【イヤイヤ期の “なぜ” 】幼児のイヤイヤ期 対応のコツ 1~3歳の期間を乗り切ろう(家庭でできるモンテッソーリ)

暮らし・生活・ペット

小さな子どもだって人間だということを、大人はわかっていません。1歳から3歳くらいの幼児は扱いが難しいなんて言われますが、子どもに愛情を込めて、自分でできるように粘りづよく教える方法を知っている大人も、あまりいません。モンテッソーリを家庭でも簡単に取り入れられるよう、わかりやすくていねいにお伝えします。お子さんと新しい関わり方ができることでしょう。【解説】シモーン・デイヴィス(国際モンテッソーリ協会(AMI)認定モンテッソーリ教師)

執筆者のプロフィール

シモーン・デイヴィス

国際モンテッソーリ協会(AMI)認定モンテッソーリ教師。ブログ・インスタグラムMontessori Notebookではモンテッソーリのちょっとしたヒントや読者からの質問に答え、世界中の親を対象にオンライン・ワークショップを開いている。オーストラリア出身。現在は家族とともにオランダ・アムステルダムに在住。ジャカランダ・ツリー・モンテッソーリスクールを立ち上げ、親子クラスで指導を行っている。

訳者プロフィール

宮垣明子(みやがき・あきこ)

和歌山県出身。翻訳者。『奇跡の動物家族~命をつなぐ』(K&Bパブリッシャーズ)、『内向型のままでも成功できる仕事術』(辰巳出版)など翻訳多数。保護猫と暮らして三年目。

本稿は『おうちモンテッソーリはじめます』(永岡書店)の中から一部を編集・再構成して掲載しています。

イラスト/朝倉めぐみ

子どもの見方を変えてみよう

小さな子どもだって人間だということを、大人はわかっていません。1歳から3歳くらいの幼児は扱いが難しいなんて言われますが、では子どもに愛情を込めて、自分でできるように粘りづよく教える方法を知っている大人も、あまりいません。

幼児はまだ歩き始めたばかり、あれもこれも知りたがるくせに、言葉で気持ちを伝えるにはまだ慣れていなくて、でもこうしたいと思ったら止められません。カフェやレストランでじっと座っているなんて無理だし、広い場所を見れば走り出す。ここだけは静かにしていてと思っているときに、やってほしくない場所で突然大声で叫ぶし、おもしろそうだと思えば何でもべたべた触ります。

「魔の2歳児」というのがまさにそうですね。大人の言うことを聞かない。なんでもかんでも投げる。寝ないし、食べないし、トイレでしない。

そのむかし、我が家のふたりの子どもがまだ小さかった頃。言うことを聞かせようと脅したり、ごほうびで釣ったり、反省しなさいと部屋に閉じ込めたりなんてよくないこととは思いつつ、それならどうすればいいかがわからないまま、わたしは子育てに奮闘していました。

子育てに悩む毎日に

そんなとき、つけっぱなしにしていたラジオから、子どもを部屋に閉じ込めるのはやめたほうがいいという話が流れてきました。子どもはやり方がわからなくて困っているのに、閉じ込められると突き放されたように感じて大人に腹を立てる。謝りなさいと頭ごなしに叱りつけるよりもずっと追い詰められ、どうすればいいのか困ってしまうというのです。そんなとき大人はどうすればいいかを教えてもらえるのではないかと、わたしはそこから真剣にラジオを聴きましたが、それには触れないまま番組は終わってしまいました。わたしはそれからもずっと、その答えを探していました。

モンテッソーリとの偶然の出会い

当時オーストラリアのシドニーに暮らしていたわたしは、入園見学に行ったモンテッソーリ教育の幼稚園にほれ込みました。整理整頓された教室が魅力的だったし、先生方は親しみやすく、親だけでなく、子どもにかける言葉づかいがていねいなのも好印象でした。わたしはすぐに子どもの入園を申し込み、未就園児の親子クラスに参加することにしました。

