おそらく皆さんは「歯はまっすぐ直立しているもの」と思っているでしょう。でも、嚙むという動作をしなければ歯は直立していられず、内側に倒れこんでくるのです。舌の粘膜は歯にこすれて傷ついてもすぐに治りますが、慢性的に続けばがんの発症につながる恐れがあります。【解説】安藤正之(安藤歯科クリニック院長)
解説者のプロフィール
安藤正之(あんどう・まさゆき)
安藤歯科クリニック院長。1987年東京歯科大学卒業。かみ合わせと全身の関係について、独自の研究を続ける中で、「大切なのは”歯”ではなく”舌”」との認識のもと、「歯と音声の研究会」を立ち上げる。体調・音声に特化した「舌ストレス・咬合治療」の累計患者は1000人を超える。著書に『原因不明の体の不調は「舌ストレス」だった』がある。
▼安藤歯科クリニック(公式サイト)
刃物が突き出た狭い部屋に閉じ込められた状態の舌
咀嚼(嚙むこと)が不足している現代人は、どんどんあごが小さく、細くなっています。身近な若い人や子どもに思い当たる顔がいくつもあるのではないでしょうか。
美的観点から「小顔」がもてはやされる昨今の風潮はありますが、「小あご」には大きな弊害があるそうです。小さくて狭いあごの中では、居場所を奪われた「舌」が大きなストレスを受けており、さまざまな健康上の問題を引き起こしている。そう指摘するのが、安藤歯科クリニック院長の安藤正之先生です。
舌ストレスは首や肩のこり、頭痛やめまいなどの症状を引き起こすほか、舌が傷つくことで「舌がん」の発症につながる危険性もあるとのこと。詳しいお話を伺いました。
[取材・文]医療ジャーナリスト 山本太郎
──「舌ストレス」とは、どのような状態なのでしょうか?
安藤 現代の日本人のあごはとても小さく、舌が収まるスペースである歯のアーチ(歯列の曲線)も狭まっています。
本来のゆったりとしたU字(四角)の下あごのアーチを持つ人は7%にすぎず、68%は前方に行くにしたがってアーチが狭まった台形、24%はさらに狭窄してV字に近いアーチになっています。
しかも、とがった歯の先が当たって、舌を傷つけやすい状態です。「ろくに身動きできないほど狭いうえ、壁からとがった刃物が突き出た部屋」に閉じ込められているところを想像してください。現代人の舌は、まさにそんな目に遭っています。
このように舌にストレスがかかる状態を「舌ストレス」と呼んでいます。
まずはぜひ「舌ストレス・セルフチェック」(下表)をやってみてください。3個以上当てはまる人は、舌ストレスを抱えている可能性があります。
《舌ストレス&かみ合わせ セルフチェックリスト》
◻︎舌に歯の跡がついている
◻︎舌によく口内炎ができる
◻︎嚙んだときの音が小さいか、二重音(ずれて二重に聞こえる)である。
◻︎口を開きにくい
◻︎口を開けるときにあごで変な音がする
◻︎滑舌が悪い
◻︎歯ぎしり、食いしばりがある
◻︎いつも肩や首などあごの周りの筋肉がこっている
◻︎虫歯がある
◻︎口の中にある歯のとがりが気になる
◻︎メタボ気味である
◻︎歯科で詰めた被せ物が高く感じる
※3個以上当てはまったら要注意!
現代人のあごが小さいのは、「咀嚼不足」が原因です。
弥生時代から現代までの食事を再現し、一度の食事で何回咀嚼するかを調べた実験(齋藤滋・元神奈川歯科大学教授らによる)があります。
弥生時代の食事は4000回近くも嚙んでいました。その後、時代を追うごとに咀嚼回数は減り続け、江戸時代後期で約1000回。昭和初期(戦前)にいったん増えて約1400回でした。これは白米が食べられなくなり、主食が麦飯になったためです。
戦後になると咀嚼回数は一気に減り、現代人の平均は600~700回と言われています。若い世代や女性では、もっと少ない恐れがあります。
私がクリニックのスタッフに協力してもらい、食事内容や咀嚼回数を調査したところ、「ダイエットのために夜は食べない」「朝食は青汁のみ」という人もいて、1食平均わずか300回でした。
実は、舌の大きさは昔の人も現代人も変わっていません。舌は、あごよりもずっと早く、胎児の頃に作られるからです。出生直後からお乳を飲まないと生きていけませんし、生後1歳頃からは言葉を発する準備もしなければなりません。
このように舌は成長の早い段階から必要不可欠な器官であるため、はるか昔から遺伝子に刻まれてきた設計図どおりに作られます。
それに対して、あごの大きさは後天的に「嚙む」ことによって、発達の度合いが大きく変わります。
上あごの成長は10~12歳でピークを迎え、あとはゆるやかに成長しますが、下あごは20歳くらいまで成長を続けます。その間によく嚙んで食べる食生活をしていないと、あごが十分に発達せず、舌の大きさに見合わない小ささになってしまうわけです。
さらに、咀嚼不足は歯並びの問題も引き起こします。
「歯はまっすぐ直立しているもの」ではない
──よく嚙まないと、歯並びが悪くなるのですか?
