さて、今日はちょっと変わった猫のお話です。イギリスの有力紙「Daily Mail(デイリー・メール)」で「世界で最も旅をしているネコ」と紹介された「旅にゃんこ」を知っていますか? 氷点下の阿寒湖で保護された「だいきち」と、新宿の公園に置き去りにされた「ふくちゃん」。そのかわいいコンビによる「ネコ目線の癒やし旅」が今世界中で話題なのです。8月8日発売の写真集『旅にゃんこ だいきち&ふくちゃん』(47都道府県を踏破した「旅ネコ」の写真集)から一部を抜粋・加筆して紹介します。
著者プロフィール
◆長澤大輔
兵庫県出身。「ネコのヒモ」を自称するほど、ネコのヒモを握ってネコたちの旅のおともをすることに生きがいを感じている。
ブログも好評更新中!
◆長澤知美
鳥取県出身。子供ものころから自然や動物が大好きで、アウトドア、写真撮影のほか、地球環境をテーマとした作品づくりが趣味。
この記事は写真集『旅にゃんこ だいきち&ふくちゃん』から一部を抜粋・加筆して掲載しています。
だいきちとの出会い
~2006年冬、阿寒湖~
北海道は道東エリアにある、マリモで有名な阿寒湖郊外の車道で、1匹のキジ白のオスネコが保護されました。2006年12月のことです。
底冷えのする寒さの中で、そのネコは力なく道端にうずくまっていました。
そこに1台の車が通りかかりました。
ご自身もネコを飼っていて、自他ともに認めるネコ好きのAさんが運転する車でした。
Aさんは、そこを通りかかったとき、かわいそうなネコが路上で力尽きていると思ったそうです。
Aさんは、いつもネコのエサを車に積んでいました。
念のために、エサを持ってそのネコに近づくと、突然、ネコはむっくりと起き上がり、なかば無理やりAさんの車に乗り込んできました。
一度車から降ろしてエサを食べさせようとしましたが、それを無視して、再び車に飛び乗ってきました。そして、その後、決して車から出ようとしませんでした。
その日の夜、気温は氷点下をかなり下回りました。
この日、Aさんに出会わなければ、おそらくネコは助からなかったでしょう。
空腹でたまらなかったはずのそのネコが、命をつなぐために、エサには目もくれず、最後の力を振りしぼって車に乗るのを優先したことを思うと、私はいまでも感泣してしまいます。
Aさんはこのネコを救いたいと思いましたが、自身もすでにネコを飼っているため、同僚を呼んで相談をしました。
「ああ、それならば、知美さんを呼びましょう」
同僚から「子ネコ」を保護したという連絡を受けてやってきたのが、当時、自然環境関連の仕事をしていた、のちに私の妻となる知美です。
ネコの保護は業務の範囲外だったので、このときは保護したという「子ネコ」を確認するだけのつもりでした。
Aさんの助手席にぐったりと横たわっていたネコは「子ネコ」ではありませんでした。
頭だけが大きく、骨と皮だけのやせこけた体だったため、「子ネコ」と見間違えてしまったのでしょう。
成ネコとは思えないほど軽い体を抱き上げると、ネコにはすでに体を動かす力も残っていませんでした。
顔と目だけを動かしてのどを鳴らす姿を見て、知美は「このネコは保護しても助からないかもしれない」と思ったそうです。健康なネコであっても、厳しい道東の冬を乗り切るのはむずかしいことなのです。
そんなかわいそうなネコを見つめているうちに、知美は、たとえこのネコが助からなかったとしても、最期だけでも暖かい家で看取ってやりたいという気持ちになり、家に連れて帰ることにしました。
もし元気になった場合も、飼い主が見つかるまで一時的にあずかるだけの予定でした。
こうして、1匹のネコとわが家の運命の糸がつながりました。
一晩、そのネコの体をストーブで温め、白湯を飲ませて、軟らかくしたエサを食べさせたところ、翌日には自分でエサを食べられるようになり、1週間後には自由に走り回れるようになりました。
そして、2週間後には、体重が7キロ近い立派な体になったのです。
その後、しばらくたっても引き取り手が見つからないため、知美は自らが里親になることに決めました。
そして、彼が奇跡的な幸運により命を救われた子だったため、大吉(愛称、だいきち)と名づけました。このとき、だいきちは推定1歳でした。
