さまざまな動作をするときに、手など体の一部がふるえる症状を「振戦」といいます。そのうち、特に原因となる病気がないものが「本態性振戦」です。脳にある「視床Vim核」という、ふるえのもととなる部分の異常興奮が原因です。【解説】平孝臣(東京女子医科大学脳神経外科臨床教授)
解説者のプロフィール
平孝臣(たいら・たかおみ)
東京女子医科大学脳神経外科臨床教授。1956年兵庫県生まれ。1982年神戸大学医学部卒業。医学博士。1988年英国医師免許取得。英国バーミンガム大学脳神経外科登録医、オランダ・アムステルダム大学研究員などを経て現職。日本脳神経外科学会専門医・評議員。日本定位・機能神経外科学会理事長も務める。本態性振戦、パーキンソン病、ジストニアなど、不随意運動の手術治療の第一人者。
▼専門分野と研究論文(CiNii)
手がふるえて日常動作に苦労する「振戦」
「字を書く」「はしを使う」「水を飲む」などの動作をするとき、手がふるえて困ったことはありませんか。
手など、体の一部がふるえる症状を「振戦」といいます。そのうち、特に原因となる病気がないものが「本態性振戦」です。本態性振戦は若い人にも見られますが、加齢とともに多くなり、65歳以上ではおよそ10人に1人程度見られます。薬や手術によって治療できますが、病気についての知識や情報不足から、苦痛や不便を感じながら我慢している人も多いそうです。
東京女子医科大学脳神経外科臨床教授の平孝臣先生に、この病気の基礎知識と主な治療法、治療法の選び方などを伺いました。
[取材・文]医療ジャーナリスト 松崎千佐登
──本態性振戦とはどんな病気ですか。
平 例えば、「字を書こうとすると手がふるえて書けない」「コップに水をつごうとしても手がふるえてこぼれてしまう」など、さまざまな動作をするときに手がふるえてしまう病気です。
ひどくなると、自分で食事をすることもままなりません。飲み物はカップから振りまかれ、はしの先で自分の顔を突いてしまう危険もあります。日常生活に必要なことができなくなるので、非常に困っている患者さんが大勢います。
この病気は、下記のようなチェックポイントを知っておけば、比較的、簡単に自己診断できます。(8)以外は自分で判断できるので、ふるえが気になる人はチェックしてみてください。
本態性振戦の特徴
(1)原則として両手がふるえる。首や声がふるえることもある。
(2)手をひざの上に置いてらくにしているときはふるえない。
(3)両手を「前へならえ」のように上げるとふるえやすい。
(4)左右の人差し指同士を顔の前で近づけるとふるえやすい。
(5)「字を書く」「水を飲む」「食事をする」などの動作をするときにふるえやすい。
(6)飲酒でふるえが改善することが多い。
(7)約半数の人では血縁に手がふるえる人がいる。
(8)MRIや血液検査などでは異常がない。
(1)〜(6)に当てはまり、病院での診断で(8)に当てはまれば、本態性振戦と判断できます。(7)も参考になるでしょう。
「両手ではなく片方の手だけがふるえる」とか、「手をひざの上に置いているときもふるえる」とかいったことがあれば、パーキンソン病(さまざまな運動障害を示す進行性の神経変性疾患)やジストニア(自分の意思と関係なく筋肉が異常に収縮する病気)など、違う病気の可能性があります。
パーキンソン病の場合は、進行すると認知症を伴ったり、歩けなくなってきたりしますが、本態性振戦が元で、認知症になったり、歩行困難になったりすることはありません。それらも大きな違いです。
本態性振戦の症状は、お酒を飲むと軽くなるという特徴も、知っておくとヒントになるかもしれません。
本態性振戦の患者さんで、ふるえを止めるために朝からお酒を飲む人もいます。日本では俗に「アル中(アルコール依存症)になると手がふるえる」と言われるので、そのことと混同されやすいのですが、実際にはアルコール依存症で、ひどく手がふるえる例はまれです。
