【8050問題】中高年の引きこもりの解決に 子どもの「絶望」を救うには 我が子の「つらさ」を分かってあげる

暮らし・生活・ペット

心に行き詰まりを生じて、ひきこもりや問題行動を起こす、子どもと親との間で繰り返されているすれ違い――。我が子を絶望から救い、信頼を取り戻すにはどうすればいいのでしょうか。こうした悩みに対して、書籍『8050 親の「傾聴」が子どもを救う』の著者で、精神科医の最上悠さんに解説していただきました。

解説者のプロフィール

最上 悠(もがみ・ゆう)

精神科医、医学博士。うつや不安、依存などに多くの治療経験をもつ。英国家族療法の我が国初の公認指導者資格取得など、薬だけではない最先端のエビデンス精神療法家としても活躍。近年はPTSDから高血圧にまで効く“感情日記”提唱者としても知られる。早い時期から食と栄養、読書、運動等の代替医療効果を提唱し、自ら臨床実践してきた。複雑な心の治療では、“ハンマーを持つと、すべてが釘に見える”一流の専門家より、多彩な“道具”を持つ「二流のオールラウンダーこそ名医」がモットー。
▼専門分野と研究論文(CiNii)

本稿は『8050 親の「傾聴」が子どもを救う』(マキノ出版)の中から一部を編集・再構成して掲載しています。

イラスト/水谷有里 図版作成/田栗克己

親に「受け止めてもらえた」と感じたとき、子どもは絶望から救われる

自分のつらい気持ちや不安をわかってもらいたくて、夫(妻)に話しかけてみたものの、相手は「そんなときはこうすればいい」とわかっているような正論をとうとうと述べるだけで、こちらの気持ちを理解してくれようとしない。

そのうち気づけば上の空で聞いている。それが続くうちに、「何を言っても無駄だ」と虚しくなって話す気が失せ、ついには怒りが込み上げ「もういい!」と叫びたい衝動に駆られる――。
配偶者などとの間でこんな経験をしたことのある人は多いのではないでしょうか。

