車掌は運転席で仕事をしているだけなのに、いわれのないクレームを受けることがある。いったい乗務員室でどのような仕事をしているのか? 車掌がいつも乗務員室で後ろを向いている理由について、書籍『車掌出てこい! 英語車掌が打ち明ける 本当にあった鉄道クレーム』(マキノ出版)の著者、関 大地さんに解説していただきました。
著者のプロフィール
関 大地(せき・だいち)
1984年群馬県生まれ。2002年、JR東日本に新幹線の保線社員として入社。2007年、高崎線の車掌となり、後に英語アナウンスを導入、「英語車掌」と呼ばれるようになる。2019年JR東日本退社。同年、群馬県中之条町より、「花と湯の町なかのじょうPR大使」を委嘱される。著書には『車内アナウンスに革命を起こした「英語車掌」の英語勉強法』(ベレ出版)、『乗務員室からみたJR 英語車掌の本当にあった鉃道打ち明け話』(ユサブル)などがある。
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本稿は『車掌出てこい! 英語車掌が打ち明ける 本当にあった鉄道クレーム』(マキノ出版)の中から一部を編集・再構成して掲載しています。
イライラの矛先は車掌に
超満員の列車で起こった悲劇
「てめぇ、1人だけ悠々と座ってんじゃねぇ‼俺たちは毎日立ってんだ‼」
このクレームは、高崎線の朝の通勤時間帯でもらったものだ。僕自身、まさかこのようなクレームが来るとは思ってもいなかった。
車掌をしていると、実際にこのようないわれのないクレームをもらうことがある。
「えっ⁉ 車掌ってこんなクレームまで受けるの?」と驚く人もいるだろう。
別に僕はこのとき、乗務員室の運転席の背もたれに深く座ったり、脚を組んでリラックスして座ったりしていたわけではない。普段通りの仕事をしていただけでも、クレームにつながることが多々あるのだ。
いくら仕事を真面目にやっていたとしても、要領が悪かったり、対応に時間が掛かったりすると、乗客をイライラさせてしまうときがある。
他にも、日頃からストレスがたまっているのかもしれないが、何かしら理由を見つけて、いい掛かりをつけてくる乗客がいるのも事実だ。今回も、ほとんどの人は特にイライラしていない状況だったが、その乗客はものすごく興奮していた。
あなたは通勤時間帯で身動きが取れないような”超”満員の列車に乗ったことがあるだろうか? 具体的には、乗客が多すぎてドアがうまく開閉せず、駅員がそれを補助しているようなケースだ。
あくまで参考であるが、高崎線で使用しているE231系やE233系の普通車では、「1車両につき470~480人前後は乗っている」と思っていれば、ほぼ間違いはない。このくらいの乗車率だと、身動きを取ることすら難しい。立って乗車している場合は、つり革につかまらなくても倒れないほどだ。
僕は、乗客としてこのような列車に乗車したときは、ものすごく気を使っていた。周りに女性がいたときは、あらぬ疑いを掛けられないように、基本的には両手は頭上のつり革をつかみ、顔も天井に向けていた。
今回のクレームは、このような”超”満員状況の中、「自分は運賃を払っているのに、
立っている。なぜ、車掌は悠々と座っていられるのだ?」ということから発生した事象である。
確かに、このような超満員の列車に乗車してもらっているわけで、その気持ちもわかる。しかし、そこは切り離して考えていただけたらと思う。
まず当たり前のことであるが、乗務員室には運転席がある。あなたが運転士を見掛けるときは、座っていることが多いのではないだろうか?
もちろん駅を発車する前などでは立っていることもあるだろうが、始発駅や交代駅などを発車したら、終着駅などで別の乗務員と交代するまで、基本的には座って運転している。
乗客の安全を守りながらハンドルを握っているわけであるし、駅に到着する際にはブレーキを掛けて停止位置にピッタリ停めるというように、運転士の仕事内容は乗客にとっても明確なものである。しかし、車掌が運転席に座っていると、今回のケースのようにクレームをもらうことがある。
まず「座る」「座らない」という議論に入る前に、「車掌」の仕事は何をしているかという前提をここで押さえておきたい。
車掌は乗務員室でどのような仕事をしているのか?(その1)
まず、あなたが簡単に想像できる車掌の仕事は、次のようなことだろう。
(1)車内アナウンス
(2)駅到着のドア扱い(開閉)
(3)各駅で発車ベル扱い(鳴らすこと)
(4)車内改札・乗り越し精算
(5)車内巡回
車掌の仕事の中には、「運転」と「改札」という担当業務がある。(1)~(3)は主に運転担当の仕事で、(4)と(5)は改札担当が主に行う。
(1)の車内アナウンスは、あなたも簡単に想像ができる「次は東京、東京です。お出口は右側です」というもの。ここで僕は、肉声で英語アナウンスをしたことにより”英語車掌”と呼ばれるようになったわけである。
(2)の駅到着のドア扱いは、各駅に列車が到着したときにドアの開閉を行うことだ。
「ドアが閉まります。ご注意ください」と列車内からアナウンスが聞こえたら、車掌がアナウンスしてからドアを閉めるタイミングを見計らっていると考えてもらえるといい。
(3)の各駅での発車ベル扱いは、その呼び名の通り発車ベルを鳴らして、”間もなく列車が発車する旨”を乗客に伝えている。
ローカル線などで発車ベルが備わっていない駅では、手笛でその代わりをする。気付いた人もいると思うが、車掌が笛を吹いている駅は発車ベルの設備が無いところが多い。
“多い”と表現しているのは、満員の列車などでドアが閉まる注意喚起として吹く場合もあるからである。実際に僕は、上野駅の地平ホーム(高崎線は13番~15番ホームが多かった)でよく使っていた。
対して、改札担当はどのような業務なのだろうか?