親子クラスでは、幼児について、そしてモンテッソーリの子どもとの接し方について、学ぶことばかりでした。幼児は少し難しいことがあると伸びるということ。子どもは理解されたがっていて、スポンジが水を吸い込むようにまわりからなんでも吸収すること。わかってくると、幼児とうまく関わることができるようになり、幼児の考え方を知ったうえで、その学ぶ様子を見ているのが楽しかったのです。わたしは親子クラスの担任だったファーン・ヴァン・ジル先生の助手として働くようになりました。

2004年にはモンテッソーリスクールの教師の資格を取るため、国際モンテッソーリ協会の講習を受けました。その後オランダのアムステルダムに家族で移ることになったのですが、新居を構えた町にはモンテッソーリの幼稚園がありませんでした。わたしは資格を活かし、モンテッソーリ幼稚園ジャカランダ・ツリー・モンテッソーリを開校しました。いまも親子クラスを担当しており、子どもの見方を変え、家庭でもモンテッソーリを取り入れられるようたくさんの家族に指導しています。

この記事では、これまでわたしが学んできたことを、たくさんの人に伝えたいのです。モンテッソーリを家庭でも簡単に取り入れられるよう、わかりやすくていねいにお話ししようと思います。お子さんがモンテッソーリの幼稚園に入園するにしてもしないにしても、この本をきっかけに、新しい関わり方ができることでしょう。

幼児について知っておきたいこと

イヤイヤは幼児に必要なこと

子どもが成長するうえで大切なのが「自己肯定感の危機」を乗り越える、つまり自分でできると思えるようになることです。1歳半から3歳くらいになると、子どもは自分と両親とは別の人間だということに気づき、自分を中心になんでもやりたいと思い始めます。すると「イヤ」と言ったり「ぼく」「わたし」といった言葉を使うようになります。

とはいえ、自分ひとりでやろうという気持ちがすぐ前面に出るわけではありません。ひとりでできるといって大人の手を払って何でもやりたがったかと思えば、次の日にはなにひとつ自分でしないと言い張ったり、ずっと抱っこをせがんだりします。

▼幼児

わたしの言う「幼児」とは、1歳から3歳までを指しています。

幼児は体を動かさなくてはいけない

ケージに入れられるのを嫌がるイヌやネコのように、幼児はじっと座っているのが苦手です。幼児は思いきり体を動かしたくてたまらないのです。立つことができるようになると、次は階段を上りたい、歩きたい。歩けるようになれば、走りたい。重いものを持ち上げたい。ひとつ持ち上げたら、次はもっと重いものを。もっと重たいカバンを、次は家具をと、より大きなものに挑戦する「最大限の努力」と呼ばれる欲求に突き動かされて、幼児はいつでももっと上を目指しているのです。

幼児には身近な場所を探検し、
発見することが必要

モンテッソーリでは子どもたちが探検できる安全なスペースを確保し、五感のすべてを使って日々の活動や外遊びをするよう勧めています。砂場をどこまでも掘りかえす、はだしで芝生の上を走りまわる、水たまりに飛び込む、全部オッケーです。

幼児には自由が必要

自由に何でもやらせてあげると、子どもは気になったものに熱中し、自分からいろいろな体験をして、そのなかでまた発見します。多くの体験をして自信を持つと、自分のことを自分で決められるようになるのです。

幼児にはいつもと同じことが必要

幼児は毎日同じことを同じようにやりたがります。昨日と同じ順番で、昨日と同じものが同じ場所にあるところで、昨日と同じルールでやりたいのです。いつも同じであればそれが何かを理解し、納得し、次に何が起こっても待ち構えていられます。

幼児には「いつもと同じ」が大切だとわかっている大人は、じっくり見守って子どもをより理解することができます。いつもと同じようにさせてあげられないときは、いつもより手を貸してあげればいいのです。バカだからできないと腹をたてるのではなく、いつもと同じでないからできないんだねと子どもの視点で理解できます。できないときは、子どもの気持ちを落ち着かせてから、うまくできる方法を見つけられるよう、大人が手を貸してあげるといいでしょう。

▼幼児にはルールも必要

ここでいうルールとは、子どもの安全を守り、まわりとていねいに接することを学び、責任ある大人になるためのもの。子どもが危険なことをしそうになったとき、大人はとにかく怒鳴りつけお説教をしてしまいがちですが、ルールがあれば落ち着いて子どもを止めることができます。モンテッソーリの子どもとの接し方とは、子どもを放ったらかすのでも押さえつけるのでもなく、まず大人が冷静なリーダーになるということなのです。