実は、心に行き詰まりを生じて、ひきこもりや問題行動を起こす子どもと親との間でも、こうしたすれ違いが繰り返されているケースが多いのです。

子どもを問題行動に走らせるのが、「どうせ私のことなんか理解してもらえないのだ」という親に対する絶望であり、不信感です。

では、我が子を絶望から救い、信頼を取り戻すにはどうすればいいのでしょうか。

それが、ひたすら我が子の訴えに耳を傾け、気持ちを受け止める「傾聴・共感」です。

人は、自分が話す相手に「感情を受け止めてもらえた」と感じない限り、どんなに素晴らしい助言もまっとうな意見も、全く耳に入りません。

ましてや、ろくに話を聞きもしないで見当違いのアドバイスや説教などされようものなら、もう恨みしか抱かないことでしょう。

感情を受け止めてもらえると、親に対する子どもの信頼が回復し、ひきこもりやさまざまな問題行動でさえ解決に向かっていくことが少なくないのです。

親の傾聴・共感で親を見る子どもの目が変わる

以下にご紹介するのは、親たちが傾聴・共感を徹底した結果、ひきこもりや問題行動から立ち直った、みな成人した子どもたちの言葉です。

「親が家族療法に参加してくれたことを知ってうれしかった。自分は見捨てられていないことがわかった」

「親が変わった。やさしくなった」

「親が細かいことを気にしなくなって、自分も気を遣わずによくなった」

「親が明るくなった。こせこせしなくなり、自分もキリキリしなくなった」

「親が口うるさく言わなくなった。そのぶん、自分は”しっかりしなくては”と責任を感じる」

「両親が、自分のことでよく会話をするようになった。当たり前のことなのにうれしい」

「お父さんがお母さんを大事にしている。自分は、不安が消えて心が軽くなった」

「自分がよくなったら、家中が明るくなった。親には家族療法は続けてほしい。安心していられる」

「家族療法を受けて帰宅したときの親はやさしくて明るい。自分に寄り添ってくれている実感がある」

これを読むと、子どもにとって親の存在や、親が子どもに寄り添うことがいかに重要かということが感じ取れます。

親の傾聴・共感で子ども自身が変わる

次に、親の傾聴・共感によって子ども自身がどう変わったのか、子どもたちが語った言葉をご紹介します。

「自分は変わった」

「自分で思ったことを行動に移せるようになった」

「親が自分の意見や行動を寛容に受け止めてくれる。人として対等な関係にあると認められて自信になった」

「自分らしい道を歩みたいという前向きな気持ちが、自然に湧いてきた」

「両親を攻撃したい気持ちは感謝に変わった」

「幼い頃から”いい子”を続けて疲労困憊だったけれど、今は何の縛りもなくなって”本当の自分”でいられる」
「気持ちが楽になり、失敗が怖くなくなった」

彼ら彼女たちの言葉からは、同じ年齢の成人した子どもに比べれば遅いかもしれませんが、ようやく生きていく喜びや気力を感じられるようになり、新たなチャレンジに向けて自分の力を試したいという気持ちが芽生えているのがわかると思います。

我が子を追い詰める「正論」

では、反対に子どもを追い詰めるのは、親のどのような接し方でしょうか。

一つは「正論」や「建前」での言動です。

あくまで私の経験ですが、ひきこもりや問題行動を起こす中には、社会から非常にインテリと見られている家庭の子どもも少なくないようです。そういう家庭では、おしなべて「正論」や「建て前」で子どもを育てているように思います。

もちろん、その教育方針でうまく育つ場合も多々あるのは事実です。しかし、その方法が合わない子に対しても「きょうだいを同じように育てて何が悪い」と開き直ったかのように同じように続けていると、ついていけない子は耐えられなくなって破綻していきます。

たとえ心の病やひきこもりにならなかったとしても、毒親などと反発されて関係が悪化したままの親子も本質的には同じ構造かと思われます。

正論や建て前は、立場が強い人が発すれば、表面的には簡単に人をねじ伏せることができます。理屈としては正しいのですから、子どもがいくら反論しようとしても親には勝てません。

たとえば、自律神経の失調をきたして朝起きられない我が子に対し、親が「もう朝だぞ。いつまで寝ている気だ。起きろ!」と怒鳴る。たしかに朝になれば起きるべきなのですが、その子は起きたくても起きられないのです。

成長過程の子どもであれば、理に叶わない言動をとることもあるでしょう。それを正論や建て前でねじ伏せようとしても、我が子を追いつめるだけのように思います。

結論から言えば、子育てで画一的に「正論」だけを押し付けるのは、親の自己満足であり有害無益でしかないと思います。特に心が行き詰まっている我が子に正論で接するのは、状況をますます悪くするだけです。

我が子が約束を守れず、反省して「ごめんなさい」と謝ったときにも、子どもの言い分を聞き、その心情を確認することもなく、

「約束を守る気がないのは、親をバカにしているからだ。相手を尊重していればそんなことはしないはず」と怒るのと、

「わかったなら、もういいよ。次はきっと約束を守れるね」

という言葉をかけるのとでは、子どもの受け止め方は全く違うはずです。

もちろん、子どもの態度次第では強く叱ることが必要かつ有効なときもあるでしょう。

けれど、子どもがどう受け取るかといった反応には関心すら抱かず、自分の価値観を押し付けるだけで、表面上従っているだけの子どもを見ながら、「これが自分の教育方針だ」と自己満足に浸っているだけだとしたら論外です。

話を聞いたうえで、子どもの性格や状況によってはやさしい言葉をかけるほうが、子どもの態度は柔らかくなり、「次はちゃんとしなきゃ」と思う場合もあるはずなのです。

息苦しい環境の中で育てられた繊細な子どもであればなおさら、正論や厳しさではなく、人間味や人としての温かさをもって、のんびりと、おおらかに目的に向かっていくほうが、子どもにも親にも双方にとっていいように思います。

我が子を追い詰める「暴論」

子どもを追い詰める親のもう一つの接し方は、「暴論」です。

我が子のひきこもりや問題行動に頭を悩ませる親と接していると、子育てに関して次のような持論を耳にすることがあります。

「子どもの世話は母親がするべきだ。父親である自分が関わると子どもが混乱する」

「子どもとコミュニケーションをとる必要はない。親が厳しい言葉で諭せばいい」

「子どもを甘やかすと本人のためにならない」

そしてこうした親は、苦しむ我が子に対して、こんな言葉を浴びせます。

「もう十分休んだだろう。いい加減そろそろ学校(会社)に行ったらどうだ」

「人生はつらいものなんだ。つらいのはお前だけじゃない」

「朝起きられないのは気合いが足りないからだ。気合いを入れろ!」

これらの言葉を親は当然と思って言っているのでしょうが、子どもにとっては「暴論」です。

なかには、「お前はバカなんだから、親の言うことを聞いていればいいのだ」と平然と言う親もいます。「お前はバカだから」などという暴言は、我が子に本音の感情を殺させ、さらに追い込むひどいものです。

