ひと昔前までは、認知症は「痴呆(ちほう)」などと呼ばれ、「悲惨な結末をたどる特殊な病気」と思われていました。しかし、超高齢社会になった今では、認知症は年をとれば誰でもなりうる、ごくありふれた病気になりました。ただ、そうは言っても多くの人は、自分の親が認知症になって、初めてこの病気と身近に向き合うことになるのではないでしょうか。この記事では、認知症とはどんな病気か、どんな症状が起こるのか、治療法や予防法はあるのかといった概論を、簡単に解説しましょう。
解説者のプロフィール
榎本睦郎(えのもと・むつお)
1967年、神奈川県相模原市生まれ。榎本内科クリニック院長。東京医科大学高齢診療科客員講師。1992年、東京医科大学卒業後、同大大学院に進み、老年病科(現・高齢診療科)入局。1995年より、東京都老人総合研究所(現・東京都健康長寿医療センター)神経病理部門で認知症・神経疾患を研究。1998年、医学博士号取得。七沢リハビリテーション病院脳血管センターなどを経て、2009年、東京都調布市に榎本内科クリニックを開業。日本内科学会総合内科専門医、日本認知症学会認知症専門医、日本老年医学会専門医。現在、一ヶ月の来院者約1600名のうち、認知症患者は7割ほどにのぼり、高齢者を中心とする地域医療に励んでいる。著書に『認知症の親へのイラッとする気持ちがスーッと消える本』(永岡書店)、『笑って付き合う認知症』(新潮社)がある。
▼榎本内科クリニック(公式サイト)
▼研究論文と専門分野(CiNii)
その人らしい生活をできるだけ維持することが認知症治療の目標
ひと昔前までは、認知症は“痴呆”などと呼ばれ、悲惨な結末をたどる特殊な病気と思われていました。しかし、超高齢社会になった今では、認知症は年をとれば誰でもなりうる、ごくありふれた病気になりました。ただ、そうは言っても多くの人は、自分の親が認知症になって、初めてこの病気と身近に向き合うことになるのではないでしょうか。
変わっていく親の姿を見て、「どう付き合っていけばよいのだろう?」「どんどん病気が進行して、最後は家族の顔もわからなくなってしまうのだろうか……」と、大きな不安を抱えます。世間の認知症に対するイメージには誤解も多いので、無理もありません。しかし、認知症という病気を正しく理解すれば、むやみに不安になったり、絶望したりすることもなくなります。
まず大事なことは、病気の早期発見です。
「最近、どうも様子が変だな」と周りが気づいたら、できるだけ早く専門医の診断を受けてください。初期のうちから投薬治療を始めれば、長くその状態を保つことができます。
よい治療を受けるためには、中核症状(能力低下によりできなくなること)と、BPSD(周囲が手を焼いていること)を整理して医師に伝えることをおすすめします。
そして、最も重要なのは「上手な接し方」と「薬による治療」です。
上手な接し方とは、認知症の人の気持ちを理解した対応のこと。しかし、それだけで認知症を乗り切ろうというのは難しい話。認知症は脳の病気なので、やはり薬での治療が必要です。
しかし、認知症の薬についても誤解が多いのが現状です。
認知症治療について正しく理解してほしいと思います。認知症はうまく対応し、薬も上手に使うことで、病気の進行がゆるやかになり、その人らしく過ごせる時間をできるだけ長くしてあげることが可能なのです───。それが認知症治療の目標です。
認知症は治らない? 予防もできない?
進行をゆるやかにして穏やかな生活を長く続けることはできる
認知症になってしまったらもうおしまい、だから病院へ行ってもムダ――いまだにそう信じている人は多いようです。
しかし、これまで約1万人の認知症患者さんを診てきた私が自信を持って言えるのは、(1)家族が正しい知識を持って対応する、(2)きちんとした診断のできる病院で、その人に合った薬を処方してもらう、この2つを守れば、認知症は世間一般で言われているほど悲惨な状態に進むことはありません。
認知症の代表であるアルツハイマー型認知症は、脳の海馬が萎縮してしまう病気で、これを元に戻すのは現在の医学では不可能です。
認知症は進行性の病気ですが、今述べた2つを守れば、進行がゆるやかになり、その人らしく日常生活が送れ、BPSD(問題行動)も減り、家族や周りの人とコミュニケーションがとれて穏やかに過ごせる期間を長く続けることができるのです。
とはいえ、認知症は予防できないのでしょうか?
食べ物や脳トレ、有酸素運動を始め、認知症予防に効果があると言われていることは多数あります。しかし、確実な予防法は見つかっていません。現段階でアルツハイマー型認知症の発症予防と進行を遅らせるのに信頼度が高い生活習慣は、「週に3回以上、1日30分以上のウォーキングをする」ことです。ただし、認知症予防に効果があると言われていることを習慣づけるのは大切ですが、振り回され過ぎないことも重要です。
アルツハイマー型認知症の原因となるアミロイドβタンパクは、発症の20年前からたまり始めています。これを予備軍の段階でPET検査で見つける方法も開発されています。しかし、保険適用ではないし、また、たまった段階で見つかっても脳の働きを元に戻せるわけではないので、画期的な予防法とはまだ言えないでしょう。
認知症になると何もわからなくなる?
うれしい、悲しいなどの人間らしい感情や、昔の記憶は残っている
どうせ何もわからないだろうと思っていたら、「ありがとう」と感謝の言葉をかけられて、ハッとすることがあります。認知症という病気は過小評価されがちですが、言葉にはならなくても、うれしい、さびしい、悲しい、つらいといった人間らしい感情はちゃんとあります。たとえ目の前にいる人が自分の子供だと認識できなくても、大切に思う気持ちや昔の記憶は残っています。
外食や旅行などの楽しい経験をすれば、経験そのものはすぐに忘れても「幸せ感」は残ります。会話は成立しにくくても、話しかけられればうれしいものです。いい感情を刺激することが能力の維持につながり、BPSDを最小限に抑えます。
認知症になると、みんな暴力的になったり、徘徊したりする?
それは一部の人だけで、おとなしい認知症の人のほうが多い
認知症になると暴力をふるったり徘徊するなどして、家族が振り回されるイメージがありますが、私のクリニックのデータでは、このようなBPSD(問題行動)が起こるのは全体の3分の1程度です。あとの3分の2の人は、むしろ意欲がなくなってしまう、”おとなしい認知症”です。
暴力や徘徊は脳ダメージの部位や、その人の性格や周りの環境によって起きるので、認知症が進んだから現れるとは限らず、初期の段階から現れることもあります。なぜそうなるのか原因を見つけて、上手な対応を考えましょう。
しかし、それだけでBPSDをなくすのは難しいもの。適切な薬を使って、家族が許容できるところまで症状を軽くするようにしましょう。
※この記事は書籍『認知症の親へのイラッとする気持ちがスーッと消える本』(永岡書店)から一部を抜粋・加筆して掲載しています。
◆イラスト/森下えみこ