【引きこもりの予防と対策】子どもの心に寄り添う「傾聴」のやり方 ポイントは「共感」にあり

暮らし・生活・ペット

子どもの話は耳で「聞く」のではなく心で「聴く」。一番大切なのは、とにかく子どもの話を聴くということ。どんな点に気をつければいいのか、書籍『8050 親の「傾聴」が子どもを救う』の著者で、精神科医の最上悠さんに解説していただきました。

解説者のプロフィール

最上 悠(もがみ・ゆう)

精神科医、医学博士。うつや不安、依存などに多くの治療経験をもつ。英国家族療法の我が国初の公認指導者資格取得など、薬だけではない最先端のエビデンス精神療法家としても活躍。近年はPTSDから高血圧にまで効く“感情日記”提唱者としても知られる。早い時期から食と栄養、読書、運動等の代替医療効果を提唱し、自ら臨床実践してきた。複雑な心の治療では、“ハンマーを持つと、すべてが釘に見える”一流の専門家より、多彩な“道具”を持つ「二流のオールラウンダーこそ名医」がモットー。
▼専門分野と研究論文(CiNii)

本稿は『8050 親の「傾聴」が子どもを救う』(マキノ出版)の中から一部を編集・再構成して掲載しています。

イラスト/水谷有里 図版作成/田栗克己

話は耳で「聞く」のではなく心で「聴く」

傾聴・共感で一番大切なのは、とにかく子どもの話を聴くということです。それしかありません。このようなアプローチに最初に関心を抱くのは、どうしても母親が多いのですが、当然のことながら、母親だけでなく父親にも聴く力をつけてほしいのです。

子どもの心のこじらせ状態がそれほど悪くなければ、親が話を聴こうという態度を見せるだけで、子どもは「自分の話を聴いてくれるんだ」と感じて、案外すぐによくしゃべってくれるものです。

それに対し、子どもが親を全く信用できなくなっているような、親子関係が最重度にこじれきってしまったときには、特に経済的な問題行動に対しては「試し行動」なのだと割り切って、最初は戦略的に振り回されてあげる、つまりできる範囲内ギリギリで好きなようにやらせるというアプローチが、起死回生の一手として有効です(ただし、このアプローチは非常に高度な技法で、家族だけでの実践は危険ですので、実施に際しては経験豊かな専門家と相談のうえでご検討ください)。

親の不安がること、嫌がることを子どもはよくわかっていますので、たとえば、買い物を好きにさせてあげて気がすんだかと思うと、今度はチンピラ紛いの男とつきあいだしたりと、巧みに親を試そうとします。この段階は本当に親を不安にさせます。ここで「いい加減にしろ!」などと怒鳴ったりしようものなら、「ほら見ろ、やはり口先だけだったのが、化けの皮が剥がれた」と元の木阿弥に戻ってしまいます。

不安になっても、ここはぐっと耐えて受け止め続けていると、あの手この手で好き勝手にしても親は自分を受容してくれるとわかり、子どもは親を信用します。そしてなおいっそう、今までたまりにたまった恨みつらみを吐き出すように、そのつらさや不安、怒りを出し始めます。

特に長年ひきこもっていた子どもは、そうした本音の感情をヘドロのようにため込んでいます。それを吐き出させて空っぽにしてあげれば、子どもの心はスッキリして、「このままじゃいけない」「社会に出なければ」と思うようになるのです。

とはいえ、長年ため込んでいたのを吐き出すのですから、心をこじらせた子ほど親に対する言葉遣いや内容はかなり辛辣なものになります。非難され罵倒されることもあるので、親には地獄ですし、非常につらいはすです。

そのため、場合によっては第三者やセラピストのようなプロに関わってもらうほうがよいかもしれません。また、家族会や家族だけ療法のような家族同士が場を共有し支え合う効果も大きいかと思われます。