このような言葉は私の経験的には父親の口から出ることも多く、その父親は家庭の中では頂点に君臨しています。そのため、父親に対し、家族の誰も意見することができません。

そんなとき、子どもの反応は二つに分かれます。

一つは、「どうしてお母さんは反論してくれないの?」「もっとしっかりして」と、母親に怒りを向けるケース。

もう一つは、「お母さんも被害者でかわいそうだから、困らせちゃいけない」「お母さんにわがままは言えない」というケースで、後者の場合、父親に怒りを持っています。

子どもの本音を受け止めるだけで変わる

ひきこもり以上に、親を惑わせ、疲弊させるのが、暴言や暴力、自傷行為、さまざまな依存症、摂食障害といった問題です。

子どもたちがこうした問題行動に出る背景には、つらい自分の一次感情を感じられず、しわ寄せとしてあふれ出した自分の二次反応である、ゆがんだ考えやふくれ上がった感情、不健全な身体感覚やゆがんだ身体反応に苦しんでいるというメカニズムがあります。

一人で感じられない一次感情を処理したいがために、親にその気持ちのつらさを理解してほしいのです。口に出せない、あるいは言っても伝わらないために、「とにかく自分はつらいのだ」と行動で示すことにもなります。

たとえば、家庭内暴力は、一種の家庭内テロとも言え、それによって親子関係は改善するどころか悪循環しか生まれませんが、何か苦しんで困っているという熱量だけは親に伝わるかもしれません。ただ、それができるのは力の強い男性もしくはそれを表向きに表現できる強さを持ち合わせた性格の人です。

暴力を振るえない多くの女性や気の弱い人の場合は、ひきこもりや食行動の異常である摂食障害、自傷行為など内側への衝動性の亢進や何かしらの依存症という形になって表れることがあります。

たとえば、拒食症には、無意識のハンガーストライキの側面もあり、自分が病気になることで、ようやく親が真剣に自分のほうを向いてくれたという患者もいます。もっとも、そういう意図がなく拒食症になる人もいるので、一方的な決めつけは禁物ですが。

親が夫婦ゲンカを始めると、幼い子どもは「おなかが痛いよ」と訴えることがあります。すると親は救急車を呼んだり、一緒に病院を探したり、自分のことで真剣に話し合う。そうした「共同作業」が生じたことに安心したかのように、病院に連れていったときには腹痛が消えている……。これは実際によくある話です。

この場合、子どもは演技をしているのではなく、言語化の能力が発達していない子どもであっても、親の不仲は生物としての生存の危機を感じるため、本能的にこのようにして非言語的なメッセージを出すメカニズムがあるわけです。

それなのに、「お前の腹痛は、都合が悪くなると出てくる仮病だからな」と、本質に鈍感なまま、平然とこんな嫌味を言い放つことしかできない親がいます。こんな親の下で、どうして自分の感情を大切にできる子が育つと言えるでしょうか。

また、反抗期に差しかかった子どもが非行に走るのも同じです。私にはかつて賑やかだった夜中の暴走族のクラクションは、「父ちゃん、母ちゃん、俺の本当のつらさや寂しさをわかってくれよ、俺のほうを振り向いてくれよ」という悲痛の叫びにしか聞こえてこないのです。

それと同じで、子どもが問題行動を起こすのは、子どもが自分の窮状を伝えようとするからなのです。親に受け止めてもらえず、まだ未熟で不器用な子どもほど、自分の窮状を伝えようとすればするほど「熱量」ばかり上がる=行動や症状がエスカレートするだけで、残念ながら事態は正しい方向には進みません。

