聴力に異常はないのに、人が話している言葉が聞き取れない、「聴覚情報処理障害(APD)」という障害を抱えている人が多くいることが分かってきました。APDの大きな特徴は、「聴力検査をしても異常が認められない」ことです。【解説】平野浩二(ミルディス小児科耳鼻科院長・亀戸小児科耳鼻科理事長)
解説者のプロフィール
平野浩二(ひらの・こうじ)
ミルディス小児科耳鼻科院長・亀戸小児科耳鼻科理事長。東北大学医学部卒業。聴覚障害者の手話による診療を長年行い、その延長で聴覚情報処理障害(APD)に出合う。APDのサイトを立ち上げ、その啓発に努めるとともに、年間200人ほどのAPD患者を診察する。著書に『聞こえているのに聞き取れないAPD【聴覚情報処理障害】がラクになる本』(あさ出版)がある。
▼ミルディス小児科耳鼻科(公式サイト)
▼聴覚情報処理障害(APD)のサイト(APD文献)
耳で音は聞こえているのに、言葉として認識できない
「聴力に異常はないのに、人が話している言葉が聞き取れない」
そんな障害があるのをご存じですか。耳で「音を聞く」ことはできるが、その情報を脳でうまく処理できず、「(言葉として)聞き取れない」もので「聴覚情報処理障害(APD)」といいます。
これまでほとんど知られていませんでしたが、実は、この障害を抱えている人が多くいることが分かってきました。
しかし、医師にさえ、まだ広くは知られていないため、障害だと気づかずに苦しんでいる人や、どうすればよいか分からないという人が多数います。
耳鼻咽喉科専門医で、APDに詳しい平野浩二先生に、どんな障害なのかと、対処法を伺いました。
[取材・文]医療ジャーナリスト 松崎千佐登
──「聴覚情報処理障害(以下「APD」)とは、どういう障害なのですか?
平野 音としては聞こえているのに、言葉として聞き取れない障害です。
「聞こえる(聞き取れる)」というのは、音の情報が、耳を通じて脳に伝わり、脳で認識している状態です。
一般的な難聴や聴覚障害は、音が脳に伝わるまでの伝達路に、なんらかの異常や機能低下があって起こっているものがほとんどです。人の声だけでなく、音そのものが脳に伝わりにくくなっています。「聞こえない」というと、通常はこの状態を指します。
しかし、APDの場合は、音が脳までは問題なく伝わっているものの、脳での言語の認識処理に問題があって、うまく言葉として理解できない状態です。
私が診察した患者さんには、プロの演奏家もいます。つまり、楽器の音や音階を認識する力は一般の人以上に優れているのに、言葉として認識ができないことに悩んでいる人もいるということです。
──APDの人には、人の言葉がどのように聞こえるのでしょうか。
平野 聞こえる言葉を、仮に漫画の吹き出しの字にするなら、ところどころの字がぼやけたり、×××などの伏せ字になっていたりして認識できなかったり、ほかの雑音までが等しく文字になって被さってくるようなイメージでしょうか。
状況により、一部ではなく、全体がそのように聞き取れないこともあります。
「音は聞こえているが、言葉として認識しづらい」というのが基本的な症状で、
●他の雑音や会話が聞こえてくる場
●複数の人が不規則に話す会議や飲み会
●電話越しでの会話やテレビのセリフ
といった状況で、聞き取りの困難さが強まる人が多いです。
また、早口だったり、話が長いときに極端に理解力が落ちたり、口頭での指示や注意が理解しにくく、覚えられない傾向があります。
──一般的な難聴で出そうな症状もありますが?
平野 一般的な難聴なら、聴力検査で異常が見つかります。APDの大きな特徴は、「聴力検査をしても異常が認められない」ことです。実際に困難に直面しているのに、「異常なし」と言われるので、患者さんは混乱します。
さらに問題なのは、耳鼻科医の中で、この障害がまだあまり知られていないことです。アメリカなどではかなり認知されていますが、日本では、まだ一部の耳鼻科医にしか知られていません。
そのため、耳鼻科で困っている現状を訴えても、「聴力に異常はないから、聞こえていないはずがない」「気にし過ぎ」「精神科に行ってはどうか」などと言われ、深く傷ついたり、トラウマになったりしている人が多いのです。
──平野先生がAPDに注目するようになった経緯は?