親はとても疲れると思いますが、たとえどんなに非難されても、反論したり、さえぎったりせずに、最後まで子どもの話を「聴き切る」ことが大事になります。

「親は、子どもの話を”聞く”のではなく”聴く”ようにしてください」
「”聴く”という字には”心”が入っていますよね。だから、心で聴いてください」

これはあるセラピストの言葉です。

子どもは”五感”を使って親のすべてを見ている

繰り返しますが、心の行き詰まりに苦しむような子どもの多くは、非常に繊細で敏感です。それは親の想像をはるかに超えていると言っていいでしょう。

そんな子どもたちに「親の性格のこと、”粗い”と思っているでしょう?」と尋ねると、大概のかたは、「親と私では画素数が違い過ぎて、見えている世界が異なります」などと笑いながらうなずきます。繊細なので、親に喜んでもらおうと先回りし、忖度して、文句ひとつ言わずに演じてきたわけです。ですから、親が話を聴くときには「本気」でなければいけません。

聴くことに慣れていない最初は、「ああ、そうなんだね」とやさしく言うことから始めましょうとセラピストは指導します。この行為自体は、誰でも簡単にできそうに思われるかもしれませんが、子どもの言葉を聴き、本音の感情を本当に理解したうえで「ああ、そうなんだね」と言うのは容易ではありません。

私の経験上、不得手な親は時間がかかり、できないうちはうわべだけで共感して「ああ、そうなの」と言ってしまいがちです。これでは子どもは怒るだけでしょう。繊細なタイプの子どもは、親の心のこもっていない「ああ、そう」のうそを見抜くのです。

厳しい言い方になりますが、時間がかかるケースでは、それまで親が本気で子どもの心に寄り添った関わりをしてこなかったのが一因かもしれません。将来どんな道に進みたいのか、子どもの本当の希望を本人に聴いたことがなく、ましてやそれを知ろうともしてこなかった親であれば、子どもの話を本気で聴けるようになるのは大変だと思います。

場合によっては、親が話を聴いているうちに子どもが暴れ出すこともあります。ただそれは、親が「きちんと」子どもの話をまだ聴けていないからです。

親に言っても伝わらないからと言葉遣いが激しくなり、それでも伝わらないと、エスカレートして激しい行動に出る。本人は暴れたくてやっているわけではなく、それしか選択肢がないのであり、一次感情の満たされていない子どもは、それくらい不器用なのです。

子どもが心の底から絶望したら、それこそ骨抜きのようになってしまい、抵抗すらしなくなります。絶望しきった暁には、本気で自らの命を断つ危険性すらあります。この段階では子どもの心はさらに複雑にこじれていて、時間も手間も、場合によっては多額のコストもかかります。

ですから、極端な言動をとるのは、まだあがこうとする熱量が残っていて立ち直る可能性がある証拠で、これ以上追い込んで燃え尽きさせてはいけない、これがラストチャンスだと覚悟を決めて、話を聴くことに徹しましょう。

我が子が話しているときには、親自身も子どもの気持ちになることです。子どもが「あのときは本当につらかった」と言ったときには、子どもの身になってつらいと感じるようにします。これが「共感」です。

子どもは、それこそ”五感”を使って親の一挙手一投足を観察しています。「ああ、そう」と口では言っても、心から共感しようとしなければ、子どもは受け入れてもらったとは感じません。親も、それこそ全身を使って傾聴・共感することが大事なのです。慣れていないと、口では「つらかったのね」と言いながら、心の中では「そんなことはない」と否定してしまうかもしれませんが、それでは子どもを立ち直らせることはできません。

子どもが言ったことを否定せず、子どもを心から理解しようする親の姿勢に触れたとき、子どもは「やっと自分の話を聴いてくれた」「自分の本当の気持ちをわかってくれた」と感じるようになります。

子どもに傾聴・共感するための五つのポイント

では、子どもに傾聴・共感するために、どんな点に気をつければいいのか、具体的に説明しましょう。

ポイント(1)
子どもが話しているときには「反論」「さえぎり」「アドバイス」「評価」をしない

心をこじらせた子どもの話を親が聴くうえで心がけてほしいのが、「反論」「さえぎり」「アドバイス」をしないということです。

反論したり、話をさえぎったりすると、子どもは「やっぱり話を聴いてもらえないのか」「自分は受け入れてもらえないのか」と感じ、話すのをやめてしまったり、暴れたりします。