▼間欠強化

子どもは、いつもと同じルールがないと、今日はどんな反応をするかと大人を試すようになります。こうすれば怒られるとか、こうすれば大人はごまかされるとわかると、わざとそうします。これは「間欠強化」と呼ばれる行動です。

幼児は思ったままに動く

幼児の脳には、自立や意志決定を行う前頭前野という部分がまだ作られていません。脳が完成するのは20歳ごろ。だから幼児には、テーブルに登っちゃいけません、人の持っているものを無理に取っちゃいけませんとひとつひとつ教えなくてはわからないのです。言われた意味がわからなくて子どもが泣き出しても、大人はぐっと我慢しましょう。そういったことをひっくるめて「大人が子どもの前頭前野になりましょう」とわたしは指導しています。

▼大人を困らせたいわけじゃない

ジーン・ローゼンバーグという教育の専門家がニューヨークタイムズ紙に寄稿した「かんしゃくは反抗ではなく、不満のあらわれ」というコラムで「困っているのは子どもの方だ」という考え方が紹介されていました。わたしもその通りだと思います。困った行動に見えても、実は子どもが助けを求めているのだとわかれば、大人も「どんなふうに手を貸せばいいかな?」と考えられるようになるはず。言うことを聞かない子だと怒るのではなく、子どもをサポートする方法を探しましょう。

言われたことを理解するには時間がかかる

靴を履きなさいとしつこく繰り返すよりも、幼児が言葉の意味を理解するまでちょっと待ってみましょう。指示をしてから、心のなかでゆっくり10数えてみてください。だいたい8まで数えたあたりで子どもはちゃんと動き出しますよ。

幼児は上手にできるようになりたい

幼児は、できるまで同じことを何度でも繰り返します。その姿を見ていれば、何をできるようになりたいのかはすぐわかります。だいたいそれは、その子にはまだできないけれど、嫌になって投げ出すほどでもないくらいの、ちょっとしたこと。何度も同じことを繰り返すうちに完璧にできるようになります。ひとつできるようになったら、子どもはまた別のことを、できるようになるまで何度も繰り返すのです。

幼児は家族の一員になりたい

幼児は本物そっくりのおもちゃよりも実際に大人が使っている物に興味を示します。料理や洗濯をしているそばで何かしたがったり、お客が来るとなればお茶やお菓子の準備を一緒にやりたがりますよね。時間が許すなら、子どもができるように準備し、でき上がりに期待しすぎずに、家族の一員として役にたてるよう、家事を教えましょう。これはいずれ小学生、中学生になってからのよい親子関係にもつながります。

子どもは素晴らしい

柔軟性がないと見えること(お気に入りのスプーンじゃなきゃ朝ごはん食べない!)は、「実は」いつも通りにすることへの強い意識の表れ

意地を張っているように見えるのは、「実は」何でもかんでも自分の思い通りにはならないと学んでいる最中

つまらないことを何度も繰り返しているように見えるのは、「実は」ひとつのことを完璧にできるよう練習しているところ

おおげさにかんしゃくを起こしたように見えるのは、「実は」こう言っている。「あなたが大好きだから、一日中抱え込んでいたあれこれを全部ぶちまけても大丈夫でしょ」

目的地に着くまでわざとぐずぐず寄り道しているように見えるのは、「実は」行く道にあるすべてのことを探検しようとしている

人の前で何でそんなことを言うのと思うかもしれないけれど、「実は」子どもは嘘がつけない、正直すぎるというだけのこと

しょっちゅう夜中に起こさないでよと思うかもしれないけれど、「実は」真夜中だってお構いなしに、ぽっちゃりしたお手てでぎゅっと抱き着いて、心の底から大好きだって伝えたいだけ

なお、本稿は『おうちモンテッソーリはじめます』(永岡書店)の中から一部を編集・再構成して掲載しています。 詳しくは下記のリンクからご覧ください。

おうちモンテッソーリはじめます
¥1,560
2021-01-08 10:24

※(2)「モンテッソーリ流 子供への声掛けのコツ」の記事もご覧ください。

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