(4)の車内改札・乗り越し精算は想像しやすいだろう。車内で寝過ごしたり、急遽、切符が買ってある区間の先まで行くことになったりした場合などに車内で精算する。最近は、SuicaやPASMOなどのICカードも普及してきているため、数は減ってきている。
(5)の車内巡回は、トイレの中で倒れている乗客はいないか、不審物や車内トラブルはないかなどの異常時に備えて、定期的に巡回することである。年末年始期間やゴールデンウィーク期間などは、特に強化して行っている。
車掌は乗務員室でどのような仕事をしているのか?(その2)
ここから先は、皆さんがあまり知らない世界かもしれない。車掌は、あまり目につかないところでも様々なことを確認している。
ここで、あなたに質問をしてみたい。列車が駅に近づき、車掌が「間もなく〇〇です」とアナウンスした。それから車掌はどれだけの項目を確認しているだろうか?
「あとは、窓から顔を出して駅に到着するだけでしょ⁉ ホーム上の安全確認をするだけだから、あと1項目‼」と思った人もいるかもしれない。
正解は、駅に到着するまでの数十秒で10項目以上、駅に停車中から発車までに10項目以上だ。あなたが想像している以上の項目数、確認をしていたのではないだろうか。
その他、発車した直後も、走行中も、確認することはたくさんある。
具体例で見てみよう。
(1)運転間隔の調整
(2)車内温度の調整
(3)冷暖房の調整
(4)トイレや洗面所の水回りの確認
(5)接続列車の確認
などなど。ここに全ては書ききれないが、代表的なものを挙げておこう。現在では新型コロナウイルス感染症対策で、強制的に換気をすることも、大切な仕事である。
(1)の運転間隔の調整は、ダイヤ乱れが発生したとき、駅の混雑を防ぐために発車時期の調整を行うことである。この仕事は運転士が行っていると思う人もいるかもしれないが、車掌が発車合図を送らないかぎり、運転士は列車を発車させることができない。
(2)(3)は空調関係だ。車内温度の調整は、普通列車では基本的には一括で管理しているが、特急列車などでは車両ごとに調整を行うこともある。
急いで乗ってきた乗客から「暑い」と申告があった場合でも、ブランケットや上着をひざの上に掛けている乗客もいたりして、意外と調整が難しい。座席と送風口の距離によって体感温度が異なるのも、原因の一つである。
(4)の水回り関係では、走行中に詰まったり、水が流れない場合の対応などを行う。住宅と違い、列車には上下水道がつながっているわけではない。そのため、タンクに水を貯めている。そうなると、車両基地で補給や排出をするまでは、基本的には何かあっても対応ができないのだ。
(5)の接続列車の確認では、僅少のダイヤ乱れが発生しているときなどに輸送指令員と無線でやり取りをして、乗り換え列車の発車を遅らせてもらうように調整をしたりしている。
一例を挙げよう。高崎駅に8時15分に到着する、高崎線の列車に乗務していたとしよう。通常だと、高崎駅8時18分発の吾妻線に乗り換えられるが、5分遅れてしまうと高崎駅には8時20分の到着となり、発車時刻を過ぎてしまう。
「それは残念、次の列車まで待つしかないね」と思う人もいるかもしれない。しかし、ここで例に挙げた吾妻線は、僕が生まれたときからお世話になっている路線で、運転間隔は1時間に1本程度。僕が学生の頃は、
「今日お前、何時電で帰る?」
「いつも通り6時電だよ」
などという会話をしていたような路線だ。だから、輸送指令員と打ち合わせをし、その日に限って、間に合うように8時21分の発車とすることもあるのだ。
もちろんその他にも、常に乗客に安心して利用してもらうために、走行中も様々な安全確認を行っている。
本稿は『車掌出てこい! 英語車掌が打ち明ける 本当にあった鉄道クレーム』(マキノ出版)の中から一部を編集・再構成して掲載しています。
車掌がいつも乗務員室で後ろを向いている理由
車掌が、いつも後ろを向いて座っている理由を、ここでお伝えしよう。実は、車掌は「後方防護係員」とも呼ばれている。その呼び名からおわかりいただけるように、後方の安全を常に確認しているのである。
列車が通り過ぎた場所に異常が無いか確認することも、大切な業務だ。例えば、
・踏切内でトラブルが無いか
・沿線で、火事や事故などは発生していないか
・線路内に異物が入り込んでいないか
このようなことを確認している。もちろん、“何か異常を認めた際には、関係列車を全て緊急停止させなくてはならない”。