「手のふるえを止めるために酒を飲んでいる」という人は、本態性振戦を疑ってみる必要があるでしょう。
病的な手のふるえには、先ほど挙げたパーキンソン病やジストニア以外にも、ぜんそくの薬や甲状腺機能亢進症などの薬の副作用として起こるものもあります。
ただ、「手がふるえて困る」と訴えて外来にみえる患者さんの約80%は本態性振戦です。約15%がパーキンソン病、残りがジストニアなど、その他の病気というのがおおよその内訳です
精神的な要因ではなく脳の異常興奮が原因
──ふるえはどのようなメカニズムで起こるのですか。
平 わかりやすくいうと、脳にある「ふるえのもと」となる部分の異常興奮が原因です。
「視床Vim核」というご飯粒くらいの大きさの部位で、これは正常な(本態性振戦を持っていない)人にもあります。
緊張すると、誰しもふるえることがありますが、それは正常な反応として、視床Vim核が興奮するからです。
ただ本態性振戦の人の視床Vim核は、過剰に興奮しやすいため、日常的な動作やごく軽い緊張でも、手がひどくふるえてしまうのです。
視床Vim核は脳の左右にあり、左側が興奮すると右手が、右側が興奮すると左手がふるえるしくみになっています。
──患者さんは高齢者が多いのでしょうか。
平 一般的に本態性振戦は年とともにひどくなり、高齢になるほど患者さんが多くなります。
しかし、20〜30代などの若い人にも少なくありません。子どもにも見られ、早い人では「3〜4歳頃からふるえを自覚していた」という人もいます。
統計では、一般人口の2.5〜10%に起こるとされ、65歳以上では5〜14%と割合が高くなります。およそ10人に1人ですから、わりと多い病気といえるでしょう。
にもかかわらず、この病気に関する知識は、一般の人だけでなく、医師にも十分には広まっていないのが現状です。
そのため、この病気に詳しくない医師にかかっても、「緊張しやすいせいでしょう」「もっとリラックスして」などと、精神的な要因によるものと扱われることが少なくありません。
老化のせいととらえられ、「年だからしかたない」などと言われてしまうこともあるようです。
本態性振戦は、不安神経症やいわゆる「あがり症」といった、精神的な要因から起こる症状ではありません。
脳の一部の反応によるもので、治療法も確立されています。そのことをよく知っておき、本態性振戦が疑われる場合は、この病気に詳しい医師(※下記リストを参照)にかかるようにしてください。
※日本定位・機能神経外科学会認定施設・医師のリスト
http://www.jssfn.org/approval/index.html#approval04
──ふるえがどの程度になったら治療が必要ですか。また、治療法の種類と選び方は?
平 ふるえがあっても、ご本人が困っていなければ、治療の必要はありません。逆にふるえが軽くても、困っている場合は治療の対象になります。
例えば、精密機械を扱っていて、手先の細かい作業が必要な人なら、軽いふるえでも仕事に支障が出るでしょう。ふるえの程度ではなく、「困っているかどうか」が目安です。
治療は、まず視床Vim核の働きを抑える内服薬による薬剤治療から試します。
本態性振戦の治療で、国際標準とされている薬は3種類あります。ただ、残念なことに、日本ではその1種類は高血圧や心疾患の薬として、残り2種類はてんかんの薬として認可されており、いずれも本態性振戦の薬としては保険適応になっていないのです。
別の1種類のみが本態性振戦の治療薬として認可されているのですが、これは日本、韓国、中国だけで販売されている薬で、国際標準とはいえません。
そのため、専門医はいろいろな苦労と工夫をしながら、本態性振戦の薬剤治療を行っています。
ともあれ、そうした薬剤治療だけで、満足のいく効果が得られる人も多くいます。その場合は薬剤治療を継続していきます。
最新技術を用いた手術が最も優れているとも言えない
──薬剤治療で十分な効果が得られない場合は?