平野 10年くらい前から、聴覚に異常がないのに、「聞こえない」と訴える患者さんが、年に1〜2人は来院することに気づいていました。
私は、聴覚障害の医療に関する専門家ですが、APDについては、たまに学会発表や論文で目にする程度のまれな障害だと当時は思っており、日常の診療で出合うと思わず、見過ごしていたのです。
ところが、数年前、SNS(交友関係を構築するインターネット上のサービス)でAPDの患者さんがご自分の症状を発信され、そこに「自分も同じ症状で困っている」という声が多数寄せられているのを目にしました。
そこで、私自身初めて、「こんなに多くの患者さんがいるのか」と驚き、情報整理と啓蒙の目的で、APDについて知っていただくサイトを立ち上げたのです(後述)。それをきっかけに、多くの患者さんが当院にみえるようになり、現在、年に200人ほどの患者さんを診ています。
現状では、APDであることが高い精度で分かる検査法はありません。そのため、問診を含め、いくつかの方法で総合的に診断しています。
そもそもAPDを診断できる医師がまだ少ないのですが、APDは、病気ではなく障害ですから、必ずしも医療機関での診断が必須ではありません。診断がついたとしても、有効な治療法が確立されているわけではないのです。
まずは 下記のリストで、自分がAPDのよくある症状に当てはまるかどうかをチェックして、その可能性があると気づくだけで十分だと思います。
■ APDでよく見られる症状
□「え?」「何?」と聞き返すことが1日5回以上ある。
□ 聞き間違いが多い。
□ 騒がしい場所では極度に話が分からなくなる。
□ 複数の人が話していると混乱する。
□ 横や後ろから、話している人の口元が見えない状態で話しかけられるとうまく聞き取れない。
□ 電話やスピーカーなど機械を通したアナウンスが聞き取れない。
□ 映画は邦画や洋画の吹き替えよりも、洋画を字幕で見るほうがストーリーが理解できる。
□ 口頭で指示されたことが頭に入らない、忘れやすい。
□ 音のする方向や距離感をつかみにくい。
□ 長話になると聞き取れなくなってくる。
□ 早口、マシンガントークについていけない。
□ 口頭で名乗られた名前をすぐに失念する。
──APDの人の脳では、どのような問題が起きているのでしょうか。
平野 脳になんらかの損傷が生じ、言葉の聞き取りに障害が出ることがあります。これが当初、学会で報告されていた狭義のAPDです。
一方、脳に損傷はないものの、脳の「機能」になんらかの問題があって、言葉の聞き取りが悪くなるケースもあります。これが広義のAPDです。
なお、発達障害の人には、APDの合併が多く、半数で合併が見られるとする研究もあります。脳の機能の問題による集中力の欠如などから、言葉の聞き取りに支障が生じている可能性もあります。
ちなみに、発達障害の患者数は、調査によるばらつきがあるものの、人口の1〜数%とされます。単純計算すると、少なくとも百万人単位でAPDが見られることになります。本人が気づいていないケースもかなり多いと思われます。
脳のどの領域に問題があって、こうした障害が生じているかは、まだ分かっていません。APDの原因は複雑で、解明されていないことも多いのが現状です。
自分を責めて自信を失う人、うつになる人も多い
私見ですが、APDの人の脳では、音を言語として処理するスピードが遅いのではないかと考えられます。
ある程度理解できるが、母国語のようには使いこなせない外国語を聞き取るときを思い浮かべてみてください。その言語を聞き取ろうとするとき、あなたの脳はフル回転するでしょう。
そうやって、理解しようと脳ががんばっているところに、雑音や複数の人の声が混じったり、不鮮明な電話での会話だったり、相手の話すスピードが速かったりすると、理解が追いつかなくなるでしょう。最初はついていけても、話が長くなれば脳が疲れて集中力が切れ、お手上げになります。
これと同じことが、日本語でも起こっているのがAPDの人の状況だと考えると分かりやすいでしょう。
また、カクテルパーティー効果と言いますが、自分が重要だと認識している音を選択的に聴取できるように処理する、脳の機能があります。