特に高崎線で多かったのが”架線のビニール付着”だ。群馬県や埼玉県北部は地形の関係上、時折強風が吹き荒れることがある。「ビニールくらいで列車が停まるの?」と疑問を抱く人もいるかもしれないが、これが起これば確実に運転を見合わせる。
まずビニールと聞いて、スーパーマーケットやコンビニなどで使われるような手提げ用のビニール袋を想像した人もいるかもしれない。
車掌になって間もないころの僕もそうだった(笑)。しかし、現実は全く違った。何十メートルもの長さの農業用のビニールが、強風にあおられて飛んできていたのだ。
もし、それが架線に絡まったら大変である。電力関係のトラブルに加え、万が一、パンタグラフがビニールを巻き込んだら、取り除く作業にもかなりの時間を使う。
このように、「もしかしたら事故になりかねない」という事故の芽を早期発見して摘み取ることも、非常に重要な仕事の一つなのだ。
このような線路の異変などを感じた際に緊急停止したり、関係箇所に連絡を行ったりするため、列車の運転席周辺には、運転士や他の乗務員と連絡を取り合う電話や、指令員とのやり取りに使う無線機、安全確認をするモニターなど、様々な装置がある。
機器に関しては、詳しくはお伝えできないが、何か問題が発生した際にはそれらを活用し、最善の行動を取る。そのため、基本的には車掌も運転席に座っているのだ。
車掌がいつも後ろ向きに座って景色を見ているように感じたあなたは、きっとこの瞬間から車掌への見方が変わるだろう。
今回のケースの裏側
今回は車掌がいつも後ろを向いて、運転席に座っている理由をお伝えした。しかし、このような理由をこれまでに知っていた人は、どのくらいいたであろうか。
理由を知らない人が大半の中で、今回のクレームのような事象に対して「車掌も運転席に座っていないと、様々な確認ができないのです」という、本当の理由を返したところで、残念ながらその怒りは収まることはないだろう。
だからそのようなクレームが来た場合は、変に正当性を前面に出すより、ただひたすら「申し訳ございません」と頭を下げるのが現状なのかもしれない。
「仕事なんだから仕方ないじゃないですか?」
「運転席付近に、様々な装置が付いているんです」
などと下手にいってしまえば、乗客の怒りに、さらに油を注いでしまうことになる。
211系という形式のような、一世代前の車両だと、運転席は折りたたむことができて、物理的に立って運転することができるものもある。だから、座っていることでクレームをもらうのであれば、常に立っているほうがいいかもしれない。
しかし、僕が担当していた高崎線で、現在使われている車両の運転席は一段高いところについており、折りたたむことができない。
また、車掌は運転台でペンを握ることも多い。乗客から落とし物や忘れ物の捜索依頼を受けることもあれば、指令員からの運転に関する通告(運転取りやめ、到着となるホームの変更など)を受けてメモを取ることもある。
そのようなことからも、実際のところ常に座っている方が業務をしやすいのだ。そのため、僕は基本、運転席に座っていることが多かった。
しかし、このクレームをいただいて以降、自分自身に気持ちの変化があった。乗車人員の多い、混雑している列車では、座り方を意識するようになったのだ。
座り方一つでも、乗客の感じ方は違う。ただ、運転席に座っているだけなのに、不快感を与えてしまう座り方があるのだ。股を開いて相手を威嚇するように座る、脚を組んで座る、背もたれに完全にもたれ掛かっているなどの、要は”偉そう”な座り方だ。
さすがに、もともと僕はこのような座り方はしてはいなかったが、「車掌という仕事は、乗客から常に見られているんだ」という気持ちをより強く抱き、誤解を招くことのないように、よりいっそう意識するようになった。
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なお、本稿は書籍『車掌出てこい! 英語車掌が打ち明ける 本当にあった鉄道クレーム』(マキノ出版)の中から一部を編集・再構成して掲載しています。176ページにおよぶ本書は、さまざまな事例をもとに、これから鉄道員を目指す人、あるいは社会人になる人に必要な「クレーム対応」のエッセンスが詰め込まれています。本書を読み終わるころには「この本は様々なトラブルを抑える『人間関係の戦略本だ!』」と思っていただけるでしょう。詳しくは下記のリンクからご覧ください。
※(1)「“理不尽”な乗客 クレームを付けてきた女子高生、実は…」の記事もご覧ください。