知美は、仕事で自宅を不在にしがちだったため、同僚をはじめ何人かの友人が、たびたび代理でだいきちの世話をしてくださいました。そんな生活が2年ほど続きました。
そして、2008年の春、知美の東京転勤に伴い、だいきちは知美に連れられて阿寒湖を去ることになりました。
ふくちゃんとの出会い
~2010年冬、新宿~
知美が東京勤務になったころに私たちは結婚し、だいきちが「息子」になりました。
阿寒湖へ知美に会いに来ていたころから顔なじみの私に、だいきちはとてもなついてくれました。
だいきちと私たちの東京での生活も落ち着きつつあった2010年の11月、今度は推定生後2~3ヵ月の茶トラのメスネコを保護しました。
そのネコは顔全体が目ヤニでおおわれた状態で、新宿にある公園に置き去りにされた段ボールの中にいたのです。
獣医さんに診てもらうと、何らかの原因で瞬膜(ネコなどのまぶたと眼球の間にある膜)が癒着しており、難視(物を見分けにくい状態)であることがわかりました。
そのほかにも、へその緒が切れずに残って飛び出す「臍ヘルニア」の症状がありました。
このとき、彼女の体は、まだタバコの箱ぐらいの大きさでした。
そこで、獣医さんと相談した結果、現状では手術に耐えられないので、しばらく成長度合いを見て、瞬膜やへそについては避妊手術のときにいっしょに処置しましょうということになりました。
先輩のだいきち(大吉)にあやかり、福がいっぱいの子に育ってほしいと、彼女を大福と名づけました。ただし、女の子なので、いつも「ふくちゃん」と呼んでいます。
目に障害を抱えたふくちゃんでしたが、室内やベランダでは、ウサギのように跳ね回るほど元気いっぱいでした。
でも、いったん外に出ると、目の不自由なふくちゃんにとって、そこは見知らぬ世界になるため、だいきちといっしょにバギーに乗せても絶対に顔を出すことはありませんでした。
ところが、その後、目の手術も無事に終わって視力を獲得してからは、好奇心のかたまりそのもの。自らの足での散歩を楽しみ、ネコ以外の動物に出会ってもほとんど物怖じしません。
彼女の変わりようには驚かされるばかりです。
「旅にゃんこ」が誕生するまで
もともと私たち夫婦は大の旅好きなので、だいきちたちと暮らし始めてから最初の数年間は、ペットホテルやペットシッターさんに彼らをあずけて、各地へ旅をしていました。
ところが、だいきちはこうした生活に慣れることがまったくできなかったのです。
もともと北海道の人里離れた場所で保護された、元野良ネコのだいきちです。
飼い主以外のほとんど誰にも心を許す様子がありませんでした。
あるペットホテルでは、毎日毎晩、声が枯れるまで鳴き続け、別のペットホテルでは、隣のネコのケージの隙間からエサを横取りして食欲不振になるまで怖がらせるなど、あずける先々で迷惑ばかりかけていました。
そこで、だいきちの世話をペットシッターさんにお願いすることにしました。
ところが、シッターさんを侵入者と思っただいきちが、うなり声をあげて足にかじりつき、ひどいケガを負わせてしまったのです。
以後、シッターさんを別のかたに替えて相性を確かめてみたのですが、どのシッターさんが来ても威嚇行為はおさまりません。そのため、だいきちをケージに入れっぱなしにして旅に出ざるを得ませんでした。
しかし、これでは、ペットホテルにあずけたときのように、窮屈な状況を強いることに変わりありません。
けっきょく、ネコたちを家に残したまま旅を楽しめる状況ではなくなった私たち夫婦は、“わが子”も旅に同行させながら、新しい経験を積ませてみることに決めました。
こうして私たちは、だいきちとふくちゃんを道連れに、旅に出るようになったのです。
世界28ヵ国で話題
ネコというのは、もともと気ままでマイペースな生き物ですから、最初は不安もありました。
しかし、ふたを開けてみると、それは杞憂にすぎませんでした。
だいきちもふくちゃんも、旅をしながら、初めての人や自然にふれ、新鮮な経験をすることを心から楽しんでいるのが、ありありと伝わってくるのです。
旅先では、そんな彼らの姿を妻が写真に撮り、私がSNSに文章とともにアップするようになりました。
その反響は予想もしないものでした。
日本国内はもとより、世界28ヵ国のメディアで話題となり、Facebook動画の再生回数は500万回を突破。イギリスの『デイリーメール新聞』では「世界で最も旅をしているネコ」と紹介されたのです。
