過活動膀胱の治療において、新たに注目が高まっているのが「A型ボツリヌス毒素膀胱壁内注射療法」です。ボツリヌス菌の毒素は美容外科や美容皮膚科で、シワを目立たなくするために用いられているのを、ご存知のかたも多いでしょう。【解説】関口由紀(女性医療クリニックLUNAグループ理事長)
解説者のプロフィール
関口由紀(せきぐち・ゆき)
女性医療クリニックLUNAグループ理事長。横浜市立大学大学院医学部泌尿器病態学修了。泌尿器科専門医、漢方専門医、横浜市立大学大学院医学部泌尿器病態学客員教授。女性泌尿器科、女性内科、婦人科、乳腺外科による内的な健康サポートとともに、美容皮膚科によるアンチエイジングを気軽に楽しめる医療空間を提供し、中高年女性のトラブルに多方面から対応している。
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過活動膀胱とは
急に、がまんできないほどの尿意に襲われる。トイレまでがまんできずにもれてしまう……。こんな症状に悩んでいる人は「過活動膀胱」かもしれません。
40歳以上の男女の8人に1人が過活動膀胱の症状を持っているといわれていますが、多くの場合、治療で改善できます。最近では、従来の治療薬にあった副作用の問題が改善された新薬や、排尿にかかわる神経を磁気や電気で刺激する療法のほか、筋肉をマヒさせる毒素を膀胱に注射する新治療も登場しています。
過活動膀胱の最新治療をいち早く取り入れている女性医療クリニックLUNAグループ理事長の関口由紀先生にお話をうかがいました。
[取材・文]医療ジャーナリスト 山本太郎
──過活動膀胱は、どのような病気なのでしょうか?
関口 排尿は脳と自律神経(内臓や血管の働きを調整している神経)が連動して調節しています。
尿をためるときは自律神経の一つである交感神経からノルアドレナリンという物質が放出され、膀胱内はゆるみ、尿道は収縮して尿がたまります。
膀胱に尿が一定程度たまってくると脳が尿意を感じますが、ある程度は「まだ出さない」と意識することでがまんができます。
そして、脳が「排尿してよい」という指令を出すと、副交感神経からアセチルコリンが放出され、尿道がゆるんで膀胱内はしぼむように収縮することで、たまっていた尿が排出されます。
ところが、なんらかの理由で膀胱に異常な収縮が起こり、尿が少量しかたまっていないのに、急にがまんできないほどの強い尿意(尿意切迫感)が起こるのが、過活動膀胱です。
そのため、頻尿(1日に8回以上トイレに行く)になったり、トイレに着くまで尿意を耐えきれずに、尿をもらしたりしてしまいます。
過活動膀胱には、神経のトラブルが原因の「神経因性」と、それ以外の原因の「非神経因性」とがあります。
神経因性は、脳梗塞などの脳血管障害やパーキンソン病などの脳の病気、あるいは脊髄の障害で膀胱や尿道の筋肉と脳を結ぶ神経にトラブルが生じて起こるものですが、発生頻度はまれです。
過活動膀胱のほとんどは非神経因性で、原因はよくわかっていません。
過活動膀胱は男女ともに加齢に伴って増え、現在、国内で1000万人近い患者がいると考えられています。特に女性は男性に比べて尿路が短いため、過活動膀胱で尿もれが起こりやすくなります。
一般に、40代以上の女性の約半数が尿もれを経験しているといわれます。そのうちの約半分は、膀胱やその周りの筋肉を支える骨盤底筋の衰えが原因となっている「腹圧性尿失禁」です。
そして4分の1が、過活動膀胱による「切迫性尿失禁」。残り4分の1が、過活動膀胱と腹圧性尿失禁の両方の症状を持つ混合型だといわれています。
──過活動膀胱の治療はどのように行われるのですか?