そのおかげで、大勢がそれぞれ会話しているザワザワした場でも、自分が対話している相手の声であったり、遠くからでも自分の名前が呼ばれたことに気づいたりできるのです。
APDの人の多くは、こうした脳の処理機能に、生まれつき問題があるのではないかというのが私の考えです。
生まれたときからこうした言葉の聞き取りづらさがあっても、多くは成長するまで気づかないようです。子ども時代や学生時代には、教師の板書が理解の助けになりますし、騒がしい環境や切迫感のある環境で、言葉を聞き取ることが必須という状況が少ないためでしょう。
学生さんでも、居酒屋のバイトでの注文や、ゼミなどの複数での討論が聞き取れないと言って来院する人はいますが、本格的に困難を感じるのは、社会人になったり、転職して環境が変わったりしてからということが多いです。
──APDの人が、特に日常生活で困るのはどんなことでしょうか。
平野 やはり仕事でのトラブルです。客先や上司から「さっき言ったのに、なぜ言うとおりにしない?」「お前は人の話を聞いていない」「注意力が足りない」などと怒られて、悩む人が多くおられます。
「聞いていない」のではなく、脳の問題で「聞き取れない」のですが、自分でも気づいていないので、そういう人は自分を責めたり、自信を失ったり、うつになったりしています。
騒がしい場所や電話での会話などがうまく聞き取れず、仕事でもその他の付き合いでも、困ったり、誤解されたりしている人が多数おられます。
⃝注文を言葉でやりとりする接客業(特に騒がしい居酒屋などの店員)
⃝雑音が入りやすく、表情や口の動きが見えない電話で対応しなければならないコールセンターのオペレーター
⃝騒然とした中で、口頭の指示に即時の対応が求められる救急隊員
⃝ドライヤーをかけながら、客と会話する美容師
こうした職業は、APDの人にはかなり厳しいと思います。
また、後ろや横から話しかけられると、APDの人は聞き取りにくくなります。夫婦や恋人同士で、横に並んで話しかけられると、よく聞き取れないため、うまく反応できず、「冷たい」「無視する」などと誤解されることもあります。
聞き取りの精度を高める工夫はできる
──APDによる困難を緩和するためにできる対策はあるのでしょうか?
平野 APDの対策としては、次のような工夫が有効です。
●静かな場所で、1対1で話す。
●ノイズ軽減のために、会話の際には音楽、テレビ、ラジオなどは止める。
●正面に向き合って、相手の口元が見える位置で話す。
●相手の人には大きな声でゆっくりはっきり話してもらうように頼む。
●要点はメモやメールでもらうなど、視覚(文字)による伝達を活用する。
●映画やテレビは字幕を活用する。
●講義よりも本(参考書)で勉強する。
そのほかの対策として、「ノイズキャンセル機能」付きの機器の活用があります。ノイズキャンセルとは、入って来る音の波長を打ち消す波長を出して、雑音を抑える機能のことです。
安価で使いやすいのが、ノイズキャンセル機能付きのデジタル耳栓(キングジム製)で、1万円以下で入手できます。ノイズキャンセル機能付きのイヤホン(BOSE製)は、スマートフォンなどに接続しなくても使用できて、APD対策にも便利という声を聞くので、この辺りから試してみるのもよいでしょう。
前述したように、私が立ち上げたAPDのサイト( https://apd-community.jimdofree.com/)では、理解を深めるための情報を掲載しています。患者さんや家族、周囲の人だけでなく、耳鼻科医にもAPDのことを知ってほしいと願って立ち上げたサイトです。
そのサイトをきっかけに、患者さんたちの当事者会も各地で立ち上がってきており、知識や体験の共有が行われています。お互いに有効な対策を模索しながらの情報交換が非常に有益だ、と当事者の皆さんから喜ばれているので、ぜひ参加し、活用してください。
私は、APDはその人の特性の一つだと考えています。なんでもできるスーパーマンのような人はいません。できないこと、苦手な分野にこだわって気に病み過ぎるよりも、自分が得意とするところで勝負していただきたいですね。