安藤 おそらく皆さんは「歯はまっすぐ直立しているもの」と思っているでしょう。でも、嚙むという動作をしなければ、歯は直立していられず、内側に倒れこんでくるのです。
嚙んで物を食べる行為は、「まっすぐ上下に嚙む」「あごを左右に動かす」「あごを前後に動かす」という三つの動作から成り立っています。
上下の歯のかみ合わせがきちんと合っていれば、上の歯の”山”(突き出ている部分)と下の歯の”谷”(へこんでいる部分)とがカチッとかみ合わさります。
その状態でグイグイ前後左右に揺らすことで、歯が倒れこむのが抑えられ、直立できるのです。同時に、あごの骨に振動が伝わることで骨が刺激され、大きく成長していくことができます。
さらに、上の歯と下の歯がすり合わされることで、元々はとがっている歯が徐々にすり減り、平らになっていきます。縄文人の歯を調べると、歯の角が取れ、平べったくなっています。現代でも、咀嚼回数の多い食生活をしている発展途上国の人の歯は同様です。
ところが、現代の日本人は嚙む回数が少ないため、歯がほとんどすり減らず、生えてきたときの鋭い形がそのまま残っています。それが舌に突きつけられて、絶え間ないストレスを与え、傷つける原因の一つになるのです。
舌の緊張が骨格、筋肉、自律神経のバランスをくずす
──舌にストレスがかかることで、どんな弊害が起こるのですか?
安藤 狭い下あごの中でとがった歯を突きつけられた舌は、常に緊張状態になります。すると、まず下あごの位置異常を招きます。
下あごは「咀嚼筋群」という筋肉でブランコのようにぶら下がった構造のため、舌が緊張して逃げると、いっしょに動くのです。下あごのずれは顎関節症を招く要因になります。
また、下あごにつられて、上あごと一体化している頭蓋骨が傾きます。すると、それに連動して首や肩、背中の骨や関節のバランスもくずれ、周りの筋肉が緊張して、首・肩のこりや頭痛を引き起こします。
さらに、舌の筋肉が常に緊張して交感神経優位になり、自律神経のバランスもくずれると考えられます。その結果、めまい、便秘や下痢、倦怠感、イライラ、手足の異常な発汗といった、自律神経失調症状まで現れるのです。
滑舌にも影響します。特に「サ行」「タ行」「ラ行」などはもともと発音しにくい上、歯が舌にぶつかって滑舌が悪くなっている人が多くいます。
加えて、メタボ(メタボリック・シンドローム)の人は舌が大きくなる傾向があるので、症状も悪化しやすいと考えられます。
さらに怖いのは「舌がん」です。舌の粘膜は新陳代謝が活発で、たとえ歯にこすれて傷ついても、すぐに治ります。ですが、こうした刺激が慢性的に続けば、遺伝子に影響が及んでがんの発症につながる恐れがあります。
《舌ストレスが引き起こす不調の例》
・鼻炎
・難聴
・めまい
・耳鳴り
・腰痛
・手足のしびれ
・片頭痛
・花粉症
・冷え症
・体がだるい
・むくみ
・湿疹
・下痢・便秘
・手足の発汗
・口・ほおの筋肉のこり
・首・肩のこり、痛み
・口が開きにくい
・顎関節が痛い・鳴る
・食いしばり
・歯ぎしり
・言葉がこもる
・聞き取りにくいといわれる
・滑舌が悪い
・特定の音が発生しにくい
・母音の発生が悪い
・高い音が出しにくい
・舌が常に緊張している
・話すと疲れる
・息がもれる
・早口になるとうまくしゃべれない
近年、若い人の間で舌がんが増えています。最近では、タレントの堀ちえみさんが舌がんを公表し、手術を受けたことも話題になりました。
舌がんの大部分は、慢性的な歯の刺激によって引き起こされると言われています。舌がんは舌の側面にできることが多いのですが、調べると、その患部に当たる、とがった歯が存在しているケースがほとんどです。
舌がん増加の背景には、舌ストレスが無関係なはずはないと私は考えています。口腔がんの専門医である、口腔外科の教授も、あごの小ささと舌がんの関連を論文で発表しています。
──舌ストレスの害を防ぐには、どうしたらいいのでしょうか?