関口 薬物療法が第1選択肢です。約8割の人は薬物療法と、骨盤底筋トレーニングなどによって症状を改善できます。過活動膀胱が疑われるかたは放置せず、ぜひ泌尿器科などを受診してください。
過活動膀胱で一般によく用いられる代表的な薬が「抗コリン薬」です。この薬は、膀胱の収縮を促すアセチルコリンという神経伝達物質の働きを妨げる作用があります。
抗コリン薬は高い治療効果が期待できますが、一方で副作用が生じることがあります。膀胱以外の組織にもアセチルコリンの受容体があり、それらに作用してしまうことで、口の渇きや便秘が起こりやすいのです。
特に、目の調節作用に影響が及び眼圧を上げるため、閉塞隅角緑内障(目の中を循環する房水の出口である隅角が閉塞し、急激に眼圧が上がる緑内障)の人は使用できません。
もう一つ、抗コリン薬を長期にわたり服用すると、記憶力や注意力などの低下を招き、認知症を引き起こすリスクがあることも懸念されています。
アセチルコリンは脳の中で、神経細胞どうしで情報の受け渡しをしている物質でもあります。そのため、抗コリン薬でアセチルコリンを抑えると、認知機能に影響が出てくることがあるのです。そのため、近年、高齢者に抗コリン薬を長期投与するのは避けるほうがいいと考えられるようになっています。
そうした中で近年、抗コリン薬とは違うしくみで作用する「β3(ベータスリー)アドレナリン受容体作動薬(以下β3刺激薬)」が登場しました。この薬は、膀胱の筋肉の中にあるβ3アドレナリン受容体を刺激することで、筋肉をゆるめて膀胱の容積を広げる作用があります。つまり、膀胱に尿を蓄えやすくするわけです。
β3刺激薬は、まず2011年にミラベグロン(商品名ベタニス)が認可されました。抗コリン薬に比べ、口の渇きや便秘などの副作用が少なく使いやすいため、すでにかなり普及しています。
ただし、ミラベグロンにも別の副作用の問題があります。まず、生殖機能に影響する可能性があるため、妊婦や授乳婦には使えません。妊娠の可能性がある女性も避けたほうがいいとされています。
高齢のかたはいいとして、今後、妊娠するかもしれない年代の女性には使いにくかったのです。ほかにも、重篤な心臓病や肝機能障害のある人には使えませんでした。
それに対して昨年(2018年)9月に承認された新たなβ3刺激薬のビベグロン(商品名ベオーバ)は、こうした副作用に対する注意点がほぼなくなり、かなり使いやすくなりました。治療の選択肢が広がったのは喜ばしいことです。
なお、男性では、前立腺肥大症で尿道の通りが悪くなっていることが過活動膀胱の原因の一つであるケースがよくあります。「排尿の勢いが悪い、出にくい」といった症状を伴う場合、その可能性があります。
この場合、いきなり過活動膀胱の治療薬を用いずに、まず前立腺肥大症の治療をすべきだという見解の医師もいます。
また、神経の知覚過敏で尿意を必要以上に強く感じている場合に、抗うつ薬など神経の働きを鎮める薬を併用することもあります。
──薬物療法で改善が見られない人にはどんな治療法があるのですか?
関口 まず、薬物療法と併用できる治療に「磁気刺激療法」があります。服を着たまま、イス形の装置に座った姿勢で磁気刺激を与えて、骨盤底領域の神経を刺激するものです。副作用が強くて薬が飲めない人にも行うことができます。
さらに、薬物療法の効果が認められない難治性の過活動膀胱に対して、2017年に保険適用となった新しい治療が「仙骨神経刺激療法」。神経刺激装置をおしりに植え込み、排泄にかかわる神経を持続的に電気で刺激する治療法です。
最初に治療効果を確認するために仙骨(骨盤の骨)にリード(刺激電極)だけ挿入し、1~2週間、試験的に刺激を行います。効果が認められれば、すでに挿入されているリードを刺激装置に接続した後、装置本体をおしりの上部に植え込むという手順で治療を行います。
仙骨神経刺激療法は欧米で1990年代から行われており、有効性は高いのですが、大がかりな治療です。実施しているのは一部の大学病院や専門病院に限られ、どこででも受けられる治療ではありません。
また、1週間ほどの入院が必要になるので「最後の手段」とでもいうか、よほど困っている患者さんでないと、なかなか治療の実施に踏み切れない面がありました。
そうした中で、新たに注目が高まっているのが「A型ボツリヌス毒素膀胱壁内注射療法」(以下、ボツリヌス毒素注射療法)です。
新療法「A型ボツリヌス毒素膀胱壁内注射療法」とは
──どんな治療なのですか?