子どもの「本音」の感情

では、幼い子どもではなく20歳を過ぎた子ども、もっと言えば、40や50を過ぎた子どもまでもが、親の嫌がることをするのはなぜなのでしょうか。

それは、やはり幼い頃から親のために、「本音」の感情を押し殺してこざるを得なかったからです。

赤ちゃんがおぎゃあと泣くように、幼い子どもは駄々をこねます。幼稚園から小学校に上がってからも、「〇〇を買って!」「勉強なんかイヤだ!」などと訴えます。それに対して、親はときには「わがままを言うんじゃない」と説教をするかもしれませんが、たいていの場合は、泣かせたり言いたいことを言わせたりして「本音」の感情を吐き出させることで、子どものストレスはいったんリセットされます。

子どもが小さいときであれば、親に不満を抱いて、安いお菓子を買ってと駄々をこねたり、おもちゃを投げつけて壊したりといった程度の問題ですみます。

ところが、そういう感情を表現することさえ許されずに大人になると、ストレスをゆがんだ形でため込んでしまうことになります。「本音」の感情をしっかりと親に受容してもらっていないために、生じた感情を感じてリセットするという情動処理の技術がうまく身につかないまま大人になってしまうのです。

すでに触れたように、「本音」の感情は「一次感情」とも呼ばれ、「心の羅針盤」とも言われます。これは生物としての「本能」であり、自分はどうしたいかということを感情で感じ建設的に表現できれば、好きなことはやりたい、嫌なことからは逃げる、といった意思表示につながります。

小さい頃から、親によって「そういうバカなことを言うんじゃない」などとただ押し潰されるだけだと、大人になっても言いたいことが言えず、泣き寝入りするだけになります。すると、いつしか周りの顔色ばかりうかがうようになり、失敗が怖くて挑戦できなくなり、結果、成功するためのスキルも磨かれず、自分の核となる感情が何なのか、自分は何がしたいのかまでもがわからなくなってしまいます。

本音の感情は本能そのものですから、身体感覚とも密接に連動します。そのため、本音の感情を押し殺していると、人によっては、拒食症のように飢餓状態でも空腹を感じられない、過食症のように食べすぎるほど食べても満腹にならない、過労で倒れるかたのようにいくら行動しても健全に疲労を感じられない、逆にその反動でいつまでも慢性的な疲労・倦怠感や痛みが抜けない、リストカットで快感を感じるといった感覚異常までもが起こるのです。

もうおわかりだと思いますが、そんな子どもの問題行動を解決するため助けになるのは、親が子どもの本音の感情をしっかり聴いてあげることです。これは小さい子どもも、大人になった子どもも同じです。年齢は単なる数字でしかありません。

小さい頃に文字を習えなかった大人が、「いい年して」と言われようが「いろは」から学ぶしかないように、心の課題も、未成年期に健全に育たなかった大人は、子どもと同じレベルから始めるしかありません。いくら見てくれだけが大きくなっても、メンタリティの本質は小さな子どもと変わらないからです。それほど親の影響力は大きいのです。

ただ、未成年と違い、大人の本人は、「いい年して、年老いた親に自分はいつまでこんな子どものようなことを言っているのだろう」という罪悪感にも苛まれているので、この葛藤による苦悩が未成年以上に感じるつらさをふくらませていることは忘れてはいけません。

怒っている人は、困っている人

これは、心理学の世界でしばしば言われることです。心の病や行き詰まりを抱えた人が怒るのは、本当は怒りたいからではなく、その背後に不安、寂しい、悲しいといった本音の感情(一次感情)があるからです。それがつらすぎるからなんとかしたいけど、つらすぎて向き合えないために、本音に蓋をして悪あがきしたり回避したりする。それがどんどん蓄積してふくらみあふれ出したものが、怒りや衝動行為なのです。

▼「聞く」と「聴く」の違い

怒っている人は、困っている人
「怒っている人」は、本当は怒りたいのではなく、その背後にある「悲しい、不安、心配」などの本音の感情があまりに苦痛のため、抑圧した結果、おさまりきらない感情がふくらんだ怒りとなって表出する

これは、夫婦ゲンカも同じす。奥さんが旦那さんに向かって怒鳴るのは、怒鳴りたいからではなく、自分の話をきちんと誠実に聴いてくれなかったり、気持ちを理解してくれなかったりするのが、不安だったり、悲しかったり、寂しかったりするからではないでしょうか。