安藤 まず、12歳くらいまでのお子さんならば、歯列矯正をすれば十分な効果が期待できます。
しかし、大人になってあごの発達が終わってから、歯列の土台となるあごの骨を広げるのはほぼ不可能です。そこで、とがった歯をほんの少し削って丸めたり、かみ合わせを調整したりする治療を行うことになります。
7割以上のめまいに改善が見られた
当院では2011年から2018年にかけて、こうした治療をした患者さん239名を対象に、さまざまな不定愁訴の改善率を調べています。その結果、「首のこり・痛み」86.7%、「片頭痛」86.3%、「肩こり」80.1%、「めまい」73.5%というように、高率で改善が見られたことがわかりました。
症例をご紹介しましょう。
20代の女性Aさんは、声楽を学ぶ音大生です。以前に顎関節症になったことがあり、あごの痛みで「歌うときに口が大きく開きづらい」と訴えて来院されました。ほかに、首や肩のこりがつらい、子音の発音がはっきりしないといった悩みもありました。
治療前のAさんの下あご(下写真左)を見ると、奥歯が内側に倒れ、舌の側面に当たっているのがわかります。歯の縁が鋭くとがり、舌に歯の跡がくっきりとついていました。前歯も左右で位置が違い、デコボコになっています。
治療では歯を全体的にわずかに(0.5mm程度)丸め、舌ストレスを軽減しました(下写真右)。奥歯が舌を圧迫していないことがわかるでしょう。前歯のデコボコも少しだけ削って丸めています。治療後すぐに「口が開きやすくなった」と変化を実感されました。
あごの痛みもすっかりなくなり、首・肩のこりもらくになったそうです。声がよく出るようになり、発音もスムーズになったと喜んでいました。
誤嚥やドライマウスも防ぐ舌のストレッチ
──日常生活の中で、舌ストレスによる不調を緩和する方法はありますか?
安藤 舌ストレスを根治するには、前述したような歯科治療が必要ですが、舌のこりを防ぐために「舌ストレッチ」をお勧めします(やり方は下記参照)。
舌は、四つの内舌筋と三つの外舌筋の、計七つの筋肉でできています。内舌筋は立体的に交差して、大きく膨らんだり小さく縮んだりしながら舌の形を変えるための筋肉で、外舌筋は舌を動かすための筋肉です。
舌の筋肉全体を動かす舌ストレッチを行うことで、、舌ストレスで負担の偏った筋肉をほぐすことができます。
舌や口の周りの筋肉のトレーニングになるので、誤嚥(食物や唾液が食道ではなく気管に入ってしまうこと)を防いだり、唾液の分泌を促してドライマウスを防いだりする効果も期待できます。
口の中が乾いていると、舌が歯にこすれて傷つきやすくなります。唾液は潤滑油のような役割で舌を守ってくれるので、唾液をしっかり出すのはとても重要です。
また、「しっかり嚙んで食べる」ことを改めて習慣づけましょう。前述したように、歯が内側に倒れこんでくるのを防ぐうえでも大切ですし、よく咀嚼することは、発がん物質の抑制や認知症の防止にも有効だと報告されています。
「舌ストレッチ」のやり方
※慣れないうちは舌やのどの筋肉が疲れるので、無理のない回数から始め、徐々に回数を増やしていく。
※1日1~2セット行う。
❶あごを上げてのどの前面の筋肉を伸ばす。
❷できるだけ高く舌を突き出し、引っ込めるのを10回くり返す。
❸できるだけ高く舌を突き出したまま、左右に動かす。左右10往復。
❹できるだけ高く舌を突き出しながら、舌先を鼻とあご先に近づけるのを交互に10回くり返す。
❺できるだけ高く舌を突き出しながら、右回し10回、左回し10回。
なお、舌ストレスの問題は、食生活が大きく変化した1960年代以降の生まれ、つまり今の50代から下の世代に多いですが、60歳以上の高齢者でも虫歯治療の被せ物や義歯がきちんと合っていないことが原因となり、舌ストレスが生じているケースもあります。
歯科医選びは難しいものですが、一つアドバイスするならば、かみ合わせ調整に用いる咬合紙に注目されるといいでしょう。薄い紙を口の中に入れ、「はい、カチカチ嚙んでください」などとやる、あの紙です。
一般的には、厚さ30ミクロン(0.03mm)で赤い色のカーボンシートの咬合紙がよく用いられます。しかし、実はこれだと厚すぎて、わずかなかみ合わせの不良を見落とす恐れがあるのです。
当院ではその半分以下、厚さ12ミクロン(0.012mm)、の「オクルーザル(咬合面)ストリップス」と呼ばれる銀色のフィルム状の咬合紙を使っています。こうした精密な咬合紙を使用しているようなら、かみ合わせ調整の重要性をよく理解している歯科医である可能性が高いと思います。