援に努める義務があります。「保健センターは今コロナ対応で大変なはずだから…」などと思わずに、気後れせずに、問い合わせてください。

精神科・心療内科を受診する際には

産後うつの患者さんをきちんと診察できる精神科医は、まださほど多いとはいえません。また、出産のダメージから回復していないお母さんの場合、産婦人科との連携も必要です。そのため、できれば産婦人科と精神科の両方を持つ、大学病院や総合病院が望ましいと思います。出産した病院に精神科があれば理想的です。もしくは、出産した産科で、産後うつに詳しい精神科や心療内科を紹介してもらうのもいいでしょう。

家族が産後うつになったら

育児は「母親だけの仕事」ではない

「産後のお母さんは睡眠不足が当たり前」と思っていませんか。よく、「夜中に赤ちゃんが泣くと、母親はすぐ起きるが、父親は全く目を覚まさない」という話を耳にします。これを「さすが母親だ」「母性本能のなせる業」などと賛美する傾向がありますが、とんでもないことです。

生まれたての人間の赤ちゃんは、首はぐにゃぐにゃで寝返りを打つこともできず、顔にかかった布を手で払うことすらできません。そんな赤ちゃんを育てなければならない、死なせてはならない、という使命感で、お母さんは睡眠中もずっと緊張しています。「すぐ起きる」のは、そのためです。しかも、赤ちゃんの睡眠時間は細切れ。数時間おきに泣きます。そのつど、お母さんが起きておむつを替え、授乳をする。日中も同様なので、まとまった睡眠時間が取れません。

妊娠と出産、母乳での授乳は母親しかできませんが、それ以外は他の人が代わることができます。例えば、「夜中の赤ちゃんの世話は父親が行う」という方法もあります。母乳育児をしているとしても、夜中だけミルクにしたり、搾乳しておいた母乳を与えたりすればいいのです。

もしくは、「赤ちゃんが泣いたら、まず父親が起きて、父親が母親を起こしてあげる」だけでも、ずいぶん違います。「自分が気づいて起きなければ」という緊張感から解放されることで、睡眠の質が上がるからです。

いずれの場合も、母親が「大丈夫かしら」と不安になるようでは意味がありません。「自分が責任をもって世話をする(君を起こしてあげる)から、ぐっすり眠るように」と言って、実行してください。

厚生労働省も、父親の育児休業取得を推奨*しています。特に、産後8週間は「出産後の母親をサポート」するために父親が休業することを想定しており、まさに上記のような支援をするための政策と言えるでしょう。
*出典:厚生労働省リーフレット「両親で育児休業を取得しましょう!」PDF

母親の睡眠確保を第一に考える

私はうつの患者さんに睡眠日誌をつけてもらい、睡眠時間と睡眠相(入眠と覚醒のタイミング)を整える指導をしています。働き盛りの男性の患者さんや、不登校ぎみの中高生の患者さんなど、適切な睡眠をとることで改善する例が少なくありません。

母親の睡眠に関しても、睡眠日誌をつけてもらうと、その不安定ぶりが明らかになります。まず、夜の睡眠が寸断されています。そして、概して短くなっており、また、日中の思いもよらぬ時間に長い睡眠をとっていることもあります。日による違いも大きく、寸断された数回にわたる睡眠をとっている日の翌日に、ほとんど一睡もできないような日もあります。睡眠不足になると、正常な思考が困難になります。考えがまとまらなかったり、優先順位がつけられなかったり、普段できることができなくなったりします。母親になっても、それは同じです。

また、「2人目(3人目)だから大丈夫」というのも、間違いです。2人目3人目の出産は、1人目の出産時より年齢を重ねています。睡眠時間の短縮や睡眠相ズレが、心身に与えるダメージが大きくなるのです。また、若いときに比べ、睡眠相のズレを正すのにも時間がかかります。結果として、短時間睡眠と睡眠相の不安定さが長く続くことになります。30代を過ぎると、一晩夜更かしをしただけで、1週間以上体調不良が続くことも珍しくありません。

まずは、お母さんの睡眠時間の確保を最優先してください。その際の目安は、二分割、三分割になってもいいので、夜間に、ある一定時間の睡眠をとるようにすることです。例えば、「20時から6時までの10時間の間に、合計7時間眠る」などです。そして、昼寝は、するとしても昼食と夕食の間に、30分程度にとどめること。午前中の昼寝は、夜の睡眠に悪影響を及ぼすので控えましょう。逆にいえば、「30分を超える昼寝をとる必要がないほどに、夜、長く眠る」ということです。

それから、よい睡眠のためには適度の疲労が必要なので、ウォーキング程度の軽い運動は行った方がいいと思います。産婦人科の担当医と相談しつつ、出産後1ヵ月ごろからはウォーキングなどの軽い運動を始めたほうがいいかもしれません。

また、授乳中のアルコール禁忌は広く知られていますが、授乳していない場合でも、飲酒は睡眠を浅くするなどの悪影響を及ぼします。「よく眠るために寝酒を飲む」のは逆効果なので、絶対にやめてください。

なお、家族でのこうした支援が難しいときは、前項で紹介した「産後ケア事業」を利用しましょう。開始している自治体が多いはずです。問い合わせてみてください。

まとめ

よく「母は強し」と言いますが、すべての母親が、生涯を通して強いわけではありません。皆さんには、「産後の女性は体に大きなダメージを受け、常に緊張していて睡眠を十分にとれない」ということ、そして、「睡眠不足がうつや不安の原因になっている」ということを認識していただきたいと思います。課題は、「夜、いかにしてまとまった睡眠を確保できるか」です。なぐさめや気休めや、励ましだけでは解決になりません。「お母さんが夜に眠れる環境調整」が、喫緊の課題となります。

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