「ちゃんと、私の話を聴いてよ」と言ったとき、相手から「また、同じ話か?」「いっぱい話しているじゃないか」「何度言えば気がすむんだ」と反論されることも多いのではないでしょうか。それに対して「そっちが、一番大事なところを理解してくれないから、何度も同じ話をする羽目になっているのに」と言えば、「その言いぐさはなんだ!」となり夫婦ゲンカが始まるのではないでしょうか。

子どもの暴言や問題行動も全く一緒です。そんなとき大事なのは、怒りや衝動という「うわべ」の感情(二次感情)や関連する問題行動(二次反応)を真に受けて反論するのではなく、それより深いところにある「本音」の感情(一次感情)を感じることです。我が子が自分の感情を深く感じる力がないならば、その習得のためには、親が子どもの話をしっかり「聴く耳」と、子どもの様子を「見極める目」を持たなくてはなりません。

こう言うと、「親でなくてもよいのではないか?」と言う声も聞こえますが、そこには二つ反論があります。

一つは、年齢を重ねた行き詰まる大人に対して、親以上に真剣にそんなことを無償でやってくれる人など世の中には存在しないということ、もう一つは、さらに重要な点として、どんなに優れた専門職のセラピストでも、親子で抱えている根源的な課題に関しては、親以上の効果は出せないということです。

もちろん、どうしても親の協力が得られなければ、次善の策としてセラピストが関わるやり方はありますが、得てして非常にお金も時間もかかり難しいうえ、成功したとしても、親に受け止めてもらえるほどのハッピーエンドには到達しません。所詮セラピストにできるのは、うまくいったとしてもセカンドベストとしての救いや癒やしの提供までです。

そもそも制度上の問題もありますが、私が自分の力不足を棚に上げて言わせてもらえば、そんな素晴らしい精神科医やカウンセラーに出会うことは我が国では非常に困難ではないでしょうか。私の周囲を見てもそう感じざるを得ません。

だから、あえてファーストチョイスとして、親の重要性を強調しているつもりです。

子どもは、親がわかってくれずに感じてきた「寂しい、悲しいという気持ち」を、親に「そうなのね」と心の底から聴いてもらえて安心できれば、長年ため込んできた澱のようなものは消えていきます。

その極上の快感を覚えた子どもには、自分の本音の気持ちを大切にして生きる、つまり自分らしく生きたいという気持ちが芽生えます。そして、このままではいけないと自然に感じ、将来に向けての建設的な行動が始まります。それこそ他人からの押し付けではない、本当の意味での自立が始まるのです。

「甘やかしすぎ」ではなく、「甘え足りない」から苦しんでいる

「先生のやり方は子どもを甘やかすだけじゃないですか!」

私がこれまで出会ってきた親の中には、「子どもの話を聴いてあげてください」と話すと、こう言って食ってかかってくる親がいます。

親にすれば、幼い頃からわがままなど言わず、出来もよくて、言われなくても勉強をし、友達とはケンカなどせず、親にやさしかった、順風満帆と信じていた自慢の我が子が自立できず、なかには心の病になってしまったうえ、専門家からのアドバイスが「子どもの話を聴け」では受け入れ難く、落胆するどころではないのでしょう。

また、長年ひきこもっている病理の重い子への対処法として、私が、
「本当に苦しんでいるのなら、無理に学校(会社)に行かせなくてもいいですよ。好きなようにさせてください」などと言おうものなら、

「そんなに甘やかしていいんですか!」と猛然と反論される親もいます。

ですが、これは全くの誤解と言えます。親は、我が子を甘やかしてきたと思っているかもしれませんが、実際は逆で、大半の病んでしまった子どもは「甘え足りない」のです。

子どもは親に愛情を思いっきり注いでもらい、安心して親に甘えることで成長していきます。これは「愛着形成」と呼ばれます。「愛着形成」が熟成されてくると、安全基地としての親の存在を心の支えとしつつも、子どもの関心は遠心力のように外に向かっていきます。つまり「愛着形成」は、その後の心の発達や人間関係の形成に欠かせないものです。

▼愛着形成のイメージ

ところが、虐待などを受けてきたような極端な場合は論外としても、幼い頃から不仲の両親を心配して“いい子”を演じているような子どもは、親に甘えるどころではありません。あるいは、我が子に過度の期待をかけ、常にプレッシャーをかける”ムチ”だけの親にも、子どもは甘えることはできないでしょう。