アドバイスも同様で、子どもから「どう思う?」「どうすればいい?」と求められないかぎり、特に最初のうちはアドバイスはすべきではないでしょう。

同様に、子どもの言うことに解釈を加えたり、評価を下したりするのもよくありません。「それはこういうことなんだよ」などと講釈すると話をゆがめる可能性があり、子どもは「自分が言いたいのはそういうことじゃない」とストレスをためてしまうかもしれないからです。

とにかく心をこじらせた子どもの話を聴くときは、子どもに言い切らせる、親は最後まで聴くことです。こうして子どもが心にためているものを全部吐き出させて、空っぽにしてやるのです。

子どもは思いっ切り言うので、親は自分が非難されていると感じるかもしれません。それを頑張って聴くのはとてもつらい時間かもしれませんが、そこは耐えて、子どもに言い切らせることが重要です。子どもは言い切ったとき、親に認めてもらえたと思うのです。

我が子の話を聴く気でいるのに、子どもからの反応が全くないと、親は沈黙と不安に負けて、つい余計なことを言ってしまうことはよくあります。話の盛り上がらないお見合いで不用意な発言をして失敗してしまう典型のような話ですが、子どもは感情を長年押し殺し、ストレスをため込んでいるため、吐き出すのに時間がかかります。話す決心がつかないということも考えられるので、待つ姿勢が欠かせません。沈黙が気まずくても、親はそれも含めて丁寧に受容することが大事です。

考えてみれば、親子が向き合って沈黙するのは、いたって普通のことなのではないでしょうか。見方を変えれば、黙っていても、子どもが自分の部屋に引っ込まないでそこにいてくれるだけでも、やはりの重要な意味があるように思います。ですから、沈黙の時間が気まずくても、あまりネガティブにとらえすぎずに、意味あるプロセスの一つとして大切にしてほしいのです。

ポイント(2)
あいづちは「へぇ」「はぁ」「ふーん」だけに限定する

とはいえ、慣れない最初のうちは、何も言わずに黙って話を聴くのはつらいと思います。我が子が自分の考えとは違うことを話していれば反論したくなるし、子どもの話を聴いて、何を言いたいのか理解できないというケースもあるでしょう。

そんなときは、「へぇ」「はぁ」「ふーん」という三つのあいづちだけを打つようにします。さらに言うと、これだけしか言わないようにしてください。

言うときには、口先ではなく、共感して心のこもったあいづちでないと子どもに見抜かれ、逆に反発されます。子どもの話をしっかり受け止めて、本気であいづちを打つようにしましょう。

これは私個人の恥ずかしい体験ですが、かつて30代後半で英国に留学中、父親に自分の感情を潰されて、キレたことがあります。私が現地の研究室に所属し始めて1年が経った頃で、日本にいる両親とSkype(無料のオンライン通話)で会話をしました。

英国で1年暮らし、研究室でも毎日英語を使っていたにもかかわらず、私はアイルランド訛りが極端に強い教授の話す英語をほとんど聞き取ることができず、苦労していました。渡英前には英語の勉強は徹底的にやり、TOEFLでも、一流のMBAに行けるくらいのまあまあの高いスコアを取っていました。

しかし、学校教育で米国英語に慣れ切っていた私は、イギリス英語に慣れていなかったうえに、ネイティブが本気で話す日常会話の訛った英語は、まるで標準語の日本語を勉強した外国人留学生が、早口の地方訛りを理解できないような感覚に近いものだったのです。

回線がつながり、父親に「元気にやっているのか?英語はもうペラペラか?」と聞かれ、弱気になっていた私は思わず、「いやぁ、こっちに1年近くいるけど、教授の話す英語が全然わからないんだよ」と思わず愚痴を言いました。すると父親は、すかさずこう言ってきたのです。

「何のために留学しているんだ、お前は!?」

それを聞いた瞬間、私は頭に血が上り、回線をガチャ切りしてしまいました(笑)。

こういう場合、まず、「そうなのか」「そりゃ大変だな」「やっぱり英語の習得は、簡単ではないんだな」などと同意や共感を示し、その後に、「でも、そのままだと留学が消化不良になってしまうから、何かいい方法はないのかね?」と言われれば、こちらも「たしかにそうだ」と納得できます。

それを、いきなり評価や批判などされてしまえば、こちらも必死でやっているのに報われていない中、さらに追い詰められたつらく悲しい感覚が増幅させられたようで、反感すら覚えます。