関口 ボツリヌス菌という細菌が作り出す毒素を精製して安全にした薬(商品名ボトックス)を膀胱の内壁に注射する療法です。ボツリヌス菌は食中毒の原因菌としても知られていますが、菌を注入するわけではないので、注射によってボツリヌス菌に感染することはありません。
ボツリヌス菌の毒素には筋肉を動かす神経をマヒさせ、筋肉の過度の緊張やけいれんを抑える作用があります。
その作用を生かして、これまで眼瞼けいれんや片側顔面けいれん、多汗症などの治療に用いられてきた歴史があります。また、美容外科や美容皮膚科で、シワを目立たなくするために用いられているのを、ご存知のかたも多いでしょう。
過活動膀胱のボツリヌス毒素注射療法では、局所麻酔をかけて、尿道口から膀胱鏡(膀胱用の内視鏡)と細い特殊な注射針を挿入し、膀胱壁の約20ヵ所に薬を少量ずつ注入します。手術自体は比較的簡単で、所要時間も10~15分程度と短く、日帰り治療が可能です。
ボツリヌス毒素によって、膀胱の筋肉を弛緩させて過度に収縮するのを抑制し、過活動膀胱の症状を改善します。ただし、時間の経過とともに毒素の効果が薄まるため、症状に応じた再投与が必要になります。
症状改善効果は、個人差がありますが、数日で効果が出始めて1ヵ月程度でいちばん効果が強くなり、その後徐々に減弱しながら4ヵ月から1年持続します。
米国泌尿器学会では、9割程度の患者で日中の尿失禁が50%以上減少し、生活の質が大きく向上すると報告されています。
実は世界的には、薬物療法が効果がない場合、治療難度が高い仙骨刺激療法よりも、まずボツリヌス毒素注射療法を試すべきだというのが標準的な考え方になってきています。
日本ではまだ自費診療となりますが、治験が進んでおり、近い将来、健康保険の適用になると見込まれています。
当院では、薬物療法の効果が見られない過活動膀胱の患者さん約50例を対象に、治験や自費診療(1回約15万円)でボツリヌス毒素注射療法を実施してきました。9割程度の患者さんに症状の改善が認められています。
過活動膀胱の主な治療法の特徴
《薬物療法》
(1) 抗コリン薬
膀胱の収縮を促すアセチルコリンの働きを阻害する。高い治療効果があるが、口渇感、便秘、目のかすみなどの副作用が出やすい。認知機能低下を引き起こす場合がある。緑内障患者には使えない。
(2) β3アドレナリン受容体作動薬
膀胱の筋肉をゆるめ容積を広げる働きがある。生殖器の萎縮や血圧上昇などに注意が必要だったが、そうした副作用の少ない第2世代の薬が登場。
《磁気・電気刺激療法》
(1) 磁気刺激療法
イス形の装置に座り、骨盤底領域の神経を磁気のパルスで刺激して膀胱の収縮を抑える。
○ 着衣のままで受けられ、非侵襲的(体を傷つけない)。保険適用。
× 心臓ペースメーカー、人口膝関節などが入っていると使用できない。
(2) β3アドレナリン受容体作動薬
心臓ペースメーカーのような装置をおしりに植え込み、骨盤内の仙骨に電極を刺して排泄にかかわる仙骨神経に持続的に電気刺激を与える。
○ 有効性が高い。保険適用。
× 手術のため1週間程度の入院が必要。
《A型ボツリヌス毒素膀胱壁内注射療法》
ボツリヌス毒素を膀胱壁に注入し、膀胱の収縮を抑える。
○ 短時間の手術で済み、日帰りも可能。
× 効果が徐々に減衰するため、症状に応じて再投与が必要。保険適用外(自費診療)。
原因不明の間質性膀胱炎の治療としても期待されている
症例をご紹介しましょう。
40代の女性Aさんは抗コリン薬とβ3刺激薬による治療を受けてきましたが、「日中はまだいいものの、夜間に尿もれが起こってしまう」「夏場はよくても、冬場や梅雨の時期に尿意切迫感が強まる」と悩まれており、ボツリヌス毒素注射療法を希望しました。
治療を行うと、これまでよりも尿意が弱くなり、尿もれも起こりにくく、快適に過ごせると喜んでおられました。初回治療から1年ほどたち、効果が薄れてきたようなので、2回目の治療を行うことになっています。
Aさんのように、季節によって過活動膀胱が悪化するケースはよくあります。健康なかたでも、寒いとトイレが近くなることがありますね。必要な時期に合わせて、ボツリヌス毒素注射療法を行うという方法も考えられるでしょう。
また、ボツリヌス毒素注射療法は「間質性膀胱炎」にも有効だと考えられています。間質性膀胱炎は、膀胱に原因不明の炎症が生じ、頻尿や痛みなどの症状がでる病気で、現状ではあまり有効な治療法がありません。
東京大学医学部泌尿器科で行われた試験では、7割程度の間質性膀胱炎患者に症状改善が認められたと報告されており、今後の研究の進展が期待されます。