愛する人に甘えることの重要性

親に甘えることは、親から愛情を受けることと同様の価値があります。そして、愛情は人が生きるための燃料です。親にしっかり甘えた子どもというのは、愛情という燃料をたっぷり蓄えているため放っておいても自立します。

しかし、幼い頃、親に十分に甘えられず、たっぷりもらえるはずの燃料をもらわずにいると、途中で燃料切れを起こし、社会的な生活が送れなくなってしまうのです。子どもは甘え足りないと、親に自分の感情をしっかりと受け止めてもらったという安心感がないので、頭では、「仕事をしないと」「学校に行かなきゃ」とわかっていても、体が動きません。

▼「愛情」は人が生きるための燃料

親に甘えることができるのは、親から愛情を受けることと同じ

子どもの年齢が40、50歳になっていると、「いい年をして、今さら親に甘えさせろだなんて」と思われるかもしれませんが、年齢は数字にしかすぎません。

早々に親を見限って自立できる強い子もいますが、繊細な子どもの中には、親による愛情が満たされず、いくつになっても自立できない子がいるのもまた事実なのです。本来は小さいとき、健全な成長のために必要だった質と量の「甘え」を、親が提供できていないため、子どもは足りていない「甘え」を何歳になっても求め続けているのだと理解すべきです。

そのような状況で、「さんざん言うこと聞いただろう」「これまで面倒見てきて甘やかしてきただろう」と吐き捨てるのは、まるで、脱水状態でのどがカラカラで水がほしいと言っている人に、「水分だから同じだろう」と果物やサラダばかりを与えるようなものです。

「そうではなくて、とにかく水が飲みたい」と懇願する相手に、「水分はもうたくさんやっているだろう、まだ水分がほしいのか?」「水分ばかりやるとよくないのではないか?」と、己の察しの悪さに気づかずに、相手を苦しめているのと同じ構造とさえ言えるでしょう。多くのお子さんは、このたとえを非常によくわかると言ってくれます。

愛する人に甘えることの重要性は、夫婦を例に考えてみてもわかります。

夫や妻が、外での人間関係や出来事の愚痴を妻や夫にこぼすのは、自分の不満をわかってほしいということであり、これは甘えることの一つの形です。大人であっても甘えたいのです。

甘えることは悪いことではありません。そしてその基本は、夫婦であっても傾聴・共感です。離婚する夫婦の多くは、互いの話など聴かなくなっていることが多いのではないでしょうか。「うちの夫は、聴き上手で共感がうますぎるので、離婚したくなってしまう」などという夫婦は皆無でしょう。

それが子どもであればなおさらです。小さな子が一生懸命に勉強したり、親の言うことをよく聞いたりするのは、親に褒めてもらいたいからであり、甘えたいからなのです。子どもにとって親は、心の逃げ場所であり、心の安全基地なのです。

ですから、今からでも遅くありません。特にこれまで満たされたと感じられなかった子どもはいくつになっても親に甘えたいはずですから、我が子の話に耳を傾けて、本音の感情を表現させて深く感じさせてください。

重要なことなので繰り返しますが、親が傾聴・共感しようとすると、こじれていたケースほど、一時的に問題行動がひどくなりがちです。これは親が本当に変わったのかを確認するための大人の「試し行動」のようなものです。子どもは疑い深くなっているので、親の嫌がることばかり言ったりやったりすることも珍しくありません。心配になってきますが、傾聴・共感ができつつある証拠です。ある日を境に急激に改善していくので、辛抱強く傾聴・共感を続けてください。

極端に不信感の強かった子どもの場合、試し行動が激しすぎ、かついつまでも続くため、親は不安に陥ります。そんな場合の対処のコツは、家族会やカウンセラーなどの専門家、もしくは同じ問題意識を抱える他の親と、状況を共有して味方を増やすことで、その状況に耐えられる支援体制をつくることです。

◇◇◇◇◇

なお、本稿は書籍『8050 親の「傾聴」が子どもを救う』(マキノ出版)の中から一部を編集・再構成して掲載しています。224ページにおよぶ本書は、さまざまな事例をもとに、親子のコミュニケーションの改善が問題解決につながるという観点で、やさしく丁寧にそのノウハウを解説した良書です。詳しくは下記のリンクからご覧ください。

8050 親の「傾聴」が子どもを救う
¥1,650
2021-09-02 13:13

※(1)中高年の引きこもりの子ども支える8050問題とはの記事もご覧ください。

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