私の場合、後日、父親に対して、「あれはないだろう」と笑いながら話しました。そういうことができる関係性が背景にあるなら笑い話ですみますが、ガチャ切りもできず、これと同じようなことを幼い頃から何十年も続けられたら、やりきれない気持ちに圧倒され、やがて自分の本音の感情を押し殺し、心を病み、問題行動につながるはずです。

ある40代の女性は、ひきこもりから立ち直りつつある過程で、両親に感謝の気持ちを込めて、貯めた小遣いで父親の誕生日に一流のレストランのディナーに招待しました。両親は、家族療法を学び関係性も改善してきており、その日も食事をしながら娘の話に耳を傾けていました。

ところが途中、父親がついポロっと「働いてもいないくせに、こんな高いレストランで散財して」と言ってしまいました。すると娘は逆上して、「どうしてそんなことを言うの!」と大声を出し、店中を巻き込む大騒ぎになってしまいました。

父親にすれば、ごちそうしてくれるなら、自立して仕事で得たお金でしてほしかったのでしょう。

その気持ちはとてもわかるのですが、「働いてもいないくせに」と言うのは、自分の不満やストレスをスッキリさせることだけを優先した言葉であり、子どもの心情など眼中にない言葉と言えるでしょう。傾聴・共感する態度ではありません。それにこの父親の場合、同じような言葉をぶつけてきた過去があり、子どもにすれば「本当に親は変わったのか?」とまだ疑心暗鬼だったのでしょう。

このケースでは、父親が謝ったことで事なきを得ましたが、立ち直る過程でも子どもは言葉遣いに神経質になっているはずで、親としては細心の注意を払う必要があったように思います。

ポイント(3)
子どもが「でも」「だけど」を発しているうちは黙って聞く

反論やアドバイスをせずに、意識して話を聴くことに専念した結果、我が子の反応や様子が変わってきたら、「へぇ」「はぁ」「ふーん」以外にも話していいでしょう。ただし、気をつけたいのが、親が話すタイミングです。

実は、コミュニケーションには、道路を渡るときと一緒で”信号機”があるということはご存じでしょうか?実際の道路と一緒で、コミュニケーションも赤信号で渡ろうものなら大事故が起きてしまいかねないのです。

では、安心・安全な”コミュニケーションの青信号”とはどういう状態でしょうか?

これはすなわち、相手の心があなたの話や意見を聴けるモード「渡ってよし」になっていてはじめて成り立ちます。

ところが、コミュニケーションの”赤信号”、つまりお互いの心がつながっていないと、どんなにいいアドバイスをしても相手の心には届きません。それどころか、「この人は、私の話をさえぎって聞いてくれなかった」と恨みしか残らず、「お前の気持ちを聞く気はない(=一次感情である生存本能の否定)」と受け取られて、相手を非常に不愉快な気分にさせます。場合によっては、相手を心の病に追い込むことさえあります。

言い換えれば、こちらの話を安心・安全に相手の心に届けるためには、相手の耳を聴くモードの青信号にする必要があります。

相手の聞く耳の信号が、青か赤かを見極めるヒントは、あなたが発言した後の相手の言葉にあります。

「いや、そうかもしれないけど」
「でもね、そうは言うけど」
「……(無言)」

こうした”But(しかし)”の類の言葉が返ってきたら、まだ信号は赤のままです。十分に共感がされていない状態であり、子どもは聴く準備ができていません。

“But”は、「まだ私は言いたいことがある」「コミュニケーションの私のターン(順番)はまだ終わっていない」というサインで、こちらのアドバイスや共感の仕方がよくないと言えます。

それが、相手から、
「うん、そうなんだよ!」
「そう、わかってくれる?」
という”Yes”の言葉が出たら、それは信号が青になった、つまり共感してもらえてこちらの話を聴く準備が相手に整ったという証であり、合図なのです。

この場合、子どもは本音の感情を出せてある程度気がすんでいるので、親の話を聴いてくれます。たとえ多少見当違いなことを言ったとしても聴いてくれるでしょう。

そのため、子どもの口から”But”が出ているうちは、好きなようにしゃべらせます。親は、”Yes”が出るまで余計なことを言わないよう、トレーニングするといいでしょう。最初は何日間も、ときには何週間も”Yes”が出ないことすら珍しくありません。