気がつくと、私たちは47都道府県・1000ヵ所以上を旅していました。
『旅にゃんこ だいきち&ふくちゃん』は、その8年間の記録を都道府県別に編集した写真集です。
東京の自宅を出発し、太平洋沿いに南下して沖縄に到着したら、今度は日本海沿いに北上。北海道から再び太平洋側に出て、東京に帰るまでをたどる日本一周の旅です。
だいきちとふくちゃんとの旅を楽しんでいただきながら、ネコ目線で見る日本の風景のすばらしさを再発見していただけたら、「親」として、これ以上の喜びはありません。
気づいたこと
だいきちとふくちゃんとともにめぐる日本一周の旅。
だいきちとふくちゃんと旅をするようになって、改めて気づいたことがいくつかあります。
「ネコは家につく」といわれています。
ですから、親のアウトドア生活に2人が付き添うのは、ネコにとっては実はストレスなのではないかと、当初は一抹の不安がありました。
しかしながら、日本の各地をいっしょに旅するようになると、だいきちもふくちゃんも、訪れた先々の景色を、ときにはグッと首や体を伸ばしてまで興味津々にながめるようになっていました。
すると、当初のような不安はなくなりました。
また、彼らネコは、私たち人間のように旅の最中に雑念を持つことがありません。
人間であれば、旅の最中に「渋滞に巻き込まれないように、もっと早めに出発するべきだったな」といった後悔の念や、「事前に立てたスケジュールどおりに名所を回らなくては」という心理的な重圧を少しは感じることもあるでしょう。
でも、そんなことが心の片隅に残っていると、たとえどんなに美しい景色が目の前にあっても、心の底から感動できるはずがありません。
一方、だいきちとふくちゃんは、こうした人間の都合による雑念とはまったく無縁で、ただただ純朴で平和なまなざしをもって、そこにあるがままの景色に見入ることができています。
そうなのです。
2人は私たち人間のように将来の不安も過去の後悔も引きずらず、ただあるがまま、美しい景色を受け入れて楽しめるのです。
彼らは本当の旅の楽しみ方を知っている天性の旅人だ、と気づかされました。
SNSで拡散「本当に癒やされた、ありがとう」
いまでは、ありがたいことに、SNSに掲載された旅するだいきちとふくちゃんの写真を見て、世界中のみなさんから「本当に癒やされた、ありがとう」という感想やお礼の声が日々たくさん寄せられるようになりました。
また、欧米諸国をはじめ、ロシア、中国、韓国のテレビや新聞社、各種情報サイトまでも「日本の旅するネコたちはすばらしい」と無条件に称賛をもって報道してくださっています。
歴史や政治的な背景から、日本と長い間緊張関係にある国の報道機関だったとしても、ネコたちについて偏見は一切ありません。彼らが旅するほほえましい姿に関する記事やテレビのナレーションは、どの国においてもポジティブな論調一辺倒です。
この現象はいったいどういうことなのかなと、ふと思っていたある日、ある海外のファンから「だいきちとふくちゃんこそが、尊い祈り(precious prayers)そのものです」と含蓄のある言葉をいただきました。
この発言を拝見したとき、「そうだ!」と気づきました。
きっと世界中の視聴者・閲覧者のかたがたも、彼らが「ここにあるがまま」旅を楽しんでいる姿を見るうちに、彼らに感情移入し、平和な気持ちになってくださっているのでしょう。
それはまるで、祈りによって私たちの心が静かな愛に満たされていくことと似ているのかもしれません。
これからも私たちの旅は続きます。
日本国内でも行ってみたいところはまだまだたくさんあります。
また、海外メディアにもたくさん紹介され、海外のフォロワーのかたがわざわざ会いに来てくださったりしているのを見るにつけ、いつかは彼らを連れて海外へ行く日も来るのだろうか、と思いをはせることもあります。
もし、どこかの街角や山や海などでだいきちとふくちゃんを見かけたら、(できればやさしく)声をかけていただければ、きっと彼らも喜ぶことでしょう。
あるがままに旅する楽しさを私たちに再確認させてくれた、だいきちとふくちゃんに「ありがとう」と言いたいと思います。
(長澤大輔・知美)
47都道府県を踏破した「旅ネコ」の写真集