平 主に、次の三つの選択肢があります。
(1)定位的高周波凝固手術
(2)経頭蓋集束超音波治療(FUS)
(3)ガンマナイフ治療
いずれも本態性振戦の原因になっている視床Vim核を破壊してふるえを止める方法ですが、その手段が違います。
なお、視床Vim核を破壊しても、脳や体の働きに問題は生じません。
(1)の定位的高周波凝固手術は、頭部を小さく切開して、そこから細い電極を視床Vim核に挿入し、電気を流して70℃くらいの熱で視床Vim核を焼き固める方法です。
すでに60〜70年の歴史があり、現在ある治療法の中では最も効果的で、手術中から手のふるえがピタリと止まるという劇的な効果を示します。健康保険が適用されます。
(2)の経頭蓋集束超音波治療は、数年前に登場した治療法です。
頭部に多方向から約1000本の超音波を視床Vim核で1点に集まるように当て、そのエネルギーで、視床Vim核を破壊します。こちらも有効例では、手術中からふるえが止まります。
頭部を切開しなくてよいのが最大のメリットですが、手術前に全剃毛(髪の毛を全部剃ること)が必要です。
保険適応が、患者さん1人に1回のみという規定があるため、左右のどちらか片方にしか保険が使えず、両手のふるえを止めるには自費治療か別の術式を選ばなければなりません。
また、頭蓋骨の性状によっては受けられない場合や、施術中に激しい頭痛やめまいが生じる場合があり、現状では再発や無効例もまれではないなど、いくつかのデメリットがあります。
よい治療法ではありますが、(1)に比べるとまだ発展途上の医療技術という感が否めません。丸坊主になっても、どうしても頭部を切開したくない人向けです。
治療に必要な機械が高額な上、必要なスタッフが多く、高い技術を要するため、全国で10施設程度しか稼働していないのも難点です。高性能だけれども扱いの難しい、F1カーのようなものです。
ただ今後、さまざまな課題がクリアされていけば、メスを使わずに速やかに治療できる方法となる可能性があります。
パーキンソン病やジストニアの治療法としても、今後に期待できる術式です。
なお、(1)と(2)は、術後に頭痛、手足の脱力感、感覚障害などの副作用が出ることがありますが、大部分は一時的で、重篤な副作用はほとんどありません。
(3)のガンマナイフ治療は、頭部の多方向から放射線(ガンマ線)を当て、視床Vim核に集まるようにして破壊する方法です。
これも頭部を切開しなくてよい方法で剃毛も不要ですが、術後の長期にわたり、放射線の悪影響が出るリスクがあるため、70歳以上の高齢者か、他の方法が行えない人に限られます。
(3)の効果は施術後すぐではなく、3〜6ヵ月で徐々に現れてきます。本態性振戦については保険適応外のため自費治療となり、約60万円かかります。
この他「脳深部刺激手術」という治療法があります。脳に電極を入れ、それとつないだペースメーカーを胸部の皮下に入れ、視床Vim核に絶えず電気信号を送って興奮を抑える方法です。
一時期、主流となって多く行われていましたが、手術から10年、20年という期間を経るうちに、バッテリーが切れたり、機械が壊れたり、皮下から飛び出してきたりといった悲惨な事例の報告が増えてきました。
そのため、現在では、どうしても他の治療法が使えない例などを除き、あまり行われなくなっています。
治療法によって一長一短がありますから、ご自分の希望と適応条件に合うかを、主治医とよく相談して選びましょう。私は現状では「定位的高周波凝固手術」が総合的に見て、最善ではないかと考えています。
定位的高周波凝固手術 | 経頭蓋集束超音波治療 | ガンマナイフ治療 | 脳深部刺激手術 | |
効果発現 | 直後から | 直後から | 3〜6ヵ月後 | 外来で数ヵ月の調整 |
入院期間 | 約1週間 | 2泊 | 2泊 | 約2週間 |
麻酔 | 局所麻酔 | 局所麻酔 | 局所麻酔 | 全身麻酔 |
治療時間 | 1時間 | 4〜6時間 | 1時間 | 2.5時間 |
切開 | あり | なし | なし | あり |
剃毛 | なし | 完全剃毛 | なし | 部分剃毛 |
健康保険 | 適応 | 適応(1ヵ所のみ) | 自費診療 | 適応 |
効果の高さ | 再発・無効例はまれ | 再発がまれではない。 無効例あり |
無効例あり | 効かなくなる 場合がある |
リスク | 治療に熟練を要する | 頭蓋骨の性状に よっては治療できない |
放射線被ばく | 体内に埋め込む 機器の故障 |
■この記事は『安心』2021年3月号に掲載されています。