▼コミュニケーションの信号の見極め方

あなたの発言の後、子どもから「Butの言葉」が出たら、コミュニケーションの信号は青になっていないということ。「Yesの言葉」が出たら、信号が青になった、つまり相手の話を聴く準備が整ったという合図。

つまり、親が自分の話や意見を我が子に聴いてもらうには、常に子どもの心を青信号にしておくことが不可欠です。そのためには、まず子どもの話を辛抱強く聴き、「大変だね」「心配だよね」「それはつらいね」と共感することが前提になります。

ただし、この場合の「共感」は、イコール「すべて賛成」ではありません。子どものつらさや不安が、心の行き詰まりにありがちなゆがんだ考え方に基づいている場合、ときには間違ったことを言うからです。

また、共感することは大事ですが、話を聴き始めて早々に共感の言葉を発するのもよくありません。

「わかった、わかった」
「あー、はいはい」
「まあ、そんなもんだよ」

といった言葉を使うと、子どもは「早く話を終わらせろ」と言われていると感じ、自分の話を打ち切られたと思いがちなため、注意が必要です。

このようなあいづちは、無意識のうちにやって周囲を不愉快にさせていることもあるので、夫婦間や友人などに自分自身のあいづちのタイミングが適切かどうかを聞いて、チェックしてもらうのもよいかもしれません。

ポイント(4)
対話が難しいならLINEを活用してみる

長年ひきこもっていたり問題行動を抱えたりしている子どもとその親というのは、会話が成り立たない、あるいは、会話がほとんどないことが多いものです。そんなときに役立つのが、無料のコミュニケーションアプリ「LINE」等のトーク(チャット)機能です。

最近、私が受けた家族相談の中に次のようなケースがありました。

患者は統合失調症で苦しむ40代後半の女性で、両親は70代。それまで精神科の治療をしっかりとは受けた経験がなく、私も本人には一度もお会いしたことがありません。

彼女は、親の顔を見るたびに暴言や暴力、自傷行為などを繰り返し、やがて自宅にいたくないと、何年もホテルを転々としていました。転々としていた理由は、薬を飲んでいないこともあり、行く先々で、隣の部屋から盗聴され嫌がらせの電波による攻撃を受けているという妄想の症状が見られ、隣客やホテル側とトラブルを起こし、一定期間滞在するとホテルを変えざるを得ないからだそうです。

両親との連絡も途絶えがちでしたが、私が母親に傾聴・共感の方法を指導し、それを母親がLINEを使って実施したところ、それまで一方通行だったのに、娘からこまめに返事が来るようになりました。

2、3カ月経つと、逆上することもなくなって別人のように穏やかになり、ホテル住まいをやめて自宅で過ごすことが増えていきました。そんな娘の様子を見て、両親はとても喜んでいました。

私は、母親には3回しかお会いしたことがないのですが、お母さんが本当に頑張った結果だと思います。これらは治療につながるでしょうし、以前よりもいい方向に向かう可能性は少しずつ高まっているのだと思います。

LINEでもよいのですが、中高年の親では、時代的にはちょっと古いですが、交換日記を使うことも非常に効果的です。

会話だとその場で消えてしまうのに対し、日記は文字として残るので、「どうしてこんな言葉を使うの?」などと親子でディスカッションができます(これを「コミュニケーション分析」と言います)。

悪気がなくても、親の使っている言葉が、子どもにとってはつらさが増すものだったりします。文字のやりとりによって、親は「ああ、そういうことか」と気づき、子どもにはつらい言葉を使わないようになっていくなど、とてもよい教材になるのです。こういった例は非常に多く見られます。

LINEも同じで、「どうしてこの状況でこのスタンプを使うの?」と子どもが親に聞くなど、子どもが思っている感覚と母親の感覚とでは違うことがわかり、それがきっかけで行き違いが解消され、心の行き詰まりがよくなることは珍しくないのです。

LINEは日記にくらべて手軽ですし、頻繁にやりとりもできます。今は、高齢の親であってもLINEを使っている人は多いでしょうから、コミュニケーションのあり方を見つめ直す価値はあるように思います。

