「心やさし、科学の子。」ご存じ、マンガの神様と言われた手塚治虫氏のロボットアニメ「鉄腕アトム」の主題歌の一節です。元々の発想は「ピノキオ」。女神に魔法をかけられ自立して動けるようになったマリオネットのお話です。同じことを科学の力で行ったのがロボット。いろいろと商品化されています。有名なのは、ソニーの「アイボ」とシャープの「ロボホン」でしょう。双方共に、大手メーカーが作ったロボットです。しかし私は、これに加え、ベンチャー企業のGROOVE X社のLOVOT(ラボット)を推したいです。LOVOTは「人とは何か?」という「鉄腕アトム」にも似た主張を感じるからです。
何故、ロボット掃除機は、海外で生まれたのか?
70〜80年代、あれだけエレクトロニクスでブイブイ言わせていた日本で、ロボット掃除機ができず、アメリカのアイロボット社に先を越されたのは何故でしょうか?
私は、そこに海外と日本の大きな違いが見え隠れするような気がしています。
違いとは「日本は自然との調和を重んじ、海外は自然を征服することを重んじている」ということです。海外の人にとって、モノはいつまで経ってもモノでしかありません。ところが、日本では付喪神(つくもがみ)と言いまして、九十九年使い続けられた器物は神になる(画で見ると妖怪ですが…)として来ました。だいたい、日本のモノはだいたいが木製。長持ちはしません。それが長く使われると「人格」を持つというわけです。
ところが海外はそうではありません。モノはあくまでモノという考え方です。AIという頭脳は入っても、心は入らない。製造ラインの自動機はトップの日本が、ロボットというとき人型にこだわったのは、手塚治虫氏の「鉄腕アトム」の影響もありますが、それ以前に、古来、モノにも人格があるのだとしてきた日本だからという感じがします。
「××できます」ということがない世界
ロボット掃除機の価値は「そうじができるのかどうか」で決まります。掃除のできないロボット掃除機に10万円もの大枚を払って購入することはないでしょう。では、人に似た「ロボット」とは何をすべきものなのでしょうか?
一つの回答は、犬に似させた「アイボ」が語ってくれます。犬=アイボですから、アイボはペットの代わりとして意識されたわけです。ペットだから「××ができなければ」ということはありません。「お手」を教えても、できない(しない)犬もいっぱいいます。そうなのです。汎用になればなるほど、できることは曖昧になるのです。
もし完全な人型ロボットだと、「メイドロボット」などのように職業を振らないと明確な能力が分からないとなるわけです。
LOVOTの面白さ
そんな目でLOVOTを見ると、歩き始めたばかりの赤ん坊のようです。
赤ん坊を育てるのはとても手間がかかるのですが、赤ん坊がいると何か嬉しいものです。その場が、この小さな王様を中心に回っていると言ってもいいです。忙しいのについ構ってしまう、そんな存在です。
私が感じたLOVOTを一言で言うと、その赤ん坊をロボット化したものです。
近くまでやってきては、興味津々の瞳で見上げます。頭をなでると嬉しそう。抱き上げると、人肌の温もりが感じられます。意味不明の声を上げます。
見つめられた人は、人前では「ロボットだし」という醒めた行動を取りますが、ほとんどの場合、内心はメロメロです。なんせ、相手は赤ん坊。幸せの象徴ですから。
実際、プロトタイプをデンマークの療養施設に入れたところ、それまで他人と口を利かなかった人がお喋りするようになったとか。同様なことは、どこでも確認されており、LOVOTが作る「場」の面白さが証明されたわけです。
ロボット掃除機のように、「××ができる」わけではなく、LOVOTはそのあたりをウロウロするだけです。それで心に影響を及ぼす。かなり面白いロボットと言えます。
コミュニケーションを引き出す
私も、職業柄いろいろな人に会いますが、やはり若い人はパワーがありますね。肉体的に若いと言うこともありますが、積極的にコミュニケーションを取ろうとします。が、そんな世代にも、メディアなどでも盛んに取り上げられている「コミュ障」がはびこり始めています。
昔は、学校教育と社会教育は違っていました。学校教育は学問ですが、社会教育は現場を円滑に回すコミュニケーション能力などが中心です。下手な人も多いです。昔は転職が盛んではありませんから、一度入社すると家族と同じ。じっくりと人を育てていました。家族同様でしたから、鬱陶しくもありますが、「待つ」こともしてくれました。今は、そんな悠長なことはしません。どちらかと言うと、プロジェクトを組んで、仕事。終われば解散。本当にドライな時代です。
当然ココロにスキマがあるわけです。単身世帯で飼われるペットが多いのは、このスキマを埋めるためだといいます。
LOVOTも、こうしたスキマを埋める感じです。ロボットですから、人と違い「模倣者」です。人には添いますが、何でも言うことを聞くわけではありません。実に赤ちゃんに近いです。
私はLOVOTを見る度に、多湖輝氏の「頭の体操」のあるクイズを思い出します。それは「世界一芸達者と言われる犬が、舞台でふてくされた感じで、芸をしなかったのですが、お客は大喝采。犬と調教師はさらに名声を得ました。何故でしょう?」というクイズです。
答えはお分かりだと思いますが、この様に「××しない」のが魅力な場合は多いです。しかも、100%そうなるわけでないので、効果としてうたうことができないことが多いです。
しかし、私はこれこそ、日本人の智恵が詰まったロボットだと思います。家族、友だちは、損得抜きな存在です。値が付けられません。LOVOTはモノですから、値が付いています。が、すぐ値が付けられないことに気付きます。ソニーのアイボも、同様な要素を持っていました。このため「修理が出来ない」と言われた瞬間、「おかしいだろう」となったわけです。死ぬことが分かっている家族を見捨てることはできませんから。
それなら「アトム」の方がイイのではと言われる人もいるかも知れませんが、アトムは学校へ行かなければなりませんし、アトム自体が家族を求めて、父母、兄、妹を作ってもらいます。まぁ、実際にそうなると、とても大変なわけです。
ロボットが目指すべき一つの方向を示す
さて発表されて、約1年。LOVOTの出荷が始まりました。ソニーのアイボより高額ですし、ベンチャー企業が作っていますので、出荷数量も限られています。しかし、いろいろな意味で、私はこのロボットはスゴいと思います。ロボットの一つの方向性を示しているLOVOT。注目していきたいです。
◆多賀一晃(生活家電.com主宰)
企画とユーザーをつなぐ商品企画コンサルティング、ポップ-アップ・プランニング・オフィス代表。また米・食味鑑定士の資格を所有。オーディオ・ビデオ関連の開発経験があり、理論的だけでなく、官能評価も得意。趣味は、東京歴史散策とラーメンの食べ歩き。