解説者のプロフィール

石井直方(いしい・なおかた)
1955年、東京都出身。東京大学理学部生物学科卒業、同大学院博士課程修了。理学博士。東京大学教授、同スポーツ先端科学研究拠点長を歴任し現在、東京大学名誉教授。専門は身体運動科学、筋生理学、トレーニング科学。筋肉研究の第一人者。学生時代からボディビルダー、パワーリフティングの選手としても活躍し、日本ボディビル選手権大会優勝・世界選手権大会第3位など輝かしい実績を誇る。少ない運動量で大きな効果を得る「スロトレ」の開発者。エクササイズと筋肉の関係から老化や健康についての明確な解説には定評があり、現在の筋トレブームの火付け役的な存在。
▼石井直方(Wikipedia)
▼専門分野と研究論文(CiNii)
本稿は『いのちのスクワット』(マキノ出版)の中から一部を編集・再構成して掲載しています。
イラスト/細川夏子、図版/田栗克己
糖尿病、がん、認知症への効果
最新研究でわかった筋肉の重要な働き
筋肉は体を支える土台となり、人間の活動すべてに関連しています。私たちの体のすべての運動は筋肉によって生み出されますが、筋肉の役割はそれだけではありません。最近の研究から、筋肉の新たな働きが明らかにされつつあります。
筋肉が担っている役割のうち、健康にとって重要なものをまとめてみましょう。
▼筋肉の役割
①体を支え動かすエンジン
②熱を作り出すストーブ
③ホルモンを分泌する
④免疫力を高める
⑤水分を蓄える
①筋肉は体を支え動かすエンジン
まず筋肉は、私たちの体を動かすエンジンとしての役割を果たしています。
重力に逆らって姿勢を維持する、「立つ」「座る」をはじめとして、「歩く」「走る」「呼吸する」等々、あらゆる運動が筋肉の収縮によって生み出されます。
それだけではなく、体の中の器官・組織も筋肉が動かしています。心臓の拍動や横隔膜の呼吸運動、胃・腸などの蠕動運動も(これは平滑筋ですが)、筋肉の収縮によって起こります。
このように筋肉は、あらゆる身体運動のエンジンとして働いています。加齢や活動量の減少によって筋肉が減っていくと、そのエンジンとしての機能が低下することで、サルコペニアやロコモ、フレイルといった状態へとつながっていきます。
人生100年時代を健康に生き抜くためには、まず筋肉を元気に保つことが重要といっても過言ではありません。
▼ポンプ作用で血液の循環を促す
筋肉が縮んだり緩んだりすることは、別のきわめて重要な働きにもつながります。
筋肉が収縮・弛緩するときには、筋肉の中の圧力も高くなったり低くなったりします。この縮んで緩んでという動きがポンプのように働き、心臓と同じように筋肉内の血液を押し出します。この筋肉のポンプ作用が全身の血液循環を促します。
筋肉を使わず、じっと座っていると、下肢の筋肉のポンプ作用が働きませんから、血液循環が悪化します。すると、重力の影響で血液やリンパ液が足のほうにたまります。この状態が長く続けば、足がむくんだり、さらには血栓ができて、エコノミークラス症候群にもつながります。
筋肉をよく働かすことは、血液循環を促進することを通じて、生活習慣病全般の予防にも役立つといえます。

②筋肉は熱を作り出すストーブ
筋肉には熱を作り出す働きがあります。私たちの体温は常に37℃前後を保っています。これは、筋肉が熱を出してくれているからです。
私たちの体温のうちの約60%を筋肉が生み出していることがわかっています。ほかに、20%を肝臓と腎臓、残り20%を褐色脂肪細胞が産生しています。筋肉は、体の熱源となるストーブのようなものと思っていただければよいでしょう。
筋肉が減れば、それだけ体が熱を産生できなくなり、冷えやすくなるわけです。40代以降、冷えを感じやすくなる女性が増えますが、これには多少なりとも筋肉量の減少が関係していると考えられます。
▼筋肉は脂肪や糖がエネルギー源
筋肉という体のストーブは、収縮していない状態、つまり活動していない状態でも脂肪や糖をエネルギーにして熱を産生します。
じっとしているときでも、生命を維持するためにエネルギーが消費されていて、これを基礎代謝といいます。この基礎代謝の約3~4割は筋肉による熱の産生です。
筋肉1㎏あたりの基礎代謝量は、1日約20~50㎉とされています。トレーニングによって筋肉を1㎏増やした場合、自律神経の活性化による効果も加わって、1日約50㎉も代謝が増えるという報告もあります。つまり筋肉量が増えると、特に運動をしなくてもエネルギー消費が増えることになります。
これが毎日積み重なってゆくと、1日50㎉なら100日で5000㎉、1年で1万8000㎉になります。脂肪は1㎏あたり約7000㎉ の熱量をもっていますので、トレーニングで筋肉が1㎏増えれば、自然に脂肪が2.5㎏減る計算になります。逆に、筋肉を1㎏減らしてしまうと、脂肪が2.5㎏増えてしまうことになるのです。
つまり、筋肉がつけばつくほど、脂肪は燃えやすくなり、糖もたくさん使われるようになるといえます。
▼肥満や糖尿病の予防・改善
逆に、筋肉が減ればストーブが小さくなり、熱の産生が抑えられます。
熱を作れないと、糖や脂質が余ります。
糖や脂質が余るとどうなるでしょうか。脂質が余剰になると肥満や脂質異常症になりますし、糖質が余れば糖尿病になります。
動物実験では、筋肉による熱の産生を抑えられたマウスは、冷え症になるばかりでなく、肥満となり、やがて糖尿病になることが示されています。糖尿病は、肥満体型の人がなりやすいイメージがありますが、欧米に比べれば、日本人にはやせている糖尿病患者が多いのです。その理由も、これらの研究から推察できます。
やせているばかりでなく筋肉量が少ないと、糖をエネルギー源としてたくさん消費できません。つまり、糖を利用する能力が低下するために血糖が下がらなくなると考えられます。実際、体の中の糖のうち7割以上が筋肉によって消費されることがわかっています。
糖尿病の予防・改善のために筋肉を増やすことが重要だということは、ここ10年ばかりの間にはっきりとわかってきたことです。
アメリカ糖尿病学会では、糖尿病の患者さんに、有酸素運動以外に週に2回以上の筋トレを推奨するようになりました。これも、筋肉と糖尿病の密接な関連を踏まえてのことです。
糖尿病になると、余った糖が「糖化ストレス」という状態を引き起こし、動脈硬化、脳卒中、腎疾患、認知症などのさまざまな合併症へとつながっていきます。糖は重要なエネルギー源ですが、余剰になると一種の「毒」になるわけです。
肥満や糖尿病、そしてそれに関連して起こる多くの慢性疾患の予防・改善のためにも、筋肉をしっかりつけ、熱の産生を行えるようにしておくことがとても大事です。
私の研究室と北里大学糖尿病センターとの共同研究で、平均年齢70歳の2型糖尿病の患者さんにスロトレを4カ月続けてもらいました。
スロトレの前と後で、糖化ストレスの指標となる糖化ヘモグロビン(ヘモグロビンA1c)を測定したところ、全員で有意に下がりました。スロトレが糖尿病の予防・改善に効果的であることが実証されたことになります。
本稿は『いのちのスクワット』(マキノ出版)の中から一部を編集・再構成して掲載しています。