またLINEは、同居していても、顔を合わせるたびに衝突してしまうような親子が、冷静に対話をするきっかけにもなるのではないでしょうか。

ポイント(5)
相手の反応がなくても「挨拶」「なにげない声がけ」を続ける

心の行き詰まりに苦しんでいる子どもの中には、親と同居はしているものの、関係が断絶しているケースが少なくありません。親が「おはよう」と挨拶しても、返事をせず、何の反応も見せないようなことがあります。

そんなとき、「親を無視するとは何事だ!」「バカにしているのか!」などと逆上しても意味がありません。子どもがそういう態度に出るには、それ相応の理由があるはずだからです。

たしかに、我が子にそんな態度をとられたら、親としてどんなにかつらいことでしょう。ですが、子どもはこれまでずっと我慢してきて、その百倍も千倍もつらい思いをしてきたのだと考えてみてはどうでしょう。そうすれば、少しは怒りもおさまるのではないでしょうか。

たとえ子どもの反応がなくても、「おはよう」「ただいま」「ごはんできたよ」といった、なにげない言葉をかけ続けるようにしましょう。その言葉がけが本心からであれば、いつか子どももきっと反応してくれるはずです。

一方、我が子に対して、親、特に父親がコミュニケーションを拒否しているケースがあります。

こんな例があります。長年ひきこもっていた娘と父親のケースですが、以前は娘が「おはよう」と挨拶をしても、父親は返事をしなかったそうです。父親にすれば、娘が自分の期待に応えてくれず、さらにひきこもったことに裏切られた気がしていたのでしょう。

それが、父親が傾聴・共感の方法を学ぶようになると、少しずつですが娘と向き合うようになり、娘の「おはよう」という挨拶に対しても、なんとか「おう」と答えられるようになりました。

娘は「それだけですごくうれしかった」と、母親を通してセラピストに伝えたそうです。きっと娘は、父親が返事をしてくれるのをずっと待っていたに違いありません。

そんな娘の気持ちを、セラピストが面談に来た父親に伝えると、父親は照れ臭そうに笑ったそうです。
父親は娘にがぜん関心を持つようになり、娘に対するまなざしも変わってきます。

子どもは敏感ですから、そういう親のわずかな変化に気づきます。それまで知らん顔をしていたのが、ふと顔を上げると、父親が「どうしているのかな?」という顔で見ている。そこに言葉はないものの、自分を気にかけてくれている父親を見て、「つながった」と感じたそうです。

「おう」というたったひと言の挨拶ですが、このときの「おう」は父親の本心からの言葉です。娘は父親のその表情から「あぁ、私のことを理解してくれているんだ」「私は愛されているんだ」と感じた瞬間だったのではないでしょうか。

また、コミュニケーションが改善しつつあるのが前提ですが、言葉によるやりとりが少ないとき、母親と子ども、特に娘の場合には、マッサージやハグなどのスキンシップが両者の間の垣根を低くすることがあります。

これは、母親だけでなく、本人が望むことが大前提ですが、父親がやっても有効なケースが少なくありません。

「頑固な不眠症に悩まされていた子どもが、親のマッサージによって恍惚の表情を浮かべ眠りに落ちた」「絶縁状態だった娘にマッサージをするうちにいつしか子どもとの会話が増えていった。私はもうクタクタです(笑)」といったような報告はいくつも聞くところです。

ただ、傾聴・共感の姿勢のかけらもない親が、いきなりマッサージやスキンシップをするのは逆効果です。あくまでもこの順番を間違えてはいけません。

◇◇◇◇◇

なお、本稿は書籍『8050 親の「傾聴」が子どもを救う』(マキノ出版)の中から一部を編集・再構成して掲載しています。224ページにおよぶ本書は、さまざまな事例をもとに、親子のコミュニケーションの改善が問題解決につながるという観点で、やさしく丁寧にそのノウハウを解説した良書です。詳しくは下記のリンクからご覧ください。

8050 親の「傾聴」が子どもを救う
¥1,650
2021-09-02 13:38

※(2)「中高年の引きこもりの我が子のつらさをまずは分かってあげる」の記事